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大学生の頃にタスク管理を学んでおきたい理由

小学校から高校くらいまでは、だいたい「時間割」が設定されています。どの時間に、どんな授業があるのか。学校が設定したカリキュラムに従って、生徒は勉強することになります。

これは一見不自由なようですが──というかまさに不自由なのですが──、「どんな時間に、どんな授業を入れるのか」を自分で決めなくてもいい、というメリットもあります。選択ってなかなか難しいですし、結構な失敗も起こりうるので、学校があらかじめ決めてくれるのは配慮ではあるでしょう。

はじめての裁量

一方で、大学です。自分で講義を選択する、という自由──またの名を裁量──が学生には与えられます。一回生のうちにバリバリ単位を取ってもいいですし、後から巻き返すことも可能。そういうルートを学生自身が選べるわけです。自由サイコー。

そうですね。結果、バイトに明け暮れたり、雀荘に通うなどして学生生活を満喫しながら、後々痛い目にあうことになります。自由って、つまりはそういうことです。

単位の話だけではありません。卒論という、厄介なアウトプットが課せられる人も多いでしょう。マウンテン富士のように長大な登山が要請されます。

それがもし、夏休みの読書感想文程度なら、一夜漬けで乗り切れるかもしれません。あらすじ、あらすじ、あらすじ。「主人公の行動に僕はとても感動しました。僕もこれから主人公のように生きていきたいです」。体裁だけは整えられます。

しかし、卒論でこれは難しいでしょう。不可能とまでは言えないせよ、できあがるものがろくでもないものになる結果は簡単に未来視できます。どうしたって、事前に準備し、段階的に進めていかないと、かっこうがつくものは提出できません。

そして、最後に就活です。これまた非常に裁量の大きい活動です。どの業界、どの会社に、どう面接を受けに行くのか。先輩や会社訪問はどうか。一緒に活動している学生たちの動向・情報はどうか……。すさまじいまでの段取り力が要求されます。でもって、それが後々の自分の人生にダイレクトに影響を与える(かのように感じられる)のです。気を抜いている暇はありません。

一歩手前だからこそ

結局、のほほんと高校生活を送っていると、大学生になって急に大人として扱われ、裁量(またの名を自由)を与えられたときに、慌てふためくことになってしまいます。そんな段取りの仕方なんて教えてもらっていないわけですから。

でも、大学生活がモラトリアムだと言われるように、実際のところ、これは準備運動みたいなものです。なぜなら、大学を出て働くようになったら、よりいっそう大きな裁量が与えられ、それをマネジメントしていくことが当然のように求められるからです。というか、それが「仕事」の一部なのです。

だから、大学時代のうちに、タスク管理を代表とするセルフマネジメントについて学んでおくことはとても有効です。なんといっても、その後の人生においた度々顔を出すスキルなのですから。

一番裁量があるもの

そうなのです。これは「仕事」をうまくこなすだけの話ではありません。結局のところ、大人になるということは、自分の人生について裁量を持つことです。もちろん、その裁量をどう使うのかは個人の自由ですが、否応なしに自分で決めなければならない事柄が湧いて出てくるという事実は変わりません。

その事実に慣れていないと、他の人に決断を委ねることになり、よくわからいセミナーに通うことになってしまいます。あるいは、会社が与える「やること」を自明のこととして受け入れてしまい、そこから逃げるという選択ができなくなってしまいます。

だからこそのタスク管理です。

タスクを決める中で見えてくるもの

タスク管理を学ぶことは、タスクを効率良くこなす術を身につけることだけを意味しません。入門から中級くらいまでは、その辺りが視野に入ってきますが、それを過ぎると「自分のタスク」について考えるようになってきます。なぜなら、やらなければならないことに対して、自分ができることは有限だからです。

「優先順位をつけましょう」

とタスク管理ノウハウは告げます。たしかに、優先順位は大切です。何をして、何をしないのかを決定しないと、私たちはいずれタスクの洪水に押し流されてしまいます。

でも、優先順位って何でしょうか。それを決めるためには「自分にとって何が大切か」を考えなければなりません。あるいはそれは「考える」ではなく「見出す」がより適切なのかもしれません。価値観という思考と、反応という肉体の〈行ったり来たり〉によって浮かび上がるもの。

そうした基準を掴まえることによって、私たちは何をするのか(何をしないのか)を決められるようになります。ここでは、効率化はさほど役には立ちません。役立つのは、それを決めた後のことです。

さいごに

タスク管理は、自分の「やること」を管理します。

高校生時代までは、その「やること」は所与のものとして学生に与えられていました。しかし、裁量が手に入るにつれ、「何が自分のやることか」を考える必要が出てきます。そして、その問いを突き詰めると、「自分とは何か?」という小難しい問いに向き合うことになります。

もちろん、その自問にはっきりした答えを出す必要はありません。というか、「答え」を出して安心してしまうと、今度はそれに引きずられてしまう危険性があります。「自分」が固定化してしまうのです。

でも、だからといってその問いを一切無視していい、という話にもならないでしょう。節目節目で、「結局、自分は何をしたいんだろうか」と考えることは、無駄ではありません。少なくとも、自分の行為とそこから得られる納得感をアジャストメントする効果は期待できます。

でもって、それが巡り巡って目の前の「やること」に影響を与えるのです。

だから、はやいうちにタスク管理の考え方と技法について触れておくのは悪くありません。以下の本は、そうした接触が、よきものになるように願いを込めて書きました。

この記事はR-styleとのクロスポストです。

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