サラダとしてのノート術
読書猿さんのブログに面白い記事がありました。
一方で、「サラダ」という考え方を習得すれば、つまり「こういうものがあれば、まあサラダと言えるよね」という概念を獲得すれば、冷蔵庫にある食材を見て、ちゃっちゃっと盛りつけて「はい、サラダのできあがり」とできちゃうわけです。
こういう考え方、私は結構好きです。
たとえば拙著『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』は、うまくいく一つのやり方を紹介するのではなく、さまざまな方法とその背後にある考え方を紹介しました。「タスク管理」という考え方を読者さんに導入してもらうのが意図です。
同様に『思考を耕すノートのつくり方』も絶対にうまくいく完成されたノート術ではなく、そもそもノート術はどんな要素で構成されているかを分析し、自分で「ノート術」を組み上げていけるようなブロック(レゴのイメージ)を提供しています。
先ほどの読書猿さんの文章を、ちょっとアレンジしてみましょう。
「ノート術」というフレームワークは、
道具の役割
記法の働き
記述のスタイル
から構成されていて、自分が欲している目的や状態に合わせてレパートリーをいくらでも作り出していけます。
というよりも、そうであるべきなのです。単一のノート術を絶対的な正解とするのではなく、用途に応じて書き方をアレンジし、アドホックなスタイルをミニマムに創造していく。それがノートとの好ましいつき合い方であると個人的には思います。
それは動的なものであり、時間とともに変化(ないしは進化)していくものであって欲しい。方法の中に人が閉じ込められるようなことは避けたい。そんなことを考えながら、日々「考えるための技法」を検討しております。
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