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コンテンツの二段階設計

当記事はWeekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/06/27 第611号からの切り出し記事です。

一冊の本は、一つのメッセージで統一されているのが望ましいものです。

いろいろなことに言及していたとしても、全体として見れば、「一つのこと」を言っている状態。

そういう状態になっていれば、読者にメッセージが伝わりやすくなります。逆に、そうしたメッセージの統一がない場合、本を読み終えた読者は「で、結局何を言いたかったのだろうか」と悩むことになるでしょう。読者を混乱させたいのが執筆の意図であるならばそれで構いませんが、そうでないならばメッセージの統一は大切です。

とは言えです。

本の書き方は、一本調子で良いわけではありません。ある程度長いコンテンツであれば、緩急をつけたり、調子を変えてみたりなど、読者を飽きさせない工夫が必要になります。

でなければ、読み続けてもらえません。読み続けてもえなければ「一つのメッセージ」も伝わらなくなります。

その考えを延長すると、「最初に手に取ってもらえる」工夫の大切さもわかります。どれだけ本文で良いことを書いていても、本に興味を持ってもらえず、1ページ目を読んでもらえないなら何も始まりません。メッセージを伝えるためには、興味を持って──そして手に取って──もらうことがスタートになります。

とは言えです。

羊頭狗肉はよろしくありません。興味を惹くために誇張されたタイトルを使うのは珍しくありませんが、そのタイトルが内容とあまりに乖離していたり、非現実的な効能をアピールしていたとしたら、どうなるでしょうか。

たしかに興味を持ち、手に取ってもらえるかもしれません。しかし、内容を読んでがっかりされるでしょう。読者をがっかりされることが意図であればそれでも構いませんが、メッセージを伝えることはぜんぜんできていません。なぜなら、がっかり感は不信感につながるからです。

不信を持っている著者のメッセージなど、まともに受け取ろうとは思いませんよね。ですので、興味を持ってもらうように工夫したとしても、それが行き過ぎないような塩梅に留めておくことは大切になります。

■二段構えの構造

もちろん、上記のような工夫はとても難しいことです。そのヒントを、香山哲さんの「プロジェクト発酵記」で見かけました。

◇香山哲のプロジェクト発酵記 第4話 エッジを整える | 香山哲 | ebookjapan

漫画なので、言葉で説明するよりも実際に読んでもらった方が早いでしょう。ヒントは「二段構え」です。

届けたい人々に注目され、世間で埋もれないための門の部分と…
不明瞭で、読み手に解釈を委ねる洞窟の部分…
この二段構えでどうかな。

香山哲のプロジェクト発酵記 第4話 エッジを整える | 香山哲 | ebookjapan

入り口はわかりやすくアピールするけれども、その奥には洞窟があってその中で何が待っているのかのかはわからないようにしておく。そんな二段構えでコンテンツを構成するという考え方です。

たとえば、あなたが洞窟を提供したいと考えていたとしましょう。一歩進むたびに予想外の出来事が起こるドキドキ体験を読者にしてもらいたいのです。きっと楽しい時間になるでしょう。しかし、ただ洞窟があるだけでは、多くの人は避けて通るでしょう。何が起こるかわからないものは不気味だからです。入り口が洞窟であっても足を運んでくれるのは元から洞窟好きな人だけです。

このことは二つの意味を持ちます。一つは、「元から洞窟好きな人」はおそらくマジョリティーではなく市場規模として小さいこと。これはビジネスを考える上で大切なポイントになります。

もう一つは、「元から洞窟好きな人」に洞窟を提供することは、「橋渡し」にはなっていない点です。読者に「新しい世界」を提示できていないとも言えるでしょう。それが好きな人に、それを提供している──極端に言えば、スポーツ新聞で昨日の野球の結果を知るのと変わりありません。

別段そのこと自体が悪いわけではなく、むしろ情報発信としては必要な行為ですが、目指しているのが「この洞窟の面白さを、知らない人にも知ってもらいたい」と考えているならば、そのやり方ではうまくないわけです。

洞窟は洞窟として残したまま、しかし門をうまくデザインする。洞窟とは別のコンセプトで仕上げる。

そうした試みこそが、「橋渡し」には必要なのでしょう。

■いくつかの例

たとえば、村上春樹さんの『ねじまき鳥クロニクル』は、スパゲティーを茹でている何気ないシーンから始まりますが、一本の電話から不可思議な世界に徐々に巻き込まれていく展開になっています。

これがもし最初から不可思議な世界から始まっていたら、読者はうまく追いつけないでしょう。想像力がついていかないのです。

また、拙著『すべてはノートからはじまる』の冒頭部分は自己啓発書とよく似たノリで書かれています。そういうタイプの本を読む人に手に取ってもらいたいからです。しかし、読み進めていくと自己啓発書には書かれていないようなことが出てきます。二段構えの構造なのです。

同様に『Re:vision』の冒頭部分も、気楽なノウハウ本のテイストで書かれていますが、読み進めるとかなり思想的な内容にぶつかります。これも二段構えの構造です。

総じて言えば、あるタイプの「入り口」で始めたとしても、最後までその調子である必要はありません。逆に言えば、先で待っているのが洞窟だからといって、入り口も洞窟にする必要もありません。途中で変えていいのです。

■出口も忘れない

そのように途中で転調することで、読者をぐっと奥に引き込むことができます。しかし、引き込むだけでは不十分です。「入り口」をデザインしたならば「出口」もまたデザインしなければなりません。

その点に関して、三宅陽一郎さんが『文學界(2022年2月号) 』の中で面白いことをおっしゃられています。

三宅 メディアとして長い年月を経ないと、帰り道がつくれないんだと思います

三宅陽一郎「AI研究は世界と知能を再構築する」『文學界(2022年2月号) 』

歴史的に日が浅いソーシャルゲームなどは、ユーザーを引き込んで中毒化する能力は高いが、そのゲームからの「帰り道」がうまくデザインできていないので社会的な問題を引き起こしがち、といった文脈で出てきた言葉です。

本のコンテンツについても同じことが言えると思います。途中で読者をぐっと奥に引き込むのはよいとして、読者が本を読み終えたらその洞窟から出られるようにしておかなければなりません。でなければ、読者を閉じ込めることになってしまうでしょう。

上記は一種のメタファーですが、実際的な意味合いも強くあります。「この本さえ信じていれば、救われる」という形にしてしまっては、最終的には読者にとってよい事態はもたらさないでしょう。

読書中は洞窟の奥に引き込んで、夢中になってもらって構いません。でも、それが終わったら、落ち着いて「自分の洞窟の体験」として振り返り、仮に間違ったことが含まれているならば冷静にそれが指摘できるようでないといけません。

個人的にはここも「二段構え」の考え方が使えると思います。途中の段階は、徹底的に「自分の世界」を構築すればいいのです。それを相対化して、主張を生ぬるくする必要はありません。その代わり、コンテンツの最後の最後で、全体を相対化する視点を提供するのです。そうすれば、読者はコンテンツから出るときに、改めてそれまでの体験を考え直すことができるでしょう。

こんな風に考えると、コンテンツ作りも一本道ではなく、テーマパークの設計のように捉えられそうです。入り口をどう作り、中でどう楽しんでもらって、最後にどう帰っていただくのか。その全体像をデザインしてくわけです。

そう考えると、本作りってなかなか面白そうに思えるでしょう。でもって、実際に面白いのです。これ以上ないくらいには。

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