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新しい書き方、新しい内容/読み返し、語り直し、書き直す/いかに「自分の方法」を作ってもらうか問題

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/02/15 第540号

○「はじめに」

ポッドキャスト&YouTubeライブのアーカイブが配信されております。

◇ブックカタリスト 005 アフタートーク&倉下メモ - ブックカタリスト

◇Radio生収録「倉下さんと打ち合わせじみたトークライブ」 | YouTube

先週は水木土日と週4で収録を行っていました。わりと忙しかった週ですが、やっぱり楽しいものです。

〜〜〜新書三冊〜〜〜

面白いハッシュタグが上がっていました。

◇#専門家が選ぶ新書3冊 関連ツイートまとめ - Togetter

ある分野の入門はまず新書三冊からというのが定石ですが、それぞれの専門家がおすすめの三冊をあげてくれるという、プライスレスな企画です。

あと以下のような記事も見かけました。

◇まずは新書から、独学を始めませんか? という誘い【新書読書】 | ちりつもFILE (β

新書を次々の紹介してくれる企画のようです。これも続きが楽しみですね。

なんにせよ新書は良いものです。カヲルくん風に「新書はいいね。新書は心を潤してくれる。リリンが生み出した文化の極みだよ」と言ってみたくなります。

皆さんもおすすめの新書があれば、ぜひ教えてください。

〜〜〜本を書く本〜〜〜

『「文章術のベストセラー100冊」のポイントを1冊にまとめてみた。』という本をパラパラ見ていました。この手の本は私もたくさん読んでいるので興味があります。

中身を見てみると「文章はシンプルに」や「読み手を強く意識する」など、たしかに頷けるものばかりです。正しいか間違っているかで言えば、正しいのでしょう。しかし、そこに書かれた正しさをすべて意識して書いた文章は、きっとのっぺりとした、何の個性もない文章になってしまうだろうな、とも感じました。AIが作った美人画像のように美人ではあるが、しかし「どこにもいない」人の顔になってしまうのです。

私も『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』で似たような趣旨のことを(タスク管理の分野で)やっているので、この手の知的活動に意味がないとは思いませんが、このような包括的なまとめだけではもう一歩足りないのだとも感じます。

文章の目的を踏まえた絵で、「正しさ」を逸脱できるような何かこそが、そこにある文章にヴォイスを宿らせるのだ、と。

とは言え、基本を学ぶことが大切なことには変わりありません。なかなか難しい問題です。

〜〜〜気になっている本〜〜〜

書店で見かけたけども、買おうかどうか迷っている本を三冊紹介します。

『2030年:すべてが「加速」する世界に備えよ』(ピーター・ディアマンディス、スティーブン・コトラー )

2030年というと、今から10年先くらいですが、そこでは大きな変化が起きていると述べる本です。「小売/広告/エンタテインメント/交通/教育/医療/長寿/金融/不動産/環境。テクノロジーの“融合”によって、大変化は予想より早くやってくる」とあり、いささか興味をかき立てられております。

『コンヴァージェンス・カルチャー: ファンとメディアがつくる参加型文化』(ヘンリー・ジェンキンズ)

インターネットによって「動員」し変革を引き起こす、みたいな未来像は頓挫しつつあるわけですが、それでもインターネットが広く人と人をつなぐツールであることには変わりありません。ゲンロンの東浩紀さんが観客の育成を重視されていたように、「参加するファン」というものをもっと肯定的に捉える必要があるのではないかと思う次第です。

『数理と哲学: カヴァイエスとエピステモロジーの系譜』(中村大介)

「哲学者カヴァイエスの数理哲学を軸に展開される、現代思想の粋!」らしいですが、哲学者カヴァイエスのことは全然知りません。しかし、本書で展開される〈重ね合わせ〉の思考にはたいへん興味があります。二項対立を越境する〈重ね合わせ〉。その思考が、状況を打破するというよりも状況へのまなざしを変えていくのではないでしょうか。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q.ご自身の七つ道具をあげてみてください。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。

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○「新しい書き方、新しい内容」

現在進めている書籍の原稿が、とうとう第五章まできました。全七章立ての(予想的)構成で進めていますので折り返し地点をまわり、後半戦に突入した格好です。

で、いきなり手前みそ全開で申し訳ないのですが、この原稿が実に面白いのです。自分で読み返していて、ほぉ〜と震えるような面白さがあります。

大げさに書いているように思われるかもしれませんが、実際にそのまま、その通りに感じています。ああ、面白いな、と。

もちろん、これまだって自分でつまらないと思うものを書いていたわけではありません。やはり届けたいのは「面白い原稿」です。しかし、過去の原稿はそれなりにうまく書けている実感はあるものの、「めっちゃ面白い!」と評価できるかと言えば、そこまでアクセル全開にはできない感じもあったのです。

いや、そうではないですね。

今自分が書いている原稿を読んでいると、以前まで書いていた原稿がいまひとつ物足りないなと感じるようになった、と表現するのが正確かもしれません。自分の評価軸(あるいは審美眼)がバージョンアップしたのです。

この新しい評価軸で言えば、これまでの原稿は──たとえばドラッカーの本がSSSランクだとしたら──、せいぜいSSかSの上位までしかいけません。悪くはない。ただし、めっちゃ良くもない。そんな感じです。

当然、気になります。そのような原稿の差異はいかにして出現したのか、と。

私が休業していた半年ほどに何か劇的な変化が訪れたのかもしれません。あるいは、齢(よわい)が40を超えたことで、眠っていた力が目覚めたのかもしれません。さまざまな可能性があり、それらを確定することはできないのですが、一番ありえる推論は「原稿の書き方を変えたこと」にあるように思います。

