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コモンプレイスブック

最近「コモンプレイス手帳」というキーワードをよく見かけます。以下のような解説書や、

専用のノート帳やペンなども発売されている模様。

今回紹介するのはこのメソッドのおおもとである「コモンプレイス・ブックです。

知識人にとってのナレッジベース

以下の記事をご覧ください(現在は無くなってしまっているので、インターネットアーカイブのリンクを貼っておきます)。

こうあります。

ルネサンス以降の西洋の知識人、特に英語を母語とする知識人の多くは、commonplace bookと呼ばれるノートーー稀にカード――を遺している。このcommonplace bookを機械的に日本語に直訳すると「決まり文句の本」となるはずであるが、「決まり文句の本」では、紋切型の表現を集めた本のようであり、意味が伝わらない。そこで、commonplace bookには、「備忘録」という訳語が当てられることもある。

 しかし、この「備忘録」という訳語もまた、コモンプレイス・ブックの正体を適切に表してはいない。というのも、これは、たしかに、何かを記録しておくためのノートではあるけれども「備忘録」という言葉が想起させるようなもの、つまり、忘れてはいけない情報の雑多な集積ではない。

 コモンプレイス・ブックをものすごく雑に説明するなら、それは、本を読んでいるときに出会った名言や感動した箇所を抜き書きしたり、本を読んで思いついたことを書きとめたりするノートである。

ようするにルネサンス期における「Webクリップ/スクラップブック」。それがコモンプレイス・ブックです。

なぜそんなものを作るのかと言えば、

すなわち、何かについて意見を述べる場合の自分の語り方をノートにあらかじめストックすることが、コモンプレイス・ブックを作る意義であったことになる。

ようするに自分で文章を書くときに、自分が読んだものを参照し、言及して、その上で自分の考えを加える。そういうアプローチは、ルネサンス期にはインターネットがないわけで、自分で書き留めておくしかなく、そのための道具がコモンプレイス・ブックだったわけです。

この辺の話は上の記事の続きも面白いですし、桑木野幸司さんの以下の本でも紹介されているので気になったかたはチェックしてみてください。

自分の本作り

本の書き抜きを集めたノートを作ると、面白いことが起こります。

あっちの本からこの文章を、こっちの本からこの文章を、と集めていくと、それぞれの文章はもともと存在していた前後の文章から解き放たれ、ぜんぜ別の文章の前後に置かれることになります。

言葉というのは、前後に置かれるものが変わることで、その意味合いを変える。

こういうのを「文脈」と言いますが、抜き書き本は文脈を変容させるのです。

もちろん、論文などを書くときに勝手にその文章の文脈を変えるのはご法度でしょう。一方で、自分で書いたノートを読んで、自分がインスピレーションを得る目的ならぜんぜん構いません。ようするに、自分が読み返して、何か新しいことを思いつくダシとして使うわけです。

そうしたノート作りは、使う道具がアナログであろうがデジタルであろうが有効ですし、Googleの検索が汚染され、生成AIがいまだに一般的・平均的な答えしか返してこない現代において、「あなたなりの情報源」を作る意味でも大切だと言えます。

残すことの価値

個人的に面白いのは、こういう「古いノウハウ」が掘り起こされ、再評価されるという点です。古いものを、古いからといって切り捨てることなく再評価できる姿勢(Digg)。古いものをきちんと引っ張り出せるアーカイブの整備があってこそでしょう。記録することの価値は、個人の生活だけでなく、人類の文化そのものを支えているといって過言ではありません。

もう一つ面白いのは、日本においてこういうノウハウが、基本的に「日記の延長」として解釈されていることです。知的生産の道具というよりは、日常的な記録を綴る(言い換えれば人生を豊かにするツール)として受容されているように感じます。

それは「知的生産」という発想が弱いからなのか、「日記」という発想が強いからなのかはわかりません。なんにせよ、その辺にも文化の匂いが感じられます。

▼ノートの使い方の基本を一冊にまとめました:


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