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DoMA-Styleの哲学


長らくDoMAについて書いてきた。最後にまとめの記事を書いてみよう。

DoMA

Depend on My Attention.

あなたの注意を重視すること。あなたの注意から始めること。

注意は行動の資源だが、現代ではそれが企業の重要な関心事にもなっている。当然、それを狙うための施策も日々向上している。

そんな中で「やりたいことのすべてをやり遂げる」や「自分の注意をすべての対象に均一に向ける」のは危険な方策だ。何に注意を向けるのか。どのような注意を向けるのか。慎重に判断していきたい。

構造構成主義

DoMAでは、自分の注意の構造に合わせて情報の構造を構築していく。これは「構造構成主義」の手法に近い。

構造構成主義 – Wikipedia

人間というのは、各人、自身が心に持っている理論体系を信奉し、その理論体系に沿ってある手順で生み出された「記述」を(それは本当は、いつのまにか学習・刷り込みされた、恣意的な規則で生まれたものにすぎないのだが)てっきり「絶対の真理」そのものだと思い込んでいるものだから、信念どうしの救いようのない対立というものが生まれている。

 そこで、構造構成主義では、それを回避する方法を採用している。つまり、「構造」ではなく「現象(=各人が感じている内容)」のほうを、より重視するのである。

「こうあるべき」という一種の規範性を帯びたトップダウンの構造に従って情報を配置していくのではなく、「現象(=各人が感じている内容)」に合わせて情報を配置していく。そうしてできあがるものは、見た目的には美しくはないが、自分にとって使い勝手の良いものになる。

バレットジャーナル よりもラディカルに

DoMAは、バレットジャーナルと似ている。デイリーがベースであり、自分なりのあれこれを作っていける。しかし、DoMAは、バレットジャーナルよりもさらにラディカルになっている。

たとえばバレットジャーナルにあるフューチャーログやマンスリーログすらも(あらかじめは)設定されていない。起点となるのはただ「デイリー」だけである。そして、その書き方すら、大きな規則はない。

そんながらんどうのような状況から、自分にとって使いやすい「配置」を作り上げていく。そういうスタイルである。

あらかじめ「正解」が示されていないと不安になる人には、ずいぶん頼りなく感じるかもしれないが、獣道こそが自分の進むべきみちなのである。それぞれの人にとっての獣道が。

情報を統一的に扱う

DoMAでは、「タスク」「アイデア」「プロジェクト」といった切り分けがない。自分が注意を振り返る対象があり、その扱いがそれぞれに異なっているだけだ。

「タスク」や「プロジェクト」という切り分けは、こうした情報をまったく扱ったことがない人間に、その概念を伝えるのには便利だが、自分で実践していくと、少々窮屈さが生まれることがある。たとえば「タスクっぽい何か」や「プロジェクトと言えるかどうか」みたいな狭間のものたちが生まれてしまい、その扱いに悩むことになる。

私がDoMAで扱っているものは、もちろんタスクであり、アイデアであり、プロジェクトである。少なくとも、そのスナップショットを取って、顕微鏡で拡大すればそのように呼べるだろう。しかし、それは静止的な名付けに過ぎない。現実はもっと、複雑に、矛盾に、多義的に動いている。

だから、個別の切り分けに必要以上に固執しない。まず、「デイリー」に情報を記録していき、それぞれをどう扱いたいのかを、「タスク」「アイデア」「プロジェクト」といった概念とは別のところで考える。そうすることで、自分にとって自然な形で情報を配置することができる。

情報の扱いを切り分ける

DoMAでは、情報を統一的に扱いながらも、それらを切り分けることはする。むしろ、統一的に扱っているから、切り分けが必要だと言える。

「今日やること」はデイリーに集めるし、中期的に長く触りたいものはデイリーの下に配置する。その中でも、特に気を留めたいものは上に移動させる。

逆に、たまに参照するだけのものは、普段目に触れている必要はないので、リンクやfavで対応する。まったく、均一な扱いではない。平等ではない。

でも、そうしないと回らないのである。私の注意は限られているのだから。

私が、ある期間に5つの対象に注意を置けるであれば、5つはHome直下においておいて大丈夫だ。しかし、10個を置いてしまうと、その内半分は扱えなくなるし、むしろどれも扱えない、という事態になるかもしれない。区別が必要となってくる。

ここでのポイントは、どれだけ私が「10個の対象に注意を向けたい」と望んだところで、脳がその限界を超えて注意力を拡大してくれることはない、ということだ。棋士のように長年強い負荷をかけていけば、徐々に注意力は拡大していくだろうが、そういう苦行を望んでいるのでない限り、注意を向ける対象は限らなければいけない。

