見出し画像

他の人の文章に手を入れること/自分のツールを作る

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2021/10/18 第575号

○「はじめに」

ポッドキャスト配信されております。

◇第八十六回:Tak.さんとDrummerについて by うちあわせCast

◇BC022『英語の読み方』『英語の思考法』『伝わる英語表現法』 - by 倉下忠憲@rashita2 - ブックカタリスト

うちあわせCastはデイブ・ワイナーの「Drummer」と倉下の自作ツールについて。ブックカタリストは英語学習のための新書3冊をセットで紹介しました。

よろしければお聴きください。

〜〜〜驚異の4刷目〜〜〜

ちょっとびっくりしているのですが、拙著『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』の4刷目が決定しました。え、ちょっ、マジ?! みたいな感じです。

でもって、最近Twitterでは本の感想の他に、書店さんでドドーンと陳列されている写真も見かけるようになりました。だいたいは『ライティングの哲学』のお隣さんなのですが、直近は『TAKE NOTES!』の横に置いていただけることもあるようです。ありがたいかぎりです。

そもそもが「書くこと」を対象にした包括的な内容なので、ノートだけでなく、手帳や日記や、その他の「書くもの」とも相性が良い本です。そう考えると、売り場作り的には、お弁当の付け合わせのパスタ的な役割を持っているのかもしれません(コンビニ店員脳)。

ともかくたくさんの人に手に取っていだけるのは嬉しいことです。それにほんの少しでも、本を読んだ方が「書くこと」を日常に取り入れてくださるなら、それに勝る喜びはありません。書くことって、本当に大切ですので。

〜〜〜あのツールがとうとう日本語化〜〜〜

Notionがついに日本語化しました。といっても、メニューなどを「日本語表示」できるようになっただけなのですが、案外この手のツールは表示が英語というだけで敬遠されるので、日本語化されたことで使いはじめる方も多いのではないかと思います。

◇Notionの日本語化、あるいはデジタルノートを使い続けることについて | R-style

でもって、Notionについての解説書籍もAmazonで好評予約受け付け中のようです。

◇そろそろ Notion あらゆるデジタルデータをあつめて、まとめて、管理するオールインワンの神アプリ | 近藤 容司郎, 藤川 千種, 佐々木 歩惟, 松橋 龍貴 |本 | 通販 | Amazon

なんとなく10年ほど前のEvernoteの盛り上がりが彷彿とされます。どんなツールを使うにせよ、日常的に「ノートを取ること」が活かされるならそれに越したことはありません。

一方で、Evernoteが「とりあえず放り込んでおけば、後で見つけられる」タイプのデジタルノートツールだったのに対して、Notionは構造を決めておいて、そこに情報をはめ込んでいくタイプのデジタルノートツールになっています。このツールの主眼がデータベースであるのはその象徴でしょう。

でもって、そのような構造の作り方は、残念ながらアウトライナー=シェイク的なものとはかなり違っています。むしろ、「あらかじめアウトラインを決めて、その通りに書く」というスタンスと近しいものだと言えるでしょう。

定型的な情報を「処理」するのであれば、データベースが一番の力を発揮してくれるのですが、そうでないものはもう少し柔軟なツールを使った方が良いでしょう。Notion上でアウトラインが作れるといっても、それはある構造化の中で情報をアウトライン化できるということであって、その構造そのものを操作可能対象にしているわけではないので、WorkFlowyやDynalistとは違っています。

そうなると、適宜ツールを使い分けるのが良いのですが、厄介なのがNotionが「オールインワン」を謳っているところ。このツールでなんでも「管理」できますよ、というのがセールスポイントなわけです。

そのセールスポイントに引きずられてしまうと、うまい使い分けができなくなってしまう、というのが倉下のEvernoteの10年だったので、Notionも同じ轍に嵌まらないように今から願っています。

〜〜〜ずぼらな自覚〜〜〜

倉下は結構ずぼらです。物事を「だいたい」とか「テキトー」で済ませることがかなりあります。一方妻は、かなり細かいので二人でちょうどよいバランスという感じなのですが、あまり私は周りからズボラだと思われていません。不思議です。

おそらくは、私は自分がズボラであるという自覚があるので、それで他の人に迷惑をかけないようにさまざまな「ハック」を駆使しているからなのでしょう。何かを毎日行うという習慣化ですら、相当の工夫がないとできませんし、工夫があっても十全には達成されません。

たとえば「毎日1つだけイラストの練習をする」という日課も、当初のうちは毎日のようにやっていたのですが、だんだんと日が空くようになり、一週間に一度、悪くすれば二週間に一度という日も出てきました。「毎日」の目標はどこにいった、という感じなのですが、「まあ、自分はズボラだから」という認識があるので特に落ち込むことはありません。

