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天衣無縫のテキストエディタ/道具と執筆作業

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/06/21 第558号

○「はじめに」

ポッドキャスト配信されております。

◇第七十三回:ぱだわんさんObsidianについて by うちあわせCast | A podcast on Anchor

◇BC014 『How to Take Smart Notes』 - ブックカタリスト

うちあわせCastはひさびさの臨時ゲスト回です。普段は「アウトライナーいいよね」という話ばかりしているので、新しい刺激になったのではないかと思います。

ブックカタリストは、『How to Take Smart Notes』という英語のノート本を取り上げました。英語の本だったので、二人で読んで取り組むくらいでちょうどよかった(それだけ難敵だった)気がします。

〜〜〜手帳の本〜〜〜

Marieさんの本の新刊が発売されております。

『ときほぐす手帳: ハッピーばかりが続くわけじゃない日々を ゆるやかにおだやかにつむぐ』

タイトルが素敵ですね。今ちょうど読んでいるので、読み終えたらまた感想を書いてみます。

〜〜〜無価値観との付き合い〜〜〜

セルフパブリッシングをしている人の話を聞くと、出版の直前あたりに「こんな本で大丈夫なんだろうか」と不安になる気持ちが湧き上がってくることがよくあるようです。

安心してください。プロの物書きでもあります(ソースは私)。

なんというか、「やっつけ仕事」でない限り、この手の不安は少なからず湧いてくるのだと思います。なぜなら「やっつけ仕事」とは価値を気にしない仕事であり、その逆の仕事とは価値を気にする仕事だからです。

そして、価値とは誰かの心の中に宿るものであり、客観的な担保を与えられるものではありません。つまり、疑義を挟もうと思えばいくらでも可能であり、校正作業などで「疑心」が強まっている──書いた文章を疑って読むため──ときほど、自分の本の価値まで疑う気持ちが出てきます。

これはもう「しゃーない」ことです。どこかの時点で「えいや」と開き直るしかありません。無視するのではなく、「これは一時の声なのだ」とMuteするのです。そうやってやり過ごせば、いずれは消えてなくなります。

もし、そうした葛藤を完全に無くすために心の声をジェノサイドしてしまえば、どんな本を書いても「これでいいのだろうか」と思うことがなくなります。つまり、自身の価値判断が壊滅してしまうのです。それはどう考えても危ないサインでしょう。

価値判断は残しつつも、その声に過剰に引きずられないようにすること。

そのためには一時的なMuteが一番です。でもって、このことを逆に言えば、「あるところまで実力がつけば、自分の本の価値を疑うことはなくなるだろう。そのときになったら本を書こう」などと考えると一生本作りは成せない、とも言えます。

程度の差はあれ、誰もが不安を抱えて出版しています。セルフパブリッシングならなおさらでしょう。だからこそ、「このことについて書いてみたい」という気持ちを大切にしたいところです。なにせ、その本が価値を持つのかどうかがわかるのは、結局その本を出版してからなのですから。

〜〜〜企画案の漁〜〜〜

新刊の作業も大詰めを迎える中、次の本の企画についても検討を進めています。で、そうやって検討を進めていると、ぜんぜん関係ない本のアイデアなども浮かんできます。まるで、漁をしているときに海に餌をばらまいたら、狙いでない魚も一緒に集まってきた、というような感じです。

もちろん、敏腕の漁師ならより好みしている場合ではありません。それらを一気に引き上げておき、かかった小さい魚については放流(リリース)します。選り分けるわけです。

これはなかなかたいへんな作業ですが、「はい、企画案を考えてください」と言われてすぐに答えられるものではありませんので、大漁のときにせっせと網にかかった魚を捉えておくのは大切でしょう。いつか役立つことがあるかもしれません。この点が、アイデアが断捨離しにくい理由でもあります。

〜〜〜「えいや」でパスする〜〜〜

現在、執筆追い込み作業と並行して『Re:vision』という企画(皆さんご記憶でしょうか)の書籍化作業を進めております。

簡単に言うと、私とTak.さんが相互連載で書いていたものを一つの本としてまとめる企画で、主な編集を倉下が担当しています。で、半分自分の原稿で半分他人の原稿という、これまでになかった編集作業をおっかなびっくり進めているところです。

純粋な単独セルフパブリッシングならばすべての原稿が自分の手で修正可能ですが、『Re:vision』の場合は半分は自分で修正でき、もう半分は編集者的裁量でしか修正できません。

