不完全なアイデア管理 / 成功術のうさん臭さ / GTDとネガティブ・ケイパビリティ / サイドバー恐怖症 / R-styleの移行プロジェクト
はじめに
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百二十回:Tak.さんと「アウトプットとインプット」について 作成者:うちあわせCast
今回は、ずっと違和感を覚えていた「アウトプット」という言葉について考えてみました。
結果的に、「知的生産活動的なことに必要なこと」な話ができたかと思います。よろしければお聞きください。
〜〜〜音声版〜〜〜
Voicyという音声コンテンツ・プラットフォームに「まぐまぐ!ラジオ Voicy支局」というチャンネルがあります。
◇まぐまぐ「まぐまぐ!ラジオ Voicy支局」/ Voicy | 音声プラットフォーム
そこに当メルマガの一記事が配信されました。
◇まずは3つ決めることから始めよう。なぜ毎年あなたは年始の目標を達成できないのか? | まぐまぐ「まぐまぐ!ラジオ Voicy支局」/ Voicy | 音声プラットフォーム
このメルマガの記事は少し(あくまで少し)長いものが多いので、こういう形で音声配信もできたらいいなとは思います。
もちろん、それを作成するための手間が常にネックなわけですが……。
〜〜〜notebook事始め〜〜〜
「そうだ、今年はシステム手帳を使おう」
と唐突に思い立ちました。理由はわかりません。システム手帳は二十年近く使っていませんし、私の身の回りで愛用している人もいません。どこから影響を受けたのかまったく謎です。
もしかしたら、普段愛読している「tadachi-net 出張所」さんで折りに触れてシステム手帳の話が出てくるので、その情報がじわじわと私の脳に染み込んできたのかもしれません。
◇tadachi-net 出張所
理由はさておき、こういうことを思いついたらさっそく試してみるのが吉です。命に関わることもなく、銀行に融資を求める必要もないものならなおさらそうです。うじうじ考えていてもラチがあきません。
とは言えです。
システム手帳は、万年筆と並んで文房具沼を代表する存在です。凝りはじめればキリがありませんし、他の文房具と比べても値段が張ることは間違いありません。勢いよく買ってみたものの、使い勝手がよくありませんでした、というのでは残念な思いを味わってしまうでしょう。
そこで、二十年前に一年間だけ使っていたシステム手帳を引っ張り出してきました。
6穴のシステム手帳です。さすがに構造がシンプルなだけあって、二十年経ってもまったく問題なく使えます。
まずは、この手帳に方眼のリフィルをセットして、しばらく使ってみようと思います。ちなみに「手帳」と言っていますが、実際はメモ帳的用途で、カレンダーリフィルを使う予定はまったくありません。ようは「システムノートブック」として使っていこうというつもりです。
もしサイズなどがよい感じだったら、いよいよ本格的に新しいバインダーを買うことになるでしょう。その辺の結果は、また来週にでも。
〜〜〜Q〜〜〜
さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。
Q. 一号あたりのこのメルマガのボリューム(文字数)は多いでしょうか、それとも少ないでしょうか。あるいはちょうどよいでしょうか。
では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回はいつもと少し趣向を変えて、短めの記事を6つお送りします。
不完全なアイデア管理
少し間が空いてしまいましたが、「アイデアを育てる」話を続けましょう。
復習しておくと、アイデアを育てる行為は義務ではなく、そうしたいからそうするという「遊び」のようなものでした。この点と「いかにアイデアを育てるのか」が関わってきます。
まずはその話から入りましょう。
■「育てる」のメタファー
「育てる」という言葉からイメージされるのは、「ままならさ」です。思い通りにはいかない感。
たとえば、植物は思い通りには育ちませんし、人間の子どもだってそうでしょう。「育てる」は、「大きくなって欲しい」という方向性のベクトルは持ちますが、具体的かつ詳細にその細部を定めたりはしません。というかできません。
もし細部を定めつつ、大きくすることを欲するならば、それは「育てる」ではなく「作る」でしょう。この語感の差がポイントです。「育てる」は、最終的に何ができあがるのかは、行為のスタート時点ではわかりませんし、そもそも行為者の裁量にはないのです。
「いやいや、そんな不安定なものでは困るだろう」と思われたかもしれません。日常的な感覚ではたしかにそうでしょう。
しかし、思い出してください。私たちは別にアイデアを育てる義務を有していないのです。これは「遊び」なのです。だから、細部を定めるという自分の「思い」の通りにできあがる必要は微塵もありません。不安定でALL OKなのです。それが「遊び」ということの意味であり、「アイデアを育てる」という言葉遣いを採用している理由です。
つまり、この言葉のセレクトはその行為が具体的にどんな営みを含むのかに加えて、そこではどんな基準(規範)が働くのかも示しています。
アイデアは「育てていく」ものであり、それは自分の随意の及ぶものではない。これが認識のスタートです。
■「思い」からこぼれ落ちるアイデア
アイデアの育成が随意の外側にあるとすれば、その「管理」や「整理」は常に不完全なものになるでしょう。言い換えれば、自分の「思い」を常にはみ出していく要素が含まれているのです。
逆に言えば、もしそれが常に自分の「思い」によって統制できているとすれば、それはアイデアを「育てている」のではなく、単に「作っている」に過ぎないと言えます。
今暗黙に、「作っている」<「育てている」の図式を提示してしまいましたが、もちろん「作る」ことが悪いわけではありません。ただ、アイデアを「作る」ことは、「遊び」よりも「作業」に近くなりますし、その広がりも狭まってしまう点が懸念されます(この点は後の回で改めて検討しましょう)。
とりあえず、ここでは以下の二点だけを確認しておきましょう。
・アイデアを「作る」ことと「育てる」ことは異なる営みである
・「育てる」方が広がりを持つ(はず)
加えて、こうした活動を情報「整理」ツールを使って行おうとすると、どうしても「作る」意識、つまり支配的・管理的・統制的意識が強まってしまう点も留意すべきでしょう。
その結果、育てているつもりで作ることを行ってしまっている、ということが起こりえます。だからこそ、述語に注意を払うことには価値があるわけです。
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