むしろ「二週間も空いたのに、よく復帰できた。えらい」と自分で自分を褒めるくらいです。

でもって、そういう「褒め」も、ようするに続けるための工夫なわけです。はじめから出来ちゃう人なら、こんな工夫・苦労なんてぜんぜん必要ないでしょう。

〜〜〜2かける2マトリクス〜〜〜

「緊急・重要」マトリクスはかなり有名だと思いますが、あれを直接採用したUIのタスク管理ツールはほぼ見かけません。つまり、平面のMapが 2×2 に分割されていて、それぞれに第一から第四領域まで名前が振られていて、そこに自分の「やること」を付箋のように配置していく、というツールです。

かんばん方式のツールはよく見かけるのに、この手のツールがないのはなんだか不思議です。何か理由があるのかもしれません。

(上記の旨をツイートしたら、「緊急でも重要でもない第四象限が実務ではいらないので、実用的ではないというリプライを頂きました。なるほど)

〜〜〜便利さと共に失われてしまったもの〜〜〜

ちょっとした思いつきで、「古き良きWebページ」を探索していました。たとえば、以下のようなページです。

◇1998特報!!倶楽部

左のほうにある「Yahooに登録されました」というバッジがいかにも懐かしさを感じさせます(ちなみに、Yahoo登録は相当に名誉なことだったのです)。

で、こうした古いページを見回っていると、非常に個性的であることに気がつかされます。Tableタグなどを駆使して、凝ったデザインが為されているのです。

一方で、ブログブーム(特にWordPressブーム)以降の私たちのWebページは、ほとんど似たり寄ったりのページデザインになってしまいました。もともと「ブログ」というメディアが、Webページのスタイルを固定的に要請するようなところがありますし、WordPressのテンプレート機能もほとんど似たデザインで構成されているので、均一化に拍車がかかります。

さらに、SEOです。SEO対応で人気のテンプレートを皆が使いはじめると、画像などは違っていても、全体の雰囲気はまったく同じになります。集合住宅的な門構えです。

そこにモバイル対応が入ってきます。モバイルでの見栄えを考慮するとレスポンシブになり、それがブログのテンプレートと合わさると、ほとんど変えようがないくらい「決まり切った形」になります。Webで情報を発信するときは、もうその形しかない、というくらいのデファクトスタンダードになってしまうのです。

もちろん、そうした均一性・画一性による効率化は良いものです。でも、すべてのWebページがそのようになっていなければならない、という道理はありません。

たまにはもっと広いデザイン空間で遊んでおきたいものです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので頭のストレッチ代わりにでも考えてみてください。

Q.書店で売り場が作れるとして、「ノート本」のコーナーを作るとしたら、そこにどんな本を並べますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今週も二つエッセイをお送りします。

○「他の人の文章に手を入れること」

最近、「おーぷん・かーそる」をじわじわと進めています。

「おーぷん・かーそる」とは何か。共同電子雑誌である「かーそる」を、より開けた執筆者のもとで作成しよう、という試みです。

執筆陣が固定されていると、どうしてもテーマに偏りが出てきます。たとえば、かーそるの執筆陣には情報カードを使っている人があまりいないので「情報カードで原稿を書いてください」といってもなかなか難しいものがあります。一方で、インターネットに目を向ければ情報カードマニアはわんさかいるわけで、だったらそういう人たちに原稿を書いてもらえれば面白いんじゃないか、と考えたわけです。

現在はまず「タスク管理」をテーマにした号を考案していて、その後にObsidian(.md)やScrapboxなどをテーマにした号を作ろうかな、などと夢想しております。

で、そのプロジェクトは、Scrapboxのプロジェクトとして公開してあります。

◇おーぷん・かーそるの広場

ここで原稿を集めつつ、やりとりも行いながら、それらをすべてオープンにして進めていくわけです。その意味でも、「おーぷん・かーそる」なわけですね。

こうしてプロジェクトを公開してることには、もちろん意図があります。そしてそれは、おーぷん・かーそるを始めようと思ったもう動機とも関係しています。それは、

「ブロガーは、文章に手を入れてもらう経験がほとんどない。だったらそういう機会を作っちゃえばいいんじゃないか」

です。

自分も長らくブロガーをやっているからわかるのですが、基本的にブログは自己完結的です。自分で記事を書き、自分で公開し、自分でその結果を引き受ける。もちろん、読者さんから感想や意見を頂けることもありますが、インスタントくじでそこそこの金額が当たるくらいには稀な出来事です。でもって、そうして頂いた感想や意見も「まあ、そういう人もいるしな」と一切合切無視することも可能です。

だからこそブログは自由なメディアではあるのですが、その分、書き手には変化がありません。変化を生むにはフィードバックが必要で、しかしそのフィードバックが希少なのです。

