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思考のアプリケーション / Evernoteのシン運用

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2023/05/29 第659号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇第百二十七回:大橋さんとEvernoteのこれまでとこれからについて 作成者:うちあわせCast

◇第百二十八回:Tak.さんと四方山話 作成者:うちあわせCast

◇BC064 『体はゆく できるを科学する〈テクノロジー×身体〉』

うちあせCastは、大橋さんとEvernoteについて、Tak.さんとはさまざまな話題について語りました。

ブックカタリストでは、伊藤亜紗さんの『体はゆく』をごりゅごさんに紹介していただきました。

〜〜〜4Pサイト〜〜〜

うちあわせCastでもお話したのですが、ブログで「4Pサイト宣言」という記事を書きました。

◇4Pサイト宣言 | R-style

◇4PサイトとCDEF | R-style

何かものすごいことを言っているわけではありません。ようは「普通のWebサイトを作ろう」という話で、言ってしまえば「昔のWebサイトって良かったよね」という話でしかないとも言えます。

しかし、一時期アフィリエイトブログが強力な勢力になったとき、それに対抗できる概念の持ち合わせがありませんでした。「アフィリエイトではないブログ」のような否定形でしか提示できなかったのです。そうなると「じゃあ、どういうものを目指したらいいのか?」という指針が欠落します。後から続く人は困惑するでしょう。

ある時代のインターネット民は、「普通のWebサイト」しか存在しておらず、必然的にそれがロールモデルになっていました。しかし、ある時機以降はアフィリエイトブログが登場し、しかもそれらがSEOに非常に特化していたので、目に入るサイトが一様にそうしたブログに染まっていったのです。外来種が既存の生態系を席巻するのに似ているかもしれません。

そうなったら、インターネットを使って何かをしようと思えば、必然的にアフィリエイトブログになってしまうでしょう。それだけがロールモデルとして目に入るのだからそうなります。

かといって、「普通のWebサイト」がSEOでそうしたサイトに勝てるとは思いませんし、勝とうと思うなら同じ土俵に経つことになります(同じ穴のムジナになる、ということです)。それはさすがに本末転倒でしょう。

本来これはGoogleになんとかして欲しい問題なのですが、すでにGoogleにはあまり期待できない状態になっています。彼らはWebに情報がありさえすればよく、個人とインターネットの関係の健全化などプライオリティーにあがりすらしないでしょう。

だからこその4Pサイト宣言です。否定形でもなく、かといって具体的すぎない(つまりテンプレートにはならない)形でロールモデルになるような概念を提示すること。それがこの宣言で目指していることです。

こうして宣言するまでにかなりの時間がかかってしまいましたが、「一周回った後」でようやく言えるようになった感覚があります。だって、もしかしたらアフィリエイトブログこそが正解だったかもしれないのです。でも、時間が経ってみるとそうではなかったことがわかりました。予感からではなく結果から言えるようになったのです。

もちろんこの宣言はまだまだ粗いものです。突っ込みどころもきっとあるでしょうし、どんな意義があるのかも掘り下げて検討していく必要があります。とは言え、一つの土台はできたかな、という印象です。

どうでしょうか。皆さんはどんなWebサイトを好ましいと思っておられますか。どんなサイトを読みたいと、どんなサイトを作りたいと思っていますか。ぜひご意見をお聞かせください。

というわけで、メルマガ本編をスタートしましょう。今週は、大きめのエッセイを二つお送りします。一つは、思考のパターンについて。もう一つは、新しいEvernoteの使い方についてです。

「思考のアプリケーション」

前回は、ナレッジベースで「考える」ことが必要である点を確認しました。知識を蓄えることではなく、手にした知識から何かを考えることがPKMにつながっていきます。

では、その「考える」の中身とは何なのか。その点を検討していきましょう。

■「考える」と「思う」

具体的な話に入る前に、まず「考える」という言葉について"考えて"おきましょう。

日常的に使われる「考える」は多様です。脳内で行われる情報処理全般に適用されているのではないかとすら思います。「もっとよく考えてから行動しなさい」のような言説は、わかるようでいて、具体的には何が明示されているのかは曖昧です。

とりあえずここでは「脳内で行われる情報処理のうち、意識的なもの」を指すことにしましょう。脳は情報処理を常に行っていますが、それらのうち無意識のものは「考える」に含まれません。それは「思う」という言葉に担ってもらいます。

この分け方はそれほど恣意的なものではありません。たとえば「考える」は、意識的に取れる行動として扱われます。先ほどの「もっとよく考えて」という言説はそれを示しているでしょう。

一方で「思う」はそのようには扱われません。「もっとよく思って」などとは言わないでしょう。「思う」というのは、非自発的というか一種の反応的なものとして扱われているわけです。

よって「思う」が非意志的・無意識的な情報処理反応を指し、「考える」がそうではない情報処理反応を指す、というのは私たちの素朴な感覚に従っていると言えます。

■思考とアプリケーション

さて、「考える」の内実は多様である点に言及するとき、私はよく「パソコンを使う」と同じだよね、という話をします。

一口に「パソコンを使う」と言っても、Wordを使うのかPhotoShopを使うのGarageBandを使うのかでそこで行われる作業はまったく違ってくるでしょう。「考える」もそれと同じというわけです。

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