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「日々と人生をつなぐライフハック」

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/02/14 第592号

○「はじめに」

今週も縮小版です。かなり復調してきた感じはあるのですが、焦りは厳禁ということで。

一つだけご連絡を。

以前オンラインで行われたトークイベントの音声版が「独学同好会通信」さんで配信されております。

◇Re:visionトークイベント音声配信 - by ゆうびんや - 独学同好会通信

どなたでも視聴できるそうですのでよろしければお聴きくださいませ。

*本号のepub版は以下からダウンロードできます。

○「日々と人生をつなぐライフハック」

今回も引き続き「ライフハック」について検討する。

まず復習しよう。『ライフハック大全 プリンシプルズ』で、ライフハックの原則は以下のように定義されていた。

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原則:ライフハックとは、人生に長い目でみて変化をもたらすような、小さな行動
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『ライフハック大全 プリンシプルズ』

そしてそのライフハックは、以下のように運用される。

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原則:ライフハックは、何度も繰り返し適用しつつ、効果を測定して調整することで、長い目で見た変化を導く
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『ライフハック大全 プリンシプルズ』

この構図は、逆に捉えることもできるだろう。つまり、「何度も繰り返し適用しつつ、効果を測定して調整」しようと思えば、その行動は必然的に「小さな行動/習慣」にしかなりえない、ということだ。

たとえば、4年の期間と300万円の資金が必要な「行動」を、"何度も繰り返し適用"することは一般人の資金力では難しいだろう。また、それほどの期間がかかるならば、関与するパラメーターが多すぎて適切に"効果を測定"することもできず、結果、調整も難しくなる。

よって、「何度も繰り返し適用しつつ、効果を測定して調整」しようとするならば、その行動は小さなものが要請される。ライフハックは、小さな行動でも大きな効果が期待できるのではなく、むしろ小さな行動でなければならない、ということだ。

この構図を逆に見れば、"大きな行動"を要請する「成功法」は基本的に博打度合いが高まることになる。博打そのものが悪いわけではないが(そもそも生きることそのものが賭けのような行為である)、しかしこのような構図がそこにあることだけは認識しておいた方がよいだろう。大きくなればなるほど、ライフハック的な運用は難しくなる。

そして、ライフハック的な運用は、ライフハックだけに使えるものではない。それがつまり、前回確認したメタ・ライフハックということであった。

■小さな行動=日々とれる行動

さて、ライフハックは小さな行動を要請する。そして、小さな行動とは「日々とれる行動」のことでもある。毎日少しでも具体的なアクションがとれるもの。それが小さな行動であり、それを繰り返すことを習慣と呼ぶ。

だからこそ、このような営みは「ライフハック」と呼びうる。

このメルマガでも何度か触れてきたように思うが、ライフは「人生」という意味と「日々」や「日常」という意味を持つ。私たちが大きな変かを期待するときに変えたいライフは「人生」であろうが、しかしその「人生」ではなく、「日々」や「日常」を対象にして改善を加えていくことがライフハックのライフハックたるゆえんである。言い換えれば、日々と人生をつなぐものこそ、ライフハックなのだ。

私たちは「人生」に直接アプローチすることはできない。なぜなら、それはある種の概念でしかないからだ。「人生」という実体は存在しない。私たちが手を伸ばせるのは「日々」だけであり、その日々の総体を「人生」と呼ぶのだ。だから、「人生」にアプローチしたければ、間接的に「日々」にアプローチするしかない。それがライフハックのスタイルであり、ライフハックが小さな行動=日々とれる行動をターゲットする理由でもある。

■他の領域においても

この関係は、ライフハックに限られるものではない。「知的生産の技術」でも「仕事術」でも、それらは直接大きな"獲物"を狙わない。

『知的生産の技術』の中で梅棹は、学問上の大きな「方法」ではない、もっと雑事的、日常的な技術・方法を論じようとしている。また、ベンチャー企業を立ち上げて一獲千金を狙おう、というのは「仕事術」とは呼ばないだろう。それよりも、パソコン操作をどうするだとか、プレゼン資料の効果的な作り方などが「仕事術」の対象になっているはずだ。

これらはすべて、経済学で言えば(マクロではなく)ミクロな対象を扱っていると言える。それは結局のところ、大きな獲物など直接狙えないからだ。たとえば、「仕事」という概念を考えてみてもいい。ある人が大きな仕事を成し遂げたというとき、何か具体的な行動一つを指しているだろうか。きっと違うだろう。さまざまな作業や行為の総体を指しているはずだ。つまり、「人生」と同じなのである。

