スゴイ人、ランキング、ひねくれもの
※全文を公開している「投げ銭」スタイルのノートです。
@kazumotoさんの以下の記事を読みました。
自己顕示欲なんて、胸に秘めておくくらいでいい(Find the meaning of my life.)
本当にスゴイ人は自分のことをスゴイだなんてワザワザ声高に発信したりしないものですしね。
たしかにそうかもしれません。
それはそれとして、以下のようなコメントも見かけました。
自己顕示欲というより、食っていくためのプロモートなんではないかと想像しています。羽振りの良さそうなところ見せておかないと、お仕事が来ないみたいな。>>自己顕示欲なんて、胸に秘めておくくらいでいい http://t.co/kR8rfnvC5M @kazumoto
— あおのうま (@uma_blue) 2014, 6月 3
これは大いにありそうな話です。
少し考えてみましょう。
「本当にスゴイ人は自分のことをスゴイだなんてワザワザ声高に発信したりしない」
という状況があるのならば、そのスゴイ人は、誰からスゴイという評価を得ていることになります。でなければ、上のようなことは言えません。
つまり、わざわざ自分から「スゴイですよ、俺」なんて言わなくても、しっかり能力を持っている人は、それ相応の評価を回りからゲットしている、ということです。
でもそれは、もしかしたら「見る人が見たら」な状況なのかもしれません。つまり、本当にスゴイにもかかわらず、世の中から見出されてない人がいる可能性がある、ということです。
世の中に見出されていないスゴイ人がいるならば、その人が「俺ってスゴイですよ」と言うのは、ある部分では仕方ないかもしれません。本当に、その人がスゴイのかどうかは、その後にしっかり評価されるべきでしょうが。
評価。
評価について考えてみましょう。
高度情報化社会になっても(あるいはであるがゆえに)ランキングというのは、販売において強力です。「今、売れてます」が効果的な宣伝文句なのです。
それは目利きを他人に託している人が多い、ということです。つまり、スゴイかどうかの評価を自分の中で行えない、ということでもあります。
もし、世の中にそういう人の数が多いなら、「俺ってスゴイですよ」と言ってしまうことは、方向性的には、特にプロモーション的には間違っていないでしょう。「おいしい牛乳」というのは、すごく効果的なネーミングだと思います。
もちろん、それを鬱陶しいと感じる人もいるかもしれません。でも、それ以上に惹きつけられる人がいるならば、市場というバトルフィールドでは、その方法論が生き残ります。
昔、相当に昔、コンビニでパンの発注を初めて担当したときの話を思い出しました。
そのとき、私はCDショップ(あぁ、懐かしきCDショップ)の真似をして、「今週のパン販売ランキング」のPOPを作成しました。特に難しいものではありません。コンビニはPOSで販売データを管理しているので、ランキングは瞬時に作れます。ボードを手作りし、そこにパンの名前を書いたカードを貼り付けて、順位を表示するだけ。
そのランキングを掲げると、販売データはどのように変化したか。
もちろん、一位についた商品が、それまで以上に売れるようになりました。私は、この瞬間__たしか20歳ぐらい__、なるほど物というのは、こうやって売るのか、ということを知りました。
世の中の販売なんて、そうやって作られていくのです。
だから、ひねくれもの私は、そういうルートには進まないでおこう、とも思いました。ゲームでも人生でもハードモードを選ぶのが楽しいのです。
「スゴイ」と言っている人は、たぶんプロモーションなのでしょう。世の中の多くの判断が、そういうもので動いているのですから、否定しようもありません。
普通に、聞き流しておくのが精神衛生上はよろしいかと思います。
八百屋さんが「らっしゃい、らっしゃい、安いよ、安いよ〜」と売り込みをかけているようなものです。それにいちいち「本当に安いんですか。あのスーパーと比べて?」なんて反応はしないでしょう。それと似たようなものかもしれません。
しかしながら、世の中の判断のすべてがランキング依存なわけでもありません。そうではない判断も世の中には(数は多くないにせよ)存在しています。
それは、私が本を書いて、あるいは有料メルマガを運営してみて、実感として言えることです。
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