かといって、「かーそる」のように上がってきた原稿の誤字を修正するだけで終わり、というものでもなく、文面や見出しなどには手を入れています。この辺の距離感が難しいのです。つまり、ここまではOKで、これ以上は踏み込みすぎ、という線引きがはっきり定まっていないので、部分部分で膨大に悩むことになります。

しかしまったくはじめての作業なのですから線引きなど存在するはずもありません。その線引きはフィードバックによってはじめて形成されるものです。

だから、とりあえず自分がその時点でよいと思う編集をして、その原稿をTak.さんに渡すことにしました。こちらは判断してみましたので、その結果を判断してください、というわけです。これは一見投げやりのようにも思えますが、なにしろ手本にする規範がどこにもないので仕方がありません。似たような仕事を何度か繰り返すうちに、ちょうどよい按配が見えてくるはずです。

それまでは、原稿を何度も行き来することになっても、フィードバックの送り合いをするしかないだろうと考えております。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. 他の人と一緒に仕事をするときに気をつけていることは何かありますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週は「道具と執筆作業」の第三段として「テキストエディタ」について書いてみます。

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○「天衣無縫のテキストエディタ 道具と執筆作業」

今回は執筆道具としてのテキストエディタについて書いてみます。

言うまでもなく、テキストエディタは執筆に欠かせない道具の筆頭格であり、物書きにとっては主戦場とも呼べるツールです。でもって、一度凝りはじめれば果てしがないツールでもあります。

とは言え、ディープな話に入る前に、まずはテキストエディタを含めた「原稿を書くための道具」についてみていきましょう。

■パソコンにおける文章を書くための装置

原稿執筆に役立つパソコンのアプリケーションは、主に以下の三つがあります。

・テキストエディタ
・リッチテキストエディタ(ワープロ)
・マークダウンエディタ

「テキストエディタ」は、プレーンなテキストファイルを扱うツールであり、パソコンで情報を扱うときのベーシックなツールでもあります。

「リッチテキストエディタ」は、文字情報だけでなく装飾の情報も一緒に保存できるツールで、文字を太字にしたり、色をつけたりといった「見た目」の操作が可能になっています。その性質上、原稿をプリントアウトする用途において活躍します。

代表格はMicrosoftのWordで、AppleのPagesやGoogleのGoogleドキュメントも同種のツールです。「ワープロソフト」で検索して出てくるのが、だいたいこの種のツールになっています。

「マークダウンエディタ」は、上の二つの中間のような位置づけのツールで、基本的にはプレーンなテキストファイルを扱うのですが、マークダウン記法によって見た目の操作も可能になっています。

このマークダウンエディタも二タイプあり、原稿の見た目が直接変わるもの(WYSIWYG)と、別表示のプレビュー画面で確認できるものがあります。有名どころでは、UlyssesやTyporaがマークダウンエディタです。

以上、たった三つだけの説明ですが、ここにわんさか注釈が入ります。たとえば、マークダウンエディタは、ほとんどテキストエディタなので、テキストエディタでマークダウンのプレビューが機能がついているものは、マークダウンエディタとほとんど変わりません。唯一の違いは、マークダウン記法の入力補助がついているかいないか、といったところです。

逆にマークダウンエディタもテキストエディタとして使えるわけですが、保存するファイルをユーザーが直接触りにくいアプリケーションもあり、純粋な互換とは言えません。

また、リッチテキストエディタにおいても、Scrivenerのように高機能方向に発展したものもあります。Scrivenerは、「リッチテキストエディタ」というよりは「執筆統合環境」と呼ぶのがふさわしいのですが、それでも本文はリッチテキストで保存されるので、系譜としては同じ文脈に置いてよいでしょう。

さらに、リッチテキストエディタによる見た目やレイアウトを操作する行為を先鋭化させると、InDesignというレイアウトデザインソフトに直接文字を置いておく、というやり方が出てきます。猛者の手法です。

この段階で、すでに情報でおなかがいっぱいになっていると思いますが、まだまだ話題はあります。たとえば、テキストファイルやマークダウンファイルを変換して他のフォーマットの原稿を生成したり、LaTeXのようなテキストベースの組版処理システムを利用して原稿を作ることもできます。