「仕事で成果を挙げる」といった文脈で使われる"仕事"は、小さな作業とは違う一つの概念である。だから、私たちはそこに直接アプローチすることはできない(やろうとすると、だいたい危ない橋を渡ることになる)。できることと言えば、毎日の業務に満ちあふれる一つひとつの小さな作業に対して何かすることなのだ。

だから、一見遠回りに見えても、私たちはその「小さな作業」に注目するしかない。むしろそれこそが(まっとうな手段で)私たちが対象に変化を与えられる唯一の方法なのである。

ただし、このアプローチは還元主義な考え方に傾きがちという問題点を持つ。これもまた一時期の「ライフハック」が行き詰まりを見せた理由の一つであると私は考えるが、それはまた別の回で検討しよう。

■人生を構成するもの

話を戻す。

先ほど、人生は「日々」で構成されると書いた。アウトライナー的に言えば、まず「自分の人生」という最上位項目があり、その下に各年齢が並び、さらに1月から12月の項目が、さらにその下にそれぞれの日付が並んでいる感覚が近しいだろう。"日々"が"人生"を構成しているわけだ。

では、"人生"を構成するものはそれだけだろうか。"日々"にさえ目を向ければ、十全と言えるだろうか。

私はやや心もとないと考える。なぜならば、人生を構成する大きな対象がもう一つあるからだ。それが「環境」である。

この「環境」の含意は広い。自分以外の他者でもあるし、自分が住んでいる地域・国・時代も含まれるし、そこに内在する制度も含まれる。ようするに、全存在から「自分」というものを引き算した後に残るものすべてが「環境」である。

改めて考えてみるまでもなく、「人生」は自分だけで構成されるものではない。「自分の一日」だけをどれだけ集めても、真の意味で「人生」になることはないだろう。その「人生」には、必ず自分以外のさまざまなもの──すなわち環境──が含まれているはずである。

しかしながら、その「環境」に目が配られることは少ない。たとえば、先ほど述べたようにアウトライナーを使うならば、最上位項目は(多くの場合)「自分の人生」であって、そこに他のものが含まれることはない。非常に限定された視野・対象になっているわけだ。

もちろん、それには理由がある。一つには、「他人」を直接管理することはできないからだ。他人を操れる特殊なリモコンでも持っていない限り、他人の内面やそこから起こる行動を意のままに操ることはできない。社会的な環境であっても同様だろう。そうした対象は「セルフマネジメント」の対象にはならない。すでにその「セルフマネジメント」という言葉自体が、対象の限定性を示している。

ストア派の哲学でも、自分が影響を与えられるものとそうでないものを区別し、前者に注意を集中せよと説かれている。『7つの習慣』でもおなじみの考え方だ。

セルフをマネジメントするのだから、セルフ以外のものには注意を払わない。これは自然なことだろう。

さらに言えば、日本では「自己啓発」であり、欧米では「セルフプヘルプ」と呼ばれる文脈を上記のような活動は有していることは以前にも確認した。ここでも対象は「自己/セルフ」にのみ向けられている。それ以外のことは、考えても詮無いことだと扱われているのだ。

実際、自分以外のすべてのこと──すなわち環境──に注意を払っていたら、いくら注意を豊富に持っていたとしてもすぐに枯渇してしまうだろう。私たちの世界には、他者が多すぎる。「環境」が広すぎる。「困難は分割せよ」というデカルトの教えの通り、私たちは大きな問題を小さな課題に分割して取り組むべきだし、だとすれば、まずは「自分」という限定的なものに視線を向けるのは決して間違ったことではない。

しかしながらそれは、「自分」のことだけを考えていればすべてうまくいくことを保証してくれるわけではないし、同様に「人生」において、「自分」以外のものが存在もしなければ、関係も影響もしないことを意味するわけでもない。

私たちの「人生」には、いやおうなく「環境」が関わってくる。それを避けることはできない。

むしろ、だからこそライフハック・仕事術・知的生産の技術が要請されるのだと言えるだろう。もし、「人生」が「自分」の日々だけで構成されているなら、こんなに簡単な話はない。自分が向かうべき道をまっすぐ進めばいいだろう。しかし、そうはいかないのだ。「環境」がどうしても影響を与えてしまう。その環境は、意のままにはならないものだ。操作もできなければ、予想もつかない。だからこそ、未来は予測できない。いつでも不確定な状態で置かれている。