だから、ブログはどれだけ長く書いても、それだけで「文章力」が向上することはありません。もちろん長く続ければ「書く」という行為については慣れは発生しますし、PVなどを見ていれば(嗚呼、具体的なフィードバック!)それに適した表現を身ににつけることは可能でしょうが、それは「文章力」ではありません。ブログを自己完結的に書いているだけでは、「文章力」はほとんど向上しないのです。

その点は、私が物書きになって編集者さんに原稿を見てもらったときに痛感しました。あるいは『アリスの物語』を書いたとき、藤井太洋さんにコメントを頂いたときも同様です。「このように書くと、こういう感じがする。こう書いた方がいいかも」といったアドバイスの数々が、私の「物書きとしての視力」を向上させてくれたのです。

よくよく考えれば、文章の「良さ」は推敲によって決まり、推敲とは「読者はこのように読むのではないか」というシミュレーションを走らせる行為であって、しかしそのシミュレーションはどこまでいっても書き手の脳内でしか行えない以上、「他の人のリアルな視点」を取りこめない限りは、推敲力は向上しないでしょう。で、自己完結的に文章を書いているだけだと、そうした向上が発生しないのです。つまり、いつまで経っても、自分が持つ「読みやすい文章」のレベルを上げていけないのです。

これは実にもったいないことです。なにせ読みやすい文章で伝えない限り、他の人には伝わらないからです。その人がどれだけ優れたideaを持っていても、読み難い文章で表現されていたら多くの人は──特に忙しい現代人は──見向きもしないでしょう。

逆に言うと──若干過激な言い方になりますが──、どうでもいいような情報なら、それがどう書かれていても別に気になりません。たとえば、自分用の日記が他人から読みづらく書かれていても何一つ問題はないでしょう。同様に、すでにどこかに書いてあるようなことならば、わざわざ文章を「磨く」必要を感じません。それは自己完結的なもので十分でしょう。

でも、そうではないideaもごまんとあります。おーぷん・かーそるでも魅力的な原稿(idea)が複数集まっています。そうしたものを「まあ、どうでもいいか」と世に送り出すことはとてもできません。そこに優れたideaがあればあるほど、多くの人に伝えやすい形になっていて欲しいと願います。

もちろん、製品(プロダクト)を作るのだから、それにふさわしい質にするべきという職業倫的な動機もあります。そうした動機も決して軽んじてはいけないでしょう。でも、それ以上に「良いアイデアほど、読みやすい文章で書かれていて欲しい」という思いが強いのです。

だからこそ、おーぷん・かーそるでは自分が書いた原稿を他の人からのコメント(大半は倉下によるコメント)に晒すことになります。文章上の指摘についても「おーぷん」(≒自己完結的でない)になっているのです。

そのような過程をくぐり抜けたら──少なくともそうでない場合に比べて──文章はずっと読みやすくなるでしょう。そうやって良きideaを、広く伝えられるようにしていく、というのがおーぷん・かーそるの一つの意義です。

■効果の外部性

それだけではありません。ここには多重の意義が乗っかっています。

まず、おーぷん・かーそるでの相互添削を経験すると、その経験は書き手の力になってくれるでしょう。つまり、おーぷん・かーそるの原稿が読みやすくなるだけでなく、そのような読みやすい文章を書く能力が書き手に備わることになり、他の媒体(たとえば自分のブログ)で書く際にも発揮されることが期待できます。

また、「読みやすい文章を書く能力」は単にスラスラ読める文章を書ける能力だけを指すものではありません。反論への対処や、論理性の確認など、思考する能力も含んでいます。相互添削をくぐり抜けることで、そうした能力の向上も見込めるわけです。

さらにです。おーぷん・かーそるでは、そのようなやりとりをすべてテキストベースで行い、しかも公開プロジェクトに置いています。つまり、今後おーぷん・かーそるに参加する人は過去のやり取りをすべて読むことができ、なんなら参加しない人であっても、読む気持ちさえあれば読めるのです。

文章を読むとき人はどのような読み方をし、それを意識するとどういう書き方が可能なのか、に関する「教材」がそこには揃っていることになります。

もちろんその「教材」はまったく体系的にまとまっていません。抽象的に整理もされていません。単に、具体的な事例が大量に集まっているだけです。しかし、そこまで具体的な事例集を出版物として出すのは難しいでしょう。でもって、具体的な事例の積み重ねの中ではじめて獲得される抽象性もあるのだと推測します。

ノウハウ書のように2時間でパッと読める、というような「教材」ではありませんが、ここまで実践的な──なにせ実践そのものです──「教材」は他にはないでしょう。そういうものを作ることで、単号のおーぷん・かーそるの参加者だけでなく、より「開かれた」人たちに向けて、読みやすい文章を書く技術を広げていけたらいいな、などと考えているわけです。

(下につづく)

ここから先は

7,516字 / 2画像 / 1ファイル

¥ 180

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?