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インボックスの重要性 / アトミックノートとトピックノート / セルフ・スタディーズからはじめる

Weekly R-style Magazine ~読む・書く・考えるの探求~ 2022/11/14 第631号

はじめに

ポッドキャスト、配信されております。

◇BC050 1年で表現する『超圧縮 地球生物全史』 | by goryugo and 倉下忠憲@rashita2

今回は『超圧縮 地球生物全史』をベースにした「地球史」をごりゅごさんがコンパクトにまとめてくださりました。

いろいろなものが織り込まれて語られるお話は、実に楽しいものです。

〜〜〜すべてを「ひとつ」にはまとめない〜〜〜

11月9日、Notion日本語版が正式にリリースされました。

◇Notion、遂に日本で本格展開!

私は熱心に使ってはおりませんが、それでもノートツールが普及するのは喜ばしいことです。今後も身近なデジタルノートとして、発展してくださればと願います。

で、それはそれとしてTwitterで見かけたNotionのプロモーションツイートかなにかで「タスク・メモ・Wikiのすべてをひとつにする」といった文言を目にしました。間違いなく、2010年の倉下ならばビビーンと来て即座にNotionに課金していただろうフレーズです。まさにそれが求めていたものだ、と。

しかし、2022年の倉下は一歩引いたスタンスにあります。たぶんそれらは「ひとつ」にまとめない方がいいのだろうな、と。

もちろん、それらの情報が一つのツールで扱えるのは好ましいことです。あれやこれやと切り替えるのは面倒なことは間違いありません。しかし、単一のツールで扱うことによって、「すべてを同じオブジェクト」として操作しなければならないとしたら、それは合理的とは言えないでしょう。

タスクやメモやWiki(ナレッジ)が、それぞれにオブジェクトだとするならば、そのプロパティやメソッドが同じであるはずがありません。ということは、それを表すUIもまた変わってくるのが自然です。

にもかかわらず、単一のツールで扱いたいがゆえにそれらのオブジェクトを「均一なものとして見なす」のは、オブジェクトの個性を軽視していると言わざるを得ません。情報を操作する自分が主体であり、そこで扱われる情報については「群衆」のようであって構わない、という姿勢です。

Textboxを自作していても思いますが、それぞれの情報が活躍する舞台は異なります。情報を(コントロールではなく)「マネージメント」するというならば、それらの情報が活躍できる舞台を作ってあげることが必要でしょう。

そのような考え方は、情報マネジメントの主眼を利用者から情報へと転換させるコペルニクス的転回と言えるかもしれません。

〜〜〜何を為すのかの手前〜〜〜

「何を為すのか」が問われることが多いのですが、何かを「為す」ことはそんなに簡単ではありません。すぐにはうまくいかなかったり、思い通りにはならなかったりします。

ゆえに「何を為すのか」ばかりを考えていると、不平不満がたまります。あまりよろしくはありません。

よって、「何を為すのか」の手間にある「何にエネルギーを使うのか」にフォーカスする方が精神的にヘルシーでしょう。生産にエネルギーを使うのか、それとも他人を罵倒することにエネルギーを使うのか。そういったこと選択だけを「自分の影響の範囲」だと考えて、その結果として何を為せるのかは(ある程度)天運に委ねるわけです。

また、上記の「エネルギー」は行動に関する視点なので、認知に関する視点として「何に注意を向けるのか」を加えてもよいでしょう。金銭的利益に注意を向けるのか、瞬間的な反応に注意を向けるのか、あるいはそれらとは違うものに注意を向けるのか……。

「注意を向ける」のは自動的な反応ですので、意識的に取り組まなければ、自分が何に注意を向けているのかもわかりません。つまり、注意を向けることにまず注意を向ける必要があるわけです。

そういう場合に、ノートを書くことは本当に有用です。後から振り返って、自分がどんなことに注意を向けてきたのかがよくわかります。そこには嬉しくないことも含まれているでしょうが、だからこそ意味があるのだと言えます。

〜〜〜ノートテイキング〜〜〜

以前、『すべてはノートからはじまる あなたの人生をひらく記録術』の読書会で、「ノートテイキングという言葉があるのに、わざわざノーティングという言葉を使ったのはなぜですか」という質問を頂きました。

「たしかに」と言わざるを得ない質問です。しばらく考えました。

一つには、日本語だと「ノートテイキング」という言葉はほとんど使われていない、という理由があります。英語表現だとよく出くわすのですが、日本語で(特にカタカナで)見かけることはほぼありません。よって、中途半端になじみが薄い言葉を使うならば、インパクトのある新しい言葉を使ったほうがいいのでは、という感覚があったのではないかと、そのときは答えました。

で、しばらく前に別の理由にも思い当たりました。それは「ノートテイキング」という言葉の範囲の狭さです。

「ノートテイキング」は、そのまま受け取れば「ノートを取る」という行為だけを対象とします。それ自体はぜんぜん構わないのですが、『すべてはノートからはじまる』で言及しているのは、ノートを取ることだけでなく、ノートを使って考えることであったり、ノートという存在が自分の身の回りにあることの影響であったりと、広範囲に及んでいます。そうすると、「ノートテイキング」という言葉ではぜんぜん足りないのです。