何かに注意を向ければ、その他に注意を向けられなくなる。保存しただけで、それを「支配下」においたと勘違いしてしまい、結局何もできないままに時間が経つくらいならば、「自分が注意を向けるのはこれ」と割り切って、それ以外のものを「見えない場所」に送る勇気が必要となる。

もちろん、その割り切りは動いていい。サッカー選手が試合中にフィールドに出たり入ったりするように、「注意のフィールド」に置くものは変わってもいい。だから、注意の外に置いたものは、削除するのではなく、すぐにその場に戻せるツールがいい。アウトライナーならば、その要望に応えてくれる。他のツールだって別に構わない。

この二つ、つまり区切って、入れ替えることは、「閉じて、動かす」という最近の私のキーワードに集約される。

固定しない

注意のフィールドに置くものを動かすのと同じように、項目は自由に動かしていく。下位項目と上位項目を変更したり、ホールディングを行って項目のタイトルも変えていく。

当然、それに合わせて配置なども変わってくる。新しいリストができたり、リストが統合されたり、どこかのリストに吸収されたりする。転記したり、複製したりしても構わない。排他的な分類が機能していなくても構わない。最悪、検索すればいいのだから。

項目を固定しないこと。変化と多重を受け入れること。

とにかく、排他的な(つまり綺麗な)分類に固執しないことだ。これが一番重要な点といえる。私たちはいつの間にか、整理の整合性を維持するためだけに、膨大な手間と、考えなくてもよいことに思考を費やしてしまう。

大切なのは、情報を使うことである。注意を向けたい対象に注意を向けることである。

整理の整合性は、そのための手段でしかない。公共の図書館を設計しているのではないのだから、自分が使えればそれでいいのだ。

完全さ・完璧さに固執しない

話は重なるが、情報の整理を完全にやろうとすると、システムが巨大化し、ルールが厳密化(あるいは複雑化)してくる。

もちろん、私たちの脳みそは、そのような対象に耐えられるようにはできていない。いつしか使えなくなる。

重要なのは、使えることだ。実際的に回せていけるだけの「手間」に留めておくのが望ましい。システムの複雑さや、ルールの複雑さもその「手間」の上限に制約される。おかげで、「完全な」管理はできないかもしれないが、情報が使えているならば、まったく問題ない。その管理を評価し、採点する上司はいないのだから。

手法も排他ではない

DoMAは、手法的にシンプルというか、ほとんど何も持っていない。これは、この手法が膨大な拡張性を備えていることを意味する。この点はバレットジャーナルと同じである。

作りたいリストがあれば作ればいい。それが他の仕事術で学んだ方法でもまったく構わない。むしろ、どんどん学んで、どんどん応用していけばいい。

DoMAは、内部で項目を多義的に非-排他的に扱うが、それと同様に手法も排他的ではない。どん欲に(ある種の拡張機能のように)他の手法を取り込んでいける。

同じ目的を達成するために、人それぞれに違った手法を使うこともあるだろうし、独特の組み合わせ方で、独特の機能を発揮させされるかもしれない。

この辺は、Magic the Gatheringのようなトレーディングカードゲームと同じである。ルールは、それぞれのカードが上書きしていく。DoMAでも、それぞれにシフトアップする項目が、使い方を上書きしていく。

Start-up your method

このDoMAは、単に「これまでにない新しい手法」ということだけではない。そもそも斬新でトリッキーな技法はどこにもない。ごくシンプルなスタートの形と、その後の変化の可能性を示しただけだ。

DoMAの特異性は、それ自身が何も方法を主張していない点にある。むしろ、柔らかい土台を示し、これまでに存在したさまざまな手法を統合できる最低限度の環境だけを指し出した。そこにどんなパーツを配置し、どのように運用していくのかはあなた次第である。

つまり、DoMAは、「あなたの方法を始めるための方法」なのだ。

だから、DoMAをやり始めたからといって、これまでの学びが無駄になることはないし、これからの学びがなくなるわけでもない。むしろ、それは「あなたの方法」を構築する上で役立ってくれるだろう。

最後にもう一度だけ述べておく。あなたは「あなたの方法」で進めればいい。皆の手法にならう必要も、必然性もない。著名な手法への適応度で成績がつけられるわけでもない。大切なのは、あなたが進めやすい方法を手にすることだ。

そしてその出発点は、自分の注意に目を向けることになるだろう。

DoMA。

この考え方が、皆の情報運用に役立ってくれれば幸いである。

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これで、以下の項目は一つの役割を終えた。

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今度は、末尾の方に追加しておいた「DoMAの本を書く」が上位項目となり、この中身全体を再編していくことになる。これがDoMA-Styleということである。

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