自分が何かを欲したとしても、その通りになるとは限らない。だからこそ、ライフハック・仕事術・知的生産の技術のような工夫が要請される。こういう構図である。

私たちが工夫を実践する上では、たしかに「自分」に目をむけ、小さな行動に取り掛かるべきなのだろう。しかし、視野を広げ、視点を上がってみたときには、そこにさまざまなものが内包されていることは──そしてその状態こそが「自然」であることは──留意しておくべきだろう。そうでないと、何か大切なものを見失ってしまうかもしれない。

■自分と他人

ここまでで、人生を構成するものとして、日々(自分)と環境の二つを確認した。この二つの折り合いや綱引きによって、工夫は要請される。

自分だけなら工夫は何もいらないし、(操作できない)環境だけなら私たちには為す術がない。操作できない環境と、(ある程度は)操作できる自分。あるいは、欲するものを邪魔する環境と、欲する主体としての自分。その二つをなんとか調和させようという試みの中で、工夫が生成されるわけだ。

だからこそ、このジャンルの話は面白いのである。

もし「自分」だけであれば、「みんな違って、みんないい」で話は終わるだろう。それぞれの世界は独立的であり、交差するものは何もない。一方で、「環境」だけであれば、「世界の流れに身を任せるのです」で話が終わる。創意工夫サイドから見たときの敗北主義だ。

私たちは、皆固有の「自分」である。特に、意識・自我のレベルでは個性と呼べるものを持っている。一方で「環境」は共通的だ。住んでいる地域、使っている言葉、愛用するツール、身体的(生物学的)限界、……。すべての人が同じというわけではないが、ある程度似通った「環境」に置かれている人は多い。

だからこそ、私たちは創意工夫について共通の話ができる。あるいは、共同的な場において言葉を交わすことができる。

すべての人が同じ工夫でうまくやっていけるわけではないにせよ、こういう環境でこういうことを欲しているならば、こういう工夫が使える、ということが言えるわけだ。言い換えれば、「環境」というものがあることで、ノウハウを俎上に載せられるのである。

つまり、ライフハック・知的生産の技術・仕事術についての話題は、「自分」と「他人」をつなぐものとしても機能するわけだ。

■主体的に生きる

しかし、その「環境」は先ほども述べたように「意のまま」にはならないものである。よって、その「環境」がある限りにおいて、どれだけ創意工夫をこらしても、自分が望むものを必ず手にできるとは限らない。しかし、大切なのはそうした結果にあるわけではない。

前号でも確認したが、『ライフハック大全 プリンシプルズ』に以下の文章がある。

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ですから、「人生を変える」とは、能動的に行き先を、行動を選択することと言い換えてもいいでしょう。本書では、なんらかの長期的な変化に向けて私たちが行動を起こしている状態のことを、人生が変わっている、変わりつつあると表現しています。
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『ライフハック大全 プリンシプルズ』

「自分」のまわりに「環境」というものがあり、それが「意のまま」に生きることを阻害している。だから、創意工夫を持って望む方向へと舵切りしようとする、その姿勢こそがもう人生を変えつつあるということ。

自己啓発の言葉に置き換えれば、それこそが「主体的に生きる」ということだ。

ただし、ここまでの話を確認すると、「主体的に生きる」という言葉の響きが少し違ってくるのではないだろうか。

自己啓発の(特にビジネス色に染まった自己啓発)の「主体的に生きる」は、あたかも「自分の望みを十全に叶えるように生きる」かのように響いてくる。その視点は、人生を「自分」という構成物のみで捉える視点である。

しかし、人生を「(日々の)自分」と「(意のままにならぬ)環境」の統合体として捉えればどうか。自分ではどうしようもない環境の中に置いて、少しでも「自分」と呼べるものを発揮させること。それが「主体的に生きる」の新しい意味として立ち上がってくるのではないか。

その主体性は、決して独善的なものではない。常に「環境」が念頭に置かれているからだ。言い換えれば、環境適応的であるのだが、その適応のスタイルや方向性において「自分」を発揮させることが意識されている。

それこそが、「人生」を広く捉えたときに、主体性の発露であり、ライフハックが目指したい方向でもあるだろう。

つまり、ライフハックは「自分」と「環境」にもつながりを見いだすものだと言える。

日々と人生、自分と他人、自分と環境。

そうしたものをつなぐものが、こうした工夫に関する話題なのである。

(次回に続く)

○「おわりに」

お疲れ様でした。本編は以上です。

今月のテーマ「ライフハック再考」は一ヶ月分のテーマとして想定していましたが、ペース的に半分ずつしかかけていないので、二ヶ月連続になるかもしれません。そういう趣向も面白そうです。あとは、確定申告の準備ですね……。

それでは、来週またお目にかかれるのを楽しみにしております。

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