ノーティングというのは、単にノートを取ることだけではなく、広い意味でノートを使うこと、あるいはノートを日常的に使うことです。

同様にノーティストというのは、単にノートを利用する人というよりは、ノートが自分の延長線上として組み込まれている人、という含意があります。

私のイメージとして上記のような「広い」印象があったので、ノートテイキングという言葉の選択はミスマッチとして却下されたのでしょう。

もちろん、執筆時にそこまで検討したわけではありませんが、「この言葉は違うな」という漠然とした選択の裏には、こういう無意識の判断が働いていることが多いです。

〜〜〜Q〜〜〜

さて、今週のQ(キュー)です。正解のない単なる問いかけなので、頭のウォーミングアップ代わりにでも考えてみてください。

Q. タスク・メモ・ナレッジはどのように"管理"されていますか。

では、メルマガ本編をスタートしましょう。今回は倉下の仕事術として「インボックス」にまつわるお話をお送りします。加えて二つのエッセイもお読みください。

インボックスの重要性

仕事術において、インボックス(inbox)の概念はきわめて有用です。手紙の受信箱を意味するこの言葉は、電子メールの受信箱として一般化し、その後さまざまな情報ツールにおける「情報の最初の着地点」として使われるようになりました。

では、なぜこのinboxが重要なのでしょうか。いくつかの観点が挙げられます。

まず、「そこからタスクが生まれる」という点があります。電子メールが一番わかりやすいでしょう。「この案件の作業Aをよろしくお願いします」と書かれたメールが受信箱に到着したら、「作業A」というタスクがスタックに乗る可能性が生まれたことを意味します。

当たり前ですが、受信箱には「私宛のメッセージ」が届きます。そのメッセージによって、私というオブジェクトのメソッドが起動するわけです。言い換えれば、メッセージには私に動作を促す働きがあります。

だからこそ、inboxからタスクが生まれるのであり、タスク管理においてinboxが重要なツールだと言えるのもそのためです。

■いったん置く

それだけではありません。inboxは情報を「いったん置いておく」機能を持ちます。

たとえば、「この案件の作業Aをよろしくお願いします」というメールが届いても、それが即座に「作業A」タスクがスタックに乗ることを意味しません。断ることもありえますし、優先順位が低めにコミットする場合もあります。あるいは、本当に「作業A」が必要なのかを精査する、という別のタスクがスタックに乗ることもあるでしょう。

「この案件の作業Aよろしくお願いします」というメールは、私のタスクスタックに「あの作業」を直接appendする機能は持ちません。そうしたメールからどのようなアクションを起こすのは、私というオブジェクトに委任されています。つまり、私による判断が必要だということです。

「判断」という知的作業は、なかなかに知的資源を使うものであり、システム2を起動させる必要があります。つまり、ゆっくり進めなければならないのです。

inboxという箱にメールを置いておくことで、その判断作業が可能となります。

もし情報を置いておくことができないならば、私たちはその情報に接した瞬間に判断を下すことが求められ、それはシステム1的な(判断というよりもむしろ)反応を返す結果となるでしょう。

それは好ましいとは言えません。

■メール以外のinbox

上記の「いったん置いておく」効果は、電子メールであれば当たり前であり、特筆すべきことではないように思えます。まさに相手に情報を「置いてもらいたい」からこそメールを送るわけですから。

この「いったん置いておく」効果がより実感されるのは、むしろ電子メール以外のinboxにおいてです。

たとえば「自分の思いつき」が好例でしょう。それをどこかのツールのinboxに書き留めておく。そうすると、その情報を未来の自分が受け取り、判断を下して処理する。そうしたことが行えるようになります。言い換えれば、メモは自分宛のセルフメッセージなわけです。

逆に、そうした思いつきを書き留めることをせず、思いついたその瞬間に処理してしまえば、それは判断ではなく反応になってしまうでしょう。そして、これは頻繁に起きている事態です。

なぜならメールは社会的(関係的な)な使用強制力を持つのに対して、自分のノートを使うことはまったくの任意だからです。よほど必要性が実感されない限り使われることはありません。

しかし、メールがなくすべてが口頭で処理される組織が慌ただしさで満ちあふれているならば、自分のノート/メモを使わない生活も似たようなものになりがちです。

だからこそinbox/受信箱という概念が重要なのです。

■多様なinbox

パソコンが普及しはじめた頃は、メールの受信箱だけがinboxだったわけですが、最近はさまざまなツールが登場したことによって、その様相は変化しています。

たとえば昔は「未来の自分宛にメッセージを送る」ために自分宛にメールをよく送っていましたが、今ならばEvernoteやNotion、そしてDynalistといった情報ツールがその役割を代替してくれています。そうしたツールにinboxという箱を作り、そこに情報を送り込めば、未来の自分がその情報を受けとる流れが生まれるのです。

またメール以外にも他者との情報をやり取りするツールはたくさん生まれています。メッセンジャーのようなメッセージアプリ、LINEやDiscordなどのコミュニケーションアプリ、TwitterやFacebookなどSNSアプリなどなどです。

こうした状況であるからこそ、inboxという概念はより重要になってきます。さまざまに飛び交う「メッセージ」を捉え、ゆっくりとそれに対して判断を下すための環境を作らないと、私たちは反応するだけの主体となってしまうからです。

別の視点で言えば、電子メールであればinboxは自動的に設定されるわけですが、それ以外のツールについてはそうなってはいません。だからこそ、自発的に「情報の最初の着地点」を作っていく必要があるのです。

それは別に各種ツールにinboxという箱を作れ、という話ではありません。そうではなく、判断が求めらるような情報と出会ったら、それを「いったんどこかに置いておく」というワークフローを作ろう、という話です。

その「どこか」がinboxと呼ばれるだけであって、inboxという名前がついていなくても構いません。もっと言えば、固定された箱である必要もありません。ワークフローの中でそうした位置づけを持っていることこそがinboxの要件です。

だから、毎日入れ替わるinboxであっても別によいのです。その話は次回に検討しましょう。

(次回はデイリーインボックスについて)

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