ウィークリー問題 / Notionで完璧な蔵書管理をするとしたら? / リストの階層構造
はじめに
ポッドキャスト、配信されております。
◇第百五十五回:Tak.さんとデジタルの情報整理について 作成者:うちあわせCast
◇BC094 『熟達論』 | by goryugo and 倉下忠憲@rashita2 | ブックカタリスト
うちあわせCastでは、デジタルツールにおける情報整理について検討しました。案外に難しい要素を含んでいる問題です。
あと、去年と同様に「うちあわせCast募金」をつのっておりますので、よろしければご検討ください。
◇うちあわせCast募金 | 倉下忠憲の発想工房
ブックカタリストでは、ごりゅごさんが 『熟達論』をご紹介くださいました。ノウハウというのを「知識の伝達」として捉えるのではく、「技能の修得を補佐する知識」として捉えることで、新しい視点が切り開かれていくのではないか、と最近は考えております。
よろしければ、お聴きください。
〜〜〜再Emcas〜〜〜
少し触ってみては、離れていくことを繰り返しているEmcasですが、以下の記事に触発されて再びチャレンジしてみました。
◇Org との日々 #12
結果は、以下のページにまとめてあります。
◇Emacsのカスタマイズチャレンジ | 倉下忠憲の発想工房
アプリケーション版のEmacsは上部にアイコンが表示されていて、どうにも邪魔だなと思っていたのですが、見事に消せました。ちょっとした"ハック"ではありますが、意図を持ってカスタマイズできた点に嬉しさがあります。
これまでは、ネットで見かけた設定ファイルをそのままコピーして使っていたのですが、それだとどの項目がどんな役割を担っているのかを知らないままに使うことになってしまいます。すると、「ああ、これはもうちょっとこうしたい」と思ったときに変更できません。受け売りの言葉でコミュニケーションをやりくりしている感覚です。
今回は、設定の説明を読みながら一つひとつ反映させていったので、何がどういう役割を担っているのかがはっきりしています。言い換えれば、Emcasの設定という「語彙」を手にしたのです。
そういう修得は、単純に嬉しいことでもあります。
〜〜〜Evernote〜〜〜
ふと気になって、自分が10年前にどんなことをツイートしていたのかを調べてみたくなりました。幸いなことに、Evernoteにはツイエバ経由でツイートのデータが残っているはずです。
そこでEvernoteを開いてみましたが、探すべきノートブックの名前はこの段階ではわかりません(まったく覚えていない)。
そこで、ノートブックスタックの名前を上から見ていくと、「300[log]」というスタックが見つかりました。ツイートの過去ログなのですから、ここに入っている可能性は高いですね。
そうすると、「300Medialog」「301Worklog」に続いて「302lifelog」というノートブックが見つかりました。おそらくここにありそうです。
実際にそのノートブックを開いてみると、大きく三種類のノートが保存されていました。一つはGoogleカレンダーから飛んでくる通知(メールの転送)、もう一つはツイエバ経由のツイートログ、最後の一つは私が撮影した写真です。どれも、日常における行動・言動を保存したもので、まさに目当てのノートブックでした。
ツイエバのログは2018年のものが"最新"だったので、単純にスクロールして過去分を辿っていきます。2024年から10年前なので、目標は2014年。4年分のスクロールは、結構一瞬でした。
10年前の同じ日付のツイート、風景や食事などを撮影した写真、新幹線の時刻などの予定、それらが一つの列を作って表示されます。ああ、そうそう、こういうこともあったよな、と想起が活発になります。
おそらくこういう使い方をするならば、Evernoteはもっとも優れた"ソリューション"でしょう。整理の手間はほとんどなく、検索もいくつかの軸だけですぐに見つけることができる。これ以上ない情報体験です。
でもって、よくよく観察してみると、このときの私のEvernoteの運用は、ほとんど「Johnny.Decimal」と同じ形になっていたことに気がつきました。
◇A system to organise your life • Johnny.Decimal
当時のEvernoteの運用では「アイデア」がうまく扱えなかったので、結局そういう「整理」はダメだと見切りをつけたわけですが、勘違いだったのでしょう。あくまで「アイデアの整理」においてはダメなだけであって、ログ的なものの整理はこのやり方でまったく問題ありません。
そういう切り分けが、最近できるようになってきました。デジタルノート的成長です。
〜〜〜気楽な投稿〜〜〜
私は、自分のノウハウを発信することに意欲的なわけですが、その反動として「他の人のノウハウも読みたい」という欲求も強めに持っています。
しかし、自分でサイトを作って発信というのは敷き居が高いよなと思い、トンネルChannelのような共同配信のニュースレターを運営していて、これはこれで面白さがたしかにあります。
◇トンネルChannel | 倉下忠憲@rashita2 | Substack
とは言え、このニュースレターも公共空間に向けた発信活動(つまりパブリッシュ)であるわけなので、身構えてしまう部分は残るでしょう。
そこで、それよりも手間の領域、つまり自分用のメモ書き以上、パブリッシュ未満のものがあればいいのかなと考えています。
十分にまとまっていない雑なものを、気楽に他の人に提示できる場所。
