生産性ってどうなんですか?
「生産性」という言葉を聞くと、単純に高ければ高いほど良いというイメージが湧くわけですが、それって本当なのでしょうか。というか、生産性が高い状態って実際にどういう状態なのでしょうか。
単純に考えれば、単位時間あたりの生産量が「生産性」という指標でしょう。しかし、あなたはベルトコンベアでもなければ、果汁を搾り取るマシンでもありません。であれば、そこでの「生産数」って一体なんなのでしょうか。
別に「正しい」答えがわからなくても構わないのです。「生産性向上」のような言葉に触れるときに、「それって具体的にどういうことなのか?」と一度でも考えた経験があるかどうか、という点が重要です。
たとえば、単位時間あたりに返信できるメールの数が増えたら、それはたしかに「生産性」が上がっているのかもしれません。だから、その指標を改善しようと努力してしまう。でも、究極的にはメールの数を減らしたり、メールを使わないコミュニケーションの方法を創造することの方がより重要で、なんならそっちの方が価値を生み出しているということは十分にありえます。でも、「生産性」という指標に注目しているとその可能性が見えなくなるのです。
極論を言えば、やってもやらなくてもどっちでもいい仕事を、ものすごく効率化したらそれで生産性は爆上がりです。で、それって意味あることなのでしょうか。
ホワイトワーカーや知識労働者と言われる人たちは、手を動かす数が多ければそれで仕事に貢献できているとは断言できません。たしかに雑用はたくさんあり、その雑用を少しでも手早く処理できることは有効ですが、結局それは雑用の話であって、仕事の価値そのものではありません。つまり、それらをどれだけ効率化したとしても、仕事の価値にはあんまり関係していない、ということが起こりうるのです(絶対にそうなるということではなく、そういう可能性があるということです)。
にもかかわらず「生産性」という指標に注目していると、価値については考えずに、目先の「手を動かす仕事」ばかりに目を向けてそれを効率化しようとしてしまいます。それって、本当に目指すべき方向なのでしょうか。
生産性が上がること自体はそう悪いものではありません。しかし、その指標だけに注目し、「どんな価値を作り出しているのか」という真の生産を無視するならば、数字をいじるだけのゲームにすぎなくなってしまうでしょう。
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