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第十八回 投網としてのアウトライン

一日の最初にデイリータスクリストを作ることも、執筆の最初にアウトラインを立てることも、共に「投網を投げる」ことだと言えます。網を投げて、魚を捉えようとするのです。どういうことでしょうか。

ばさっと海面に投網を投げれば、範囲が決定されます。その網の内側と外側が生まれるのです。私たちは、その網の内側にだけ意識を向ければ済みます。網の中にあることだけを考えるのです。

それがデイリータスクリストに「今日やることだけ」を書き込むことです。あるいは、アウトラインに「その本に書くこと」を並べていくことです。

有限化装置

デイリータスクリストもアウトラインも、作成以降は、そこに書かれたことだけに意識を向ければ済みます。人間がとりうる行動は、ほとんど無限のように広く、そうでなくても「やること」は山のように散らばっています。一瞬一瞬に、そのすべてを考慮に入れては思考はパンクしてしまうでしょう。

同様に、ある対象について書く本であっても、その対象に含まれるものは実質無限にありえます。情報はつながりを持ち、ネットワークを形成しているので、6次の隔たりのようにリンクを辿っていけばあらゆる対象が網羅できてしまうのです。中世ヨーロッパの話をしようとすれば、拷問器具について言及するチャンスが生まれます。拷問器具について語るなら鉄の処女が出てきて、鉄の処女が出てくるなら、そのネーミングを使ったアニメ・漫画作品の必殺技についても言及できます。

以上のように「書こうと思えば」あらゆることが書く対象になるのです。これは「やること」は山のように散らばっていると同一の関係にあります。

こうしたことを逐一検討していたらキリがありません。囲碁の一手を考えるのにすら、無数の手数を読まなければいけないのに、無限の書くことについて検討していたら、それだけで人生が終わってしまいます。だから区切るのです。網を投げて、区切るのです。

網の粒度の区切り

しかし、その区切りを生むものは網でしかありません。

鉄の処女のように内側と外側を完全に断絶するものではなく、全体的に大きな目が空いています。網自体の強度も、たいしたものではありません。

よって、小さな魚はいくらでも出入りできますし、大きく鋭い歯を持った魚が暴れるなら破れてしまう可能性があります。行為の最初に作成する全体性・包括性はその程度の強度で十分です。あくまでそれは仮固定であり、暫定的な内側と外側を決める行為に過ぎません。

細かい部分はいくらでも入れ替わって構いませんし、必要に応じて仕切り直すことすらも考慮に入れておく方が懸命です。

硬いと話は早い

もちろん、鉄の仕切りを使ったほうがはるかに話は早いでしょう。簡単に言えば、「こう書く」とあらかじめ決めておいて、実際にその通りに書くわけです。しかし、仕切りは海の中にいる魚とは対応していないので、仕切ってみたものの、あるマスには一匹も魚がいなかったということは起こりえますし、逆に一つのマスにぱんぱんに入っているということも考えられます。

仮にそうであっても気にしない、文字を埋めた原稿用紙(あるいはテキストファイル)がそこにあればいい、と考える場合は鉄の仕切り方式は極めて合理的かつ効率的です。でも、いやそれはちょっと……と思う人は、鉄ではなく網を使いましょう。

まず最初に、仮決めの内側と外側を捉え(≒書くこととと書かないことを決め)、実際網にかかった魚を眺めながら、どのような仕切りにするのかを考えるのです。

ちょうどいい感じへ

このやり方の良い点は、無限に考えが広がっていくのを抑制しながらも、硬くなりすぎない点です。あくまで仮決めだと考えて、残りはケースバイケース、現実適応で進めていけます。一方で、最初に網を投げているので、まったく見当違いな方向にはなっていません。つまり、ちょうどいい感じに着地できるのです。

そしてこの「ちょうどいい感じ」は、自分というものから逃れることでもあります。

どういうことでしょうか。次回に続きます。

(つづく)

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