見出し画像

舘神さんと手帳、あるいは道具と記録について

ご紹介いただいたので、少しだけ僕の方でも書いてみます。

倉下忠憲さんについては、過去の著書に拙著をたびたび引用していただいたりしていて、また、対象に対する考え方やスタンスが似ていると勝手に思っていた。

僕も同じように感じています。今回の新刊では参考文献には挙げてはいませんが、舘神さんの本って面白いんです。

たしか最初に「おお、これは」と感じたのは以下の本でした。

目次をご覧になるとわかりますが、ありきたりなビジネス書・ノウハウ書ではなく、手帳というツールの歴史を踏まえた上で、そこに思想的な考察が加えられています。

目次
第1章 手帳とは何か?―役割で読み解く手帳進化史(日本の手帳を方向づけた二つの手帳;共同体感覚から自由な手帳の出現 ほか)
第2章 今、手帳はどうなっているのか?―成り立ちから現代の“手帳術”を探る(手帳大空位時代の到来;イメージ商品としての手帳 ほか)
第3章 手帳のシステムを知って、独自の“手帳術”を編み出す(アーキテクチャーから手帳の選び方を考える;手帳関連書を分類する ほか)
第4章 手帳にアイテムを組み合わせて使う(手帳カバーを使う;手帳にストラップを付ける ほか)
第5章 手帳スイートを組み立てる(無理なくできる分散手帳術;ケータイでデジタルなメモをしよう ほか)

でもって、その観点をさらに発展させたのが以下の本。

私たちがなぜこれほどまでに手帳を使っているのか。その分析が実に刺激的です。

第1章 手帳以前の時間感覚
第2章 手帳が示す行動規範
第3章 手帳にあやかる人々
第4章 手帳大国ニッポンの実像
第5章 グーグル的な時間からの自由へ

舘神さんは、手帳のことをたくさん知っている、いわゆる「手帳マニア」とか「手帳オタク」的な捉えられ方をされることも結構多いと思うのですが(そしてそれは間違っているわけでもないのですが)、その実、その鋭いまなざしは手帳の奥にあるものに向けられていると感じます。

手帳という道具があり、それを使う人間がいて、その相互作用の中で生まれるシステムが、社会システムとの中でどのような位置づけを持ちうるのか。そういう分析的・思想的な観点がいつも感じられて、その点が僕の興味と重なるところだと思います。

僕も手帳好きですし、日記やノート、そしてデジタルノートなんかにも興味のアンテナは広がっています。でもって、個々の道具の話は、それぞれ楽しいものです。一方で、そうした行為に付随する、普遍的とも言える要素があって、それが何かと言えば「記録を残すこと」「自分で書き残すこと」といった行為です。そういう営為がめっちゃ大事なんだよ、ということを一冊まるまる通して論じたのが今月末に出る新刊です。

細々としたtipsは、道具とうまく付き合っていく上で非常に役立ちますが、もっとトータルに(あるいはホーリッシュに)「人が自分のために記録を残しておく行為」の重要性について今回は論じてみました。

なんかすげーデカいことを書いているようにも思えますが、できるだけ気楽に読めるように書いたので、楽しんでいただければ幸いです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?