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第十一回:Open your mind, close your list. その2

もしまったくリストを閉じないで一日を進めていけばどうなるでしょうか。

リストをまったく閉じないということは、入り口と出口の境目がなくなることを意味します。境界線が消えるのです。つまり、一見デイリータスクリストのような形をしていても、それは実質的にすべての「やること」を含んだTodoリストと変わらなくなってしまいます。

図を用いて説明してみましょう。

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デイリータスクリストを作るということは、上記のように「その日」のノートなり項目を作って、その日にやろうと思うことを書き留めていくことを意味します。

しかし、ここにいくらでも自由に入れて、いくらでも自由に出ていけるなら、実質的にこの「囲い」の意味はなくなります。つまり、以下のような状態と等しくなるのです。

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これではもはや「デイリータスクリスト」とは呼べません。

何が違うのか

では、二つの状態で何が違うのでしょうか。

たとえば、次に何をするのかを決めようとするとき、境界線がなければ、すべての「やること」がその候補に上がってしまいます。その知的作業(判断)が大変だからこそ、デイリータスクリストを作るのでした。

同様に、何か新しい作業が突発的に発生したときに、今その作業をやるのか、それとも別の作業をするのかを判断するときにでも、リストが開いているとすべての「やること」が比較対象として上がってしまいます。この判断も極めて大変なので、さぼりがちな脳は即座に「やります!」と反応してしまうか、逆に何も考えずに「やらない、無視、無視」とスルーしてしまうかのどちらかになってしまうのです。つまり、「考える」(判断する)という作業が抜け落ちるのです。

デイリータスクリストとして「囲い」を作っておけば、判断はその中だけに限定されます。もちろん頭を使うわけですが、その範囲は限られているので可能な知的作業となります。言い換えれば、デイリータスクリストを使うことで、意義ある「考える」が実行できるようになるのです。

囲うことで考えられる

現実の運用において「絶対に新規タスクを追加しない」という厳しい規律は守るのが難しいですが、「安易に新規タスクを追加しない」という規律ならば現実的でしょう。でもって、それはタスクを追加するときに「考える」という工程を挟み込むことを意味します。

そして、その「考える」がうまく発動するためには、リストが「閉じられている」ことが必要です。開ききったリストでは、脳はうまく動いてくれません。結果的に「反射的」な行動に陥りがちです。

必要なのは、区切ることです。あるいは、狭めて考えることです。

そのようにして、はじめて頭は働くようになってきます。つまり、リストを閉じておくことで、心が働くようになってくるのです。

さいごに

無限の中の無限はつかみ所がありません。無限の中を有限化するときに、はじめてその「つかみ所」が生まれてきます。だからこそ、デイリータスクリストは閉じておきましょう。これは守るべき教義ではありません。現実的・実践的な運用なのです。

というわけで、デイリータスクリストの理想と現実を比較してみました。実は他にも、「理想通り」にはいかないことがあります。それがメモの扱いなのですが、それについては次回お送りしましょう。

(つづく)

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