その場所は、インターネットを使っているものの、グローバルに向けた発信というよりは、ある程度クローズドな感覚がある方がよいでしょう。それこそ、discordのチャンネル、掲示板といったものです。
もちろん、ツールさえあれば解決するものではなく、場の感覚・雰囲気がどのように育っていくのかが鍵を握るのでしょう。そうした運営を含めて、「個人のノウハウの発信活動」について考えていきたいところです。
皆さんはいかがでしょうか。他の人のノウハウを読むのは好きですか。あるいは自分で発信する場合はどうでしょうか。よろしければご意見をお寄せください。
ではメルマガ本編をスタートしましょう。今回は、ウィークリー問題、Notionの導入、リストについてをお送りします。
ウィークリー問題
ウィークリーが難しい。
これが最近の課題でした。
『ロギング仕事術』で提示したように、私は日常的に作業記録を書いています。その単位は一日ごと、つまりデイリーです。日ごとの作業采配はそれで問題なくまわっているのですが、一週間となると途端に難しさが出てきます。
これまでいくつのもパターンで「ウィークリーノート」を作ってきました。先週号で紹介したObsidianもそのパターンの一つです。他にも、EvernoteやWorkflowyで週単位の情報を管理する試みに取り組んできました。でも、どれも「しっくり」きません。
ノートを作っているときはよいのです。「うむうむ、こういう感じでうまくいくだろう」と。
しかし、一週間がスタートしてみると、ほとんどそのノートには触らず、7日経って、まったく手が加えられていないノートと再会することになります。そして、また次の週がはじまるのです。
情報自体はそこに残されているので、完全に無意味というわけではありませんが、週ノートを作っている意義や手応えみたいなものは皆無です。何かを通過したことを示すチェックマークをつけているだけの、やや作業めいた感覚だけが手の内に残るのです。
■週という単位
考えてみると「週」という単位は不思議です。
一見すると、年→月→週→日、という階層構造が形成されるように思えますが、実際にアウトライナーでこうした構造を作ってみると、すぐにそうでないことがわかります。
年→月はよい、週→日もよい。でも、月→週がダメなのです。週は月をまたいでしまう。階層構造からはみ出る性質がそこにはあります。
月が4つの週で構成されていて、常に28日しかない、というのであれば話は違ったでしょう。しかし、現実の暦はいびつな形をしていて、階層構造から逸脱しているのです。月単位で区切れば週がまたぎますし、週単位で区切れば月をまたぎます。どちらにせよ収まりはよくありません。
ちなみに、既定数値を確認してみると、
・一年→12ヶ月
・一月→?日
・一週間→7日
・一日→24時間
となり、いびつなのは「月」だということがわかります。月の日数がばらつくので、週との整合性がなくなるわけです。
そうすると、月を採用して週を捨てるか、週を採用して月を捨てるのかが合理的な判断になるわけですが、なかなかそうはいかないのが難しいところ。
領収書・請求書などの業務単位は「月ベース」で行われることが多く、ごみ捨てやメールマガジンの発行などは「週ベース」で行われることが多いです。どちらの区切りも私たちの日常感覚にしみ込んでいます。
■デイリーとウィークリーの距離
とは言えです。
デイリーとマンスリーに関しては不満を感じていないのに対して、ウィークリーは「しっくり」きていない感じがあります。以下のポッドキャストで出てきた話を参考にすると、「距離」が関係しているのでしょう。
◇第百五十四回:Tak.さんとタスクとツリーについて 作成者:うちあわせCast
「日」という単位での管理と、「月」という単位での管理は距離が空いています。前者は一日ごとに更新されるのに対して、後者は一カ月ごとの更新なので、ちょうど「忘れた頃にやってくる」の感覚が得られるのです。
一方で、デイリーベースのサイクルが回っている中では、「週」という単位はあまりにも近過ぎます。すぐに更新される感覚がある。デイリーから見ても、マンスリーから見ても、中途半端な位置づけと言えるでしょう。
「だったら、ウィークリーなんて捨ててしまえばいいのではないか?」
というのが自然な発想だと思うのですが、一方で週単位の区切りの感覚はあまりにも日常的です。学校に通ったり、会社勤めをしていない私ですら「週間」の感覚は強力に根づいています。もしこのメルマガの配信が、週に一回ではなく10日に一回だったらかなり混乱していることでしょう。
よって、ウィークリーの概念を完全に捨て去ることはできません。そうではなく、これまでとは違った形(意味付け)で居場所を定めることが必要です。
■なぜ、ウィークリーを作るのか
では、なぜウィークリーノートなるものを私はつくろうとしているのでしょうか。
もちろん、先ほど述べた「一週間」という区切りの単位が私の中に強く根付いているからです。実際問題として「今週は土曜日に法事があるので、メルマガの原稿は前倒しで書いておこう」というような采配は、デイリーを見てるだけでは難しく、少なくとも週単位以上の視座が必要でしょう。
また、週末に「今週はどうだったか」を振り返ることも有用だと感じています。毎週ごとに精緻にレビューする必要はなくても、気分的な区切りを入れる意味で一週間の振り返りを文章として書いておく(セルフ週報と呼んでいます)ことは、精神衛生的にも効果がありそうです。
と、ここまで書いてきて気がつきました。
私は別に「週単位の進捗管理」を求めているわけではなく、単にその週について「考える」機会を必要としているのだ、と。
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