さらに、アウトライナーのようなアウトライン操作が可能なツールや、Roam Researchのようなネットワーク型のノートツールにおいても文章を書くことはでき、それはつまり原稿を書くことが可能であることを意味します。なんなら、Gmailで原稿を書いて自分宛に送信することすらも「原稿執筆」の手法の一つにカウントできます。話を広げていけば、本当にきりがないのがこの手のツールの話です。

そうした探究を続けても面白そうですが、ここではテキストエディタに話を限って進めることにしましょう。それですら、なかなかたいへんな話になりそうです。

■テキストエディタの広さ

テキストエディタはごまんとあります。たぶん比喩でも慣用句でもなく、実際に五万くらいはあるのではないでしょうか。

たとえば、私がHTMLファイルを作り、そこにtextareaなり、contenteditableをtrueにしたdivを設置してWebブラウザでそのファイルを開けば、もう「テキストエディタ」として使えそうなものが表示されます。実際はファイルの保存などができないので、非常に未熟なものですが、「テキストをエディット」することは間違いなく可能です。

それが可能なのは、文字列の削除やコピー&ペーストができるからであり、その機能はパソコンのOSによって提供されています。つまり、パソコンのごく基本的な機能が使えるなら、「テキストをエディット」することは可能なのです。

その視点を敷延すれば、ほとんどのツールがテキストエディットツールとして使える、という話になりますが、さすがにこれも話を広げすぎなので、一般的にテキストエディタとして認識されている(あるいはそういう認識で開発されている)ツールに限ることにしましょう。

■二タイプのテキストエディタ

テキストエディタは、(かなり乱暴に分類すると)二つのタイプがあります。シンプル系とそうでない系です。シンプル系は、ごく基本的なテキストエディットの機能だけを提供するもので、OSに標準でついている「メモ帳」(Windows)や「テキストエディット」(Mac)がシンプル系になります。

そして、シンプル系以外のテキストエディタはすべて「そうでない系」になります(ほら、乱暴だ)。正直、いくつか分類のポイントを探ってみたのですが、ダメでした。綺麗な切り分けが成立しません。ただ、要素みたいなものはいくつか列挙できます。

・ツールの見た目を細かくカスタマイズできる
・ショートカットキーなどの設定ができる
・マクロやスクリプトによる機能拡張が可能である

これらの要素を持っていたら、「そうでない系」だと言えます。特に下の項目を持つほど「そうでない」感が強くなります。Windowsだと「秀丸エディタ」がそうでない系の代表格ですし、汎用であればGNU Emacsがそうでない系の極北です。Emacsとなると、もはやテキストエディタと呼んでいいのかすら疑問になります。それくらいに「そうでない」感に溢れたツールです。

ちなみにEmacsはプログラマに愛好者が多いテキストエディタですが、同じくプログラマに愛好者が多いテキストエディタとしてVimがあります。このVimも──普段シンプル系テキストエディタを使っているならば──かなりクセが強いと感じるツールでしょう。何も知らずにVimを起動すると、終了のさせ方が(直感的には)わからないのです。あと、文字を入力しようとしてもうまくいかず、逆に変な操作が行われたりもします。かなりの混乱です。

というのも、Vimには「モード」という概念があり、複数のモードを切り替えて「エディット」を進めるのですが、その操作感覚は他のテキストエディタとかなり異なっています。なのでVimを使うときは、「Vimを使う」ことを一から学ぶ必要があります。Windowsの「メモ帳」からMacの「テキストエディット」への移行は細かいメニューや操作の理解だけで済みますが、Vimへの移行はそうはいかないのです。

ここまでの話を聞くと面倒そうなツールに思えますが、もちろんマゾっ気があるからプログラマがVimを愛用しているわけではありません。Vimが複数の「モード」を持っているのには合理的な理由があります。簡単に言えば、モードごとでキーの役割を変えられるのです。

たとえば、普通のテキストエディタで「k」のキーを押せば、kの文字が入力されるでしょう。ごく普通の動作であり、ユーザーが期待する動作でもあります。一方Vimのノーマルモードでは「k」キーを押すと、カーソルが上に移動します。それ以外の何も起こりません。つまり、目の前に表示されているテキストに「k」の文字は挿入されません。同じように、j,h,lはすべてカーソル移動を実現し、文字入力は行いません。

逆に「挿入モード」では、kキーを押すとkの文字が挿入されます。その他のキーも同じです。つまり、この「挿入モード」が一般的なテキストエディタを操作しているのと同じ状況になります。そして、それ以外のモードでは、「一般的なテキストエディタ」とは違ったキー操作が可能なのです。

