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DoMAの操作 デイリーベース・ホールディング

DoMA式では、「その日の項目」が作業場所となる。

よって、一日は「その日の項目」(以下デイリー)を按配するところから始まる。

私はWorkFlowyのテンプレート機能を使ってひな形をコピーし、そこに項目を書き加えたり、移動させたりして按配している。

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(引き出しを開ける)と書かれているので、デイリーの上に置かれている「ひき出し」と「■今週のあれこれ」を開ける。

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「ひき出し」には、時期を問わない通奏低音的な情報が(たとえば指針やクレドといったもの)が入っており、「■今週のあれこれ」には、そのときに触っている「プロジェクト」的なものや、スケジュール情報などが記載されている。この二つの項目を開く。

で、ここで問題になるのが、その「プロジェクト」的なものの定義だが、DoMAのネーミング由来の通り、それは「私の注意のスタイル」に合わせたもので構わない。GTD的なプロジェクトの定義を参照する必要も、それに従う必要もない。単に私がそれをプロジェクトだと、もっと言えば注意を継続的に注いでいきたいと感じたものが「プロジェクト」である(その名称すら必要ないのだが、説明のために持ち出している)。

たとえば以下のような項目が「プロジェクト」的なものたちだ。

▼『僕らの生存戦略』第二章のシン・書き下ろし
▶︎MindGardenの制作
▶︎Python 3の独習
▼DoMA式を研究する

三角の向きが二種類があるが、特に意図はない。何か意味を持たせてもいいし、持たせなくても言い。なにしろ、私を注意をベースにしているのだから、そういうことになる。

で、こうした項目を、デイリーを作成したときに、まるっとそこに移動させる。で、たいていはその日には終わらないので、そういうときは、ここに(つまり、■今週のあれこれに)戻すことになる。引き出しから取り出し、デイリーに入れ、デイリーから引き出しに戻す。その繰り返しで、「プロジェクト」的なものは進行していく。

スケジュール的なものは、たとえば「7月22日 運転免許証を取りに行く」といった項目がある。鋭い方はすぐに気がつくだろうが、これは「今週」の話ではない。別にそれでいいのだ。私が「7月22日 運転免許証を取りに行く」を「■今週のあれこれ」として扱いたいと思ったらからそこにいれる。

何度も言うが、DoMA式では分類の正確性などは二の次である。自分がその情報をどのように扱いたいが重要なのだ。だから、「■今週のあれこれ」「■今週以降のあれこれ」みたいな分類のための項目は作らない。ほとんど用をなさないばかりか、手間がかかるだけだからだ。

で、スケジュールは達成したらコンプリートにして、最終的には消してしまう。ログは別の場所に残しているから問題はない(ログがない場合は、デイリーをどこかに保存しておくのがよいかもしれない)。

ちなみに、何を「スケジュール化」して「■今週のあれこれ」に入れておくのかも、完全に自分次第である。燃えるゴミや、メルマガの締め切りは曜日が関係しているが、スケジュールにはしていない。そこに特別な注意を向けたいとは思っていないからだ。しかし、来月粗大ごみで、捨てたいものがあったな、という場合はそれを書き込む。そういう運用である。

こういうのは注意しておかないと、次々に書き込みたくなるが(コンプリート欲求と呼ぼう)、あくまで自分の注意ベースで進めることだ。気にしていないもの、気にしようと思っていないことは載せない。それでミスが起きても、気にしない。次回以降に改めたらいいことだ。あらかじめ、すべてを網羅ようとしないことを肝に銘じる。

ホールディング

で、プロジェクト的な毎日参照される情報は、デイリーとひき出しを行ったり来たりするのだが、そうでないものは、ホームの下に移動することになる。

ここでも、項目たちはじっとしていない。

たとえば、以下に「Miro」という項目がある。Webサービスの名前だ。

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このMiroを少し触ってみて気になったので、項目は消さないで上位にシフトアップさせておく。

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しかるのちに、じっくりと部屋部屋を眺める。すると、近しいものたちが見つかった。

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もう少し言うと、まず「▼PlantUML」が似ているなと思い、その「似ている」感覚に「▼アナログノートの探究」が通じる感じがした。だから、それを近くに寄せる。で、「▼アナログノートの探究」を開いて眺めてみる。

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そうか、と思い至った。私は「手書き」(を表現するための)ツールを欲しているのだ。その一手段がアナログノートであり、別の手段がMiroやPlantUMLである。よって、これを合わせる。

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これで項目が一つにまとまっただけでなく、上位項目の名前が変わった。

ここで、次の記事を引き合いに出す。

忙しい人ほど日記を書いたほうがいい理由と、日記の効用を引き出すための書き方 | シゴタノ!

従来のテキストファイル(文字のみ)に加えて、Evernoteのノート(画像や写真も扱える)も含めた全体を「日記」と呼ぶことになりました(日記の持ち株会社化)。

「日記の持ち株会社化」とは面白い表現だ。でもって、先ほどの私の項目の操作にも似たところがある。簡略化してあるが、やっていることはようするに、三つの項目があり、その項目の親となる項目「手書きの探究」を作り、その項目化に三つの要素を配置して、並びをフラットに整えた、ということだ。ようするに、これら三つの項目は「手書きの探究」ホールディングスの傘下に入ったというわけだ。

というわけで、この操作を「ホールディング」と呼ぶことにしよう。

もちろんこの操作は、アウトライン・プロセッシングにおける「レベルアップ」と同じであるのだが、私のやり方ではHomeより上に構造ができない関係上「レベルアップ感」がないので、こう呼ぶことにする。

とりあえず、上のやり方からわかるように、DoMA式では、単に注意をベースにするだけでなく、自分の注意を変異させるような知的運動も含まれている。その運動の中で、項目の内容を書き換え、不要なものを削除していく。そうした知的運動が、いわゆるレビューに相当し、私の注意と、そこにある構造を一致させるだけでなく、私の注意をアップデートする行為にもなっている。

さいごに

ご覧の通りやっていることは、極めて単純である。完成されたシステマティックな方法論と比べると、原始的とも言えるかもしれない。

それでも問題なく使えるし、それ以上に構造が無駄にややこしくならないメリットがある。あなたの注意が複雑ならば、そこにできる構造も複雑になるが、あなたの注意が複雑なのだから、それは使える範囲に収まっているはずである。あなたの注意が単純なら、そこにできる構造も単純になる。それでいいではないか。

何度も繰り返すが、DoMAでは「自分の注意」が重要である。タスク管理手法がいかに「プロジェクト」を定義づけようとも、あなたがそれを定義づけるかの方が重要なのだ。そして、それは明確な言葉にならなくても構わない(言葉にしようとする努力は有用だが)。むしろ、「それが何であるか」よりも、「それをどう扱いたいか」の方が重要なのである。

やってみるとわかるが、私たちは案外「この情報をどう扱いたいのか?」を自問しないまま、情報を扱おうとする。たいていそれは他の誰かが提示した「こういう情報は、こうあつかうものです(あるいはべきものです)」というフレームワークをそのまま引き受けている。むろん、それは初期の段階では必要なのだろう。無から有を生み出すことはできない(と思われる)。しかし、どこかの段階で、ブースターを切り離し、自身で舵取りしていく必要がある。そう、ここでも出てくるのは「舵取り」なのだ。「意のまま」ではない。そこが大切である。

では次回は、DoMA式の始め方について考えてみよう。

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