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働く人のことを考える

コンビニ店長というのは、典型的なプレイング・マネージャーなので、ありとあらゆる仕事を(それこそ雑用を含めて)やることになるのですが、やっぱり比重として大きかったのは、人の育成です。人に仕事を教えること。仕事をしてもらうこと。

その経験を10年くらい積んで思ったのが、「人っていろいろなんだな」という、至極当たり前の結論です。

コンビニのような零細企業ではなく、一流の上場企業がどうなっているのかはわかりませんが、コンビニというのは、いつもいつも人手不足で、雇う人を偉そうに選別することなどできません。こちらの空いているシフトを埋めてくれば、とりあえず誰でもいい、くらいの勢いで採用することもしばしばでした。

そうすると、本当に多様な人が集まってきます。

で、人が違えば、育成の仕方、かっこよく言えばマネジメントのスタイルも変わってきます。というか、効果のある育成手法は、人によって適正が変わるのです。

あるスタッフには、一を言えば十伝わるので細かいことは言わなくてもいいのかもしれません。逆に、一、二、三を何度も繰り返して教えた方がいいスタッフもいます。軽く注意すれば行動が変わるスタッフもいれば、ちょっとした注意におびえを感じるスタッフもいます。そもそも、ぜんぜんまったく働く意欲がない(かのように見える)スタッフもいますし、やる気が空回りしているスタッフもいます。競争が好きなスタッフや、ひとりでコツコツ取り組みたいスタッフがいます。

このような状況で、「たった一つのやり方」しかなければどうでしょうか。もう少し言えば、「たった一つのやり方」を常に用いて、それに適応するスタッフだけを「良いスタッフ」だと評価したとしたら。

なんかこう、残念な感じになりますよね。自分の引き出しの少なさを、スタッフの力不足のせいにしているようなものです。こういうのは、マネージャーとは言えません。

もちろん、わんさか人が集まる企業なら、そういう「選別」をしてもなんとかやっていけるのでしょう。しかし、コンビニはそもそも人手不足であり、選ぶような余地はありません。育成する側が、引き出しを増やす必要があるのです。なにせ、そういうスタッフたちと一緒に店を回していかなければならないのですから。

で、一度そういう視点に立つと、人っていろんな成長の仕方があるんだな、ということに気がつきます。成長という言葉に意味が強すぎるなら、変化と言い換えてもいいでしょう。

覚えるのに時間がかかったスタッフが、要領の良いスタッフに劣っているなんてことは、簡単にはいえません。むしろ、細かいことをよく覚えているのは前者だったりします。でもって、人を教えるのに向いているのも、前者のスタッフだったりします。

たとえば、すごく「頭の良い」スタッフがいたとしましょう。彼が仕事に慣れて、新人さんに仕事を教えるとします。すると、高確率で、そのスタッフは「失敗したときの対処方法」を教え忘れます。あまりにも自分がうまくできるので、そういうシチュエーションをうまく思いつけないのでしょう。たとえば、レジへの登録は教えるのに、取り消し方法は教えない。そんな歯抜けがときどき起こります。

別にこれは、ゆっくり学んだ方が偉い、という話でもありません。人が何かを身につけていく過程は、無限のバリエーションはないにせよ、単一として括ってしまうことには無理がある、ということです。

その辺の話は、『ハーバードの個性学入門』にも何度も登場していて、私は現場感覚を振り返りながら、「うんうん、そうだよな」とずっと頷いていました。

効率的な運用のために、「平均的」なものが準備されるのは避けられないでしょうが、とは言え、無能なマネージャーのように「そのやり方に合わなければ、そいつは劣っているんだ」と捉えてしまうのは、非常に貧しい視点です。いろいろなものを、無残に捨ててしまっています。北京ダックよりもったいないかもしれません。

マネジメントの対象はいくつかありますが、その中に間違いなく「人」というものが含まれています。

そして、結城浩さんの〈読者のことを考える〉という黄金律を、マネジメントに適用するならば、マネージャーにとっての黄金律は〈働く人のことを考える〉です。

方法を至上化して、人が見えなくのは、結構悲しいです。効率的、なのかもしれませんが。

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