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フラクタルに現れる時代の精神性

うちあわせCast第五十二回では、二つのリストについて話しました。

アナログとは違い、デジタルでは任意の形式で情報をピックアップ可能なので、フラットに記録しておいても必要に応じて情報を取り出せる特徴があるよ、という話です。この点で、デジタルベースの情報整理は、アナログのそれとは根本的に考え方が変わってきてもいいはずなのです。

この辺の話は、以下の大橋さんのツイートも面白いと思います。

で、それはそれとして本題は別です。

自己啓発とブラック企業

ポッドキャストを開始したときは、まったく頭にはなかったのですが、話し続けていくうちにぽろっと溢れ出てきたテーマがあります。むしろ、そういう「ぽろっと」を期待するために長めのポッドキャストをやっているのかもしれません。なにせ、ついうっかり話すことほど面白かったりするからです。

その「ぽろっと」出てきたテーマが「自己啓発とブラック企業」でした。

まず、一つの思想として「フラクタルに現れる時代の精神性」があります。ある時代における精神の有り様は、その社会の構造にフラクタルに表出する、という考え方です。たとえば、個人が持つ考え方と、組織が持つ考え方と、国家が持つ考え方が共通点を持つ、といったものがそれにあたります。

そこで考えてみると、たとえば労働者の未来を軽視し、使い潰してしまうようなブラック企業のあり方は、個人の自己啓発においても登場するのではないか、という仮説が出てきます。実際に、あるビジョンに邁進するあまり、自分の体を壊してしまうような人はいるでしょう。頑張りすぎてしまうのです。

休憩を取らず、睡眠をとらず、休みを取らず、ただただ行動に邁進することは、労働者をこき使う経営者とかなり似通ってきます。つまり、経営者:労働者の構図が、自己管理する自分:自己管理される自分において再現されているのです。

同じ構図を国家に用いて論じることはここでは避けておきますが、なんにせよ、そこにあるのは「管理」の思想です。管理者と非管理者の非対称な関係。「お上」の思想。ボトムアップを軽視する思想。そうした思想が、さまざまなレイヤーにおいて顔を出しているのが現代という時代の思想性なのではないでしょうか。

でもって、ポッドキャストでは、それなりにうまくいっている企業は、企業自身がビジョンを持ちながらも、個々の労働者がそのビジョンと自分のビジョンをうまくすり合わせることができているのではないか、という話が持ち上がりました。もしそれが正しいのだとしたら、自己管理においても同じ視点が取れるはずです。

つまり、自己管理する自分が掲げるビジョンと、日々そのときそのときを生きる自分が持つビジョンのすり合わせです。おそらくそれが、『Re:vision』という連載で語ろうとしていたことの一部なのでしょう。

同じくして、異なる

こうした考え方には、「同じくして、異なる」という思想があります。「私」は私でありながら、私でないことがある。管理しようとする統合的な「私」と、日々を生きる「私」の二つがあり、それは同一でありながらも異質なものである。そんな考え方です。

この考え方のポイントは「異なる」の方ではなく「同じくして」の方です。ひとりの人間の中にさまざまに異なる自分がある、という論説はすでにたくさん興されていますし、そうした視点を捨てて「今の自分」に注視すべきだ、という考え方もあります。

それぞれにメリットはあるのでしょうが、私としては、異なる自分がありながらも、それを統合しようとしている自分もいて、その全体が「自分」という存在(ないしは現象)なのだと捉えたいところです。

企業体が、法人として存在しながらも、その実体はそこに所属する一人ひとりの社員から構成されているように、私という存在も、統合的に存在しながらも、その実体は一時ひとときを生きる私という存在から構成されている、と考えるのです。

視点の取り方によって、そのどちらがフォーカスされるのかは変わってきます。どちらが偉いというわけでもなく、どちらが重要というわけでもありません。単に、高度が異なる有り様が複数に重なり合っている状況を肯定したいのです。単純な捉え方は退けたいのです。

だから、私はこう考えます。企業の管理が、適切なマネジメントにシフトしていくことと、自己管理が無理のない方向に向かっていくことはおそらく呼応しているだろう、と。卵が先かニワトリが先かはわかりません。適切なマネジメントを持つ企業で働くことで、適切な自己管理のやり方や考え方が身に付くかもしれません。あるいは、適切な自己管理ができる人があつまる組織が、自然と適切なマネジメントを開発していく、ということもあるでしょう。フラクタルである、ということは、一点の作用が上にも下にも広がっていく可能性がある、ということを意味します。これは一つの希望でしょう。

ともかく私は、「管理」について考えなければならないと考えています。よりよい組織運営のために、そしてよりよい個人管理のために。その上のレイヤーについては、創発現象に任せるとしましょう。

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