別の言い方をしましょう。普通のテキストエディタでは、一般的な文字入力とぶつからないために機能のショートカットキーは複数のキーの組み合わせを使わざるを得ないのに対して、複数のモードを持つVimではモードを切り替えることで、文字入力のためのキー操作を無視してキーの割り当てができます。当然キー入力に割り当てられる機能・操作の数も増えます。

よってVimではキー操作だけで(つまりマウスやメニューを介することなく)編集作業を完結させられるようになっています。その操作感が(慣れると)極めて心地よいので、プログラマに親しまれているのでしょう。

■毎日触るツールだからこそ

以上のように、Vimというエディタ一つとっても書くことはたくさんあります。拡張性の高いEmacsに至っては、それだけでメルマガ一ヶ月分くらいは必要なほどです。

なぜこんなに話題が盛りだくさんになるのかと言えば、プログラマにとってエディタを触ることが仕事の大部分を占めるからです。当然、その使い勝手の良し悪しが仕事にダイレクトに影響を与えます。毎日使うツールほど、細かい部分が積み重ねのように影響してくることを考えれば、こだわるのも当然でしょう。

でもって、同じことは物書きにも言えます。エディタの使い勝手が、仕事の能率に強く影響を与えるのです(あるいは、そういう感じが強くします)。だから私は長年──リッチテキストエディタではなく──、テキストエディタを愛用してきました。もっと言えば、業界的には標準と言われるWordではなく、ごく普通の「飾り気」のないテキストエディタを使ってきたのです。

(ちなみに、ライターの人がWordをよく使っているという話は、物書きになってずいぶん後になってから知りました)

はるか昔は、パソコンといえばWindowsでした。理由はいろいろあったかと思いますが、周りの人間が使っている点(ファイル互換性)と、主要なゲームがWindows版しかなかったことが大きな要因だったでしょう。

しかし、Windowsは「優れたOS」とは言い難い側面があります。さらに昔のパソコンはメモリ容量も少なく、記憶装置もHDDです。つまり全体的に動作が重いのです。

それが顕著に感じられるのがMicrosoft Wordでした。文字入力がときどきもたつくのです。でもって、文字入力がもたつくなど、テキスト入力ツールの風上にも置けません。ワープロ専用機を使っていたときには起きなかった「遅さ」がそこにはありました。だから、メモ帳でテキストを入力し、それをコピペしてWordに貼りつけて、そこで文字装飾などを行う、という手順をよく行っていました。たぶん、そのあたりからWord = リッチテキストエディタに対する苦手意識が育っていったのでしょう。

また、パソコンのスペックが向上し、OSがMacになり、記憶装置がSSDになっても、あいかわらず「最初に文章を書き下ろす装置」としてのリッチテキストエディタには苦手意識があります。

ツールの起動が若干もたつく──少なくともテキストエディタを起動するよりは遅い──点もありますが、それだけではなく「書式」が変更できる点も影響してそうです。文章を書きはじめる前に、フォントサイズやマージン(用紙の余白)が気になってしまうのです。これらは相互に影響し合うので──たとえば、本文のフォントサイズを変えると見出しのフォントサイズを変えたくなり、それらを変えると用紙のマージンを変えたくなります──、いじりはじめるとキリがありません。そしてその間はいっさい文章の執筆は進んでいません。あまりよろしくない事態です。

また、投稿先がWebページであるならば、こうしたことを細々といじる意味はありません。すべてはブラウザとCSS次第であり、こちらが決定できるところと、そうでないところがあります。その意味で、私がリッチテキストエディタ贔屓にならなかったのは、Webをベースとした書き手だった、ということも影響しているでしょう。

ともかくとして、職業的物書きになってからもリッチテキストエディタは使わず、ずっとテキストエディタでやってきました。とは言え、使っているアプリケーションは変化しています。Macに移行した当初は(昔の)「メモ帳」を使っており、そこからmi→CotEditor→VS Codeと移り変わってきました。後者になるほど、カスタマイズ性が高まっている点は注目に値します。私が求めているものが複雑化してきたことの表れでしょう。

また、CotEditor→VS Codeの期間には、「テキストエディタを使って文章を書くけれども、それをテキストファイルとしては保存しない」という中二病のようにねじれた状況もありました。Evernoteの影響があったからですが、その詳しい話はまた次回にするとして、ここでは「今の私のテキストエディタとの付き合い方」の話をしてみましょう。

(下につづく)

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