Medium、Frontback、そして…

※このノートは、全文が公開されている「投げ銭」スタイルの有料コンテンツです。

最近触った、二つの新しいサービスのお話から始めます。

一つはMedium。ブログの表面にペリペリ張り付いてしまったものを、バリっと引きはがしたサービス。文章を書く、それを読む。非常にシンプルなスタイルです。

もう一つが、Frontback。二枚の写真を上下につなげて、公開するサービス。これについては、R-styleでも紹介しました。
Frontbackはうまく使えないんだけれども

この二つのサービスを触って最初に感じたのが、「あぁ、パワーゲームじゃないんだな」ということです。

Frontbackは、フォローした人の写真が回ってきます。そこで分かるのは、写真とそれについたLikeの数だけ。写真を撮った人が、何人のフォロワーを抱えているのかは、明示されません。

そういうコンテキストははぎ取られているのです。

あくまで評価の対象は写真であり、写真こそがFrontbackの主役です。

だから、Frontbackで1000のLikeを集めても、フォロアーが500人いても、そこに権力は発生しないのです。ただ、良い写真を作れる人なんですね、という評価オンリー。

Twitterの場合、そんなにシンプルに話は進みません。

有名人はフォロワーが多いので、フォロワーが多いことが権力の指標として機能してしまうことがあるのです。だから、必死にフォロワーを集める人も、それをビジネスとして提供するサービスも生まれます。

本質とズレたゲームが始まってしまうのです。

たんに、面白いツイートをする人だね、という指標だけには留まってくれません。

Mediumはどうでしょうか。

たしかに面白い文章を書けば、レコメンドは集まります。でも、それだけです。それで必死にPVを稼いでも、その人の権力性には結びつきません。私のブログは○○PVです、という言説には結びつかないのです。

だから、Mediumで炎上ネタを買いても虚しいだけです。費用対効果が悪すぎます。

変換できれば、力になる

ブログは面白いものですが、面白くないブログもあります。

それは、PVの高さ=コンテンツの評価、とはなっていないからでしょう。

人はときどき、ただ批判するためだけに、あざ笑うためだけにブログへのリンクを踏みます。ただ、バカにされているというだけでPVが集まるのです。それを「評価」と呼ぶことができるでしょうか。

PVを貨幣に変換できるなら、おそらく言えるのでしょう。その人がある種の「力」を持っていることは確かです。

でも、それはそのままその人のコンテンツが評価されていることを意味してはいません。

「無料だから」と「有料でも」

少し前にふと考えたことがあります。

毎日読んでいるRSSや、タイムラインに流れてくるリンク。

もし、これらを読むために5円支払う必要があったら、どうなるだろう、と。

きっと、半分以上は読まないと思います。5円は別に高い金額ではありませんが、5円支払ってまでは読みたくない文章がたくさんあるのです。

もちろん、それは悪いことではありません。

無料だから読める、読んでもらえる、という関係によって広がることはたくさんあります。

でも、私の本棚には未読の本がたくさんあります。それらはお金を支払って読もうと確保したコンテンツです。

一方、ウェブではお金を払ってまでは読みたくないコンテンツに時間を使っているのです。これは、何かバランスが悪いですね。

私は、5円支払っても読みたいと思えるウェブソースに時間を使うことにしました。そして、極力「無料だから」読んでいる記事とは距離を置くようにしました。

完璧に満たせているわけではありませんが、時間の使い方としては、そちらのほうが良いような気がします。

アクセスの質ではなく、量が価値に変換されるなら、コンテンツの発展は当然のように「質より量」ということになるでしょう。それらは、書き手の心がけだけでどうにかなるものではありません。

システムの力は強いものです。

どこに行くのだろうか

「無料だから読む」、から「有料でも読んでみたい」へ

あるいは、無料で読んだけど、お金を支払いたいへ

これまでとは違った評価軸が生まれれば、生まれてくるコンテンツも変化していくでしょう。そういう世界が、今からとても楽しみです。

※このページの内容は以上です。「投げ銭」歓迎しております。

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