「書き方は、内容に作用する」

メディアがメッセージであるならば、ノウハウもまたノウハウに留まるはずがありません。それは、現実的に生み出されるものの質(クオリティーではなくディレクション)を変えてしまうのです。

■以前の執筆法

これまで何度も紹介していますが、私は今「バザール執筆法」という自作のノウハウによって執筆を進めています。当然、それを作り出す前は、それとはノウハウで進めていました。つまり、B・バザール(バザール以前)、A・バザール(バザール以後)の期間があるわけです。

では、B・バザールではどのように執筆を進めていたでしょうか。

まず最初にブレストがあります。編集者さんから大ざっぱなテーマが提示され、それを踏まえて私がタイトルと荒っぽい章立てを考え、それが了承されたら、全体の内容とそれぞれの章の内容をブレインストーミングしていくわけです。

その際は、紙と付箋をよく使いました。

紙はA4サイズのコピー用紙を使い、それを横向きにおいてエセマインドマップっぽいことをします。つまり、中心にテーマを書き、その周囲に関係しそうな要素を書き並べていくわけです。ただし、単に放射状に書くのではなく、テーマの直上(アナログ時計で言えば12時の位置)に冒頭っぽいことを書き、そこから時計回りに連続しそうな流れを配置していきます。ぐるっと回って11時あたりの位置が「おわり」に相当するわけです。

つまり、この作業ではアイデア出しをしつつも、なんとなくの話の流れをイメージしていたわけです。

もちろん、その作業は一度ですぐさま完成するわけではなく、同じ章のマップを何度も書くことは珍しくありませんでした。なんといっても、話の流れを整えるのは簡単ではないのです。

■付箋でマトリックスを

紙のマップでうまくいかないときは、付箋の出番です。

付箋は、横長のものか、もう少し幅のある(正方形に近い)もののどちらかを使います。明確なルールはないものの、強いて言えばアイデア出し・要素出しには横長の付箋を、話の流れ・構成を整えるときはやや太っちょな付箋を使う感じです。

前者は、単語をバシバシ書いていく使い方になるので記入欄が広い必要はなく(むしろ狭い方が望ましく)、後者は、概略に近いことも書くので記入欄を広く取るイメージです。

とは言え、そこまで厳密に規定していたわけではなく、そのときの気分で使い分けていたのが実際です。

付箋は、先ほどのコピー用紙に貼ることもありますし、ノートを見開きにして貼ることもあります。自宅であればテーブルの上や、壁に貼ってあるA1サイズの模造紙も設置場所として活用できます。その意味で、空間利用度が大きいのは付箋だと言えるでしょう。
*一方で、そうしたものを「保存」しておくのは難しくなります。

その付箋は、マップのように中心から広がる放射状ではなく、縦と横のマトリックスを意識して貼っていきます。全体の構成であれば、一番左の列が「第一章」の内容で、その一つ右隣が「第二章の内容」という分け方です。第一章の内容について考えるなら、一番左が「一つ目の見出しの内容」で、その隣が「二つ目の見出しの内容」となります。

このように配置してくことで、内容の塊と、その並び方を制御することができます。正統な「こざね法」の伝承です。

ともかく上記のようにして、それぞれの章に何をどのような順番で書いていくのかを決めてから執筆に取りかかっていました。もちろん、そうして決めた通りに進むとは限りません。むしろ、変わることはしょっちゅうあります。しかし、全体としては事前に決めた通りに進めよう、という意志があったことは間違いありません。

これがB・バザール時代の執筆法です。

■雑に書き、何度も書く

一方、A・バザール時代では、上記で紹介した工程をかなりの部分すっ飛ばして原稿を書き始めています。

編集者さんと方向性の合意ができたら、荒っぽい目次案のまま執筆を開始します。第一章に取りかかる前に、情報カードかアウトライナーでアイデア出しをしますが、そこでも「どんな要素がその章で出てくるか」を確認するだけで、流れのようなものは構成しません。構成は、出たことまかせで進めます。

当然、そんな状態で書かれる原稿はしっちゃかめっちゃかです(そういう状態になるのを避けるために、事前に構成を考えるわけです)。だから、そうして書き上げた原稿はもう一度書き直されることになります。というか、もう一度書き下ろされることになります。

既存の原稿を修正して完成稿にするわけではなく、まったく新しい気持ちで次なる原稿を書き下ろすのです。その二つが違うものだと示すために、第一稿をα稿、第二稿をβ稿と呼んでいます。α稿とβ稿は内容がかなり異なりますし、その次に書かれるθ稿もさらに違います。
*たぶん、これを読んで想像される違いよりも、違いは大きいと思います。

これまでは、最初に作成したテキストファイルを何度も編集することで少しずつ完成稿に近づけていましたが、今は稿が変わるたびに新しいファイルとして書き下ろしてしまいます。意味論的にも、(電子)物理的にも異なる原稿なのです。

とは言え、のれんに腕押し的に何度も書き下ろしているわけではありません。書き下ろして発見したことをベースに次の稿を書く、ということを繰り返していくのです。α稿を書けば、全体として重要なことや何が言いたいのか、個別の要素の重要度の判別がつきます。それに合わせて、流れを整えるのです。

しかし、すでにある原稿を(アウトライナー的に)操作して流れを整えることはしません。新しく見出された「流れ」を意識して、原稿を書き下ろすのです。

なぜ、そうするか。

これまでその理由が自分でも言語化できていなかったのですが、はっきりとした理由が一つわかりました。それは「作業が明瞭になるから」です。

(下につづく)

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