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No.1 リストとライフハックについて

2020-2-04 倉下忠憲→堀正岳

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堀正岳さんへ

こんにちは、倉下忠憲です。

1月24日に発売された『「リスト」の魔法』の出版おめでとうございます。最近この手の総合的な知的生産本が少なかったので、実にワクワクして読みました。ぜひともこの本を盛り上げてやろうという企みが私の中にもくもくと盛り上がりつつ、以前から往復書簡的なことをやってみたいと切望していたので、その二つを練り混ぜてこの文章を書き始めました。

そういえば、昔の哲学者や音楽家は手紙のやりとりをよくしていましたね。そうした手紙が死後に発表されて、さぞかし本人たちは草葉の陰で赤面しているでしょうが、そうした手紙からうかがえる彼・彼女らの心境は、華やかに飾られるアウトプットとはまた違った色合いを持っているようにも感じます。

それとまったく同じではないにせよ、似たニュアンスがこの往復書簡で出せたら面白いだろうと、個人的には予感しています。一人語りのブログでもなく、公にむけた本でもない手紙のスタイル。これはこれで、新刊に込められた思いや、本が持つ魅力を引き出せるかもしれません。

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さて、リストについてです。

私たちは皆リストが好きです。愛しているとすら言えます。ここでいう私たちとは、狭く「ライフハッカー」を指します。リストとはライフハックの基本であり、すべての土台にすらなっています。リストのないところに、ライフハックなし。その意味で、歴史においてリストを活用してきたすべての人々をライフハッカーと呼ぶことだってできるでしょう。

なぜ、リストはライフハックの肝たりえるのか。それは、私たちが「情報」というものを扱う手つきの、もっとも基礎的な形がリストだからです。

リストはあらゆるところに顔をのぞかせます。そんなところに出てくるだなんて予想もしない場所にも出てきます。たとえば画家たちが丹念に描きあげる絵画は、どう見てもリストではありませんが、そうして書かれた作品は、作品リストに加わります。また、それを書き上げた作家も、いつかは作家リストに列挙されます。

私たちが情報を把握し、掌握し、使役しようとするとき、リストは舞台に上がるのです。あるいは、その舞台そのものがリストだと言えるのかもしれません。

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かく言う私も、リストをよく使います。大好物とすら言えます。先ほど出てきたライフハッカーの定義に従えば、私だってその一人だと言えるでしょう。

買い物リストをつくり、やることリストをつくり、カレンダーに予定を入れ、本棚に本を並べ、ブログに記事を更新し続ける。ときには、ありもしない世界の魔法の法則を箇条書きにしてみたり、ある決断のメリットとデメリットを比較してみたりもします。すべてリストという舞台で行われる知的(ないしは情報的)処理です。

私が2019年の2月に出版した『「やること地獄」を終わらせるタスク管理「超」入門』も、半分以上がリストの話になっているのも偶然ではありません。平々凡々な私たちが、不完全な能力を用いて、ときに過分とも思える成果を求めるとき、リストはその手を差し伸べてくれます。それがなければ、私たちの日常生活も、そして数千年の単位で築かれてきた私たちの文化そのものも成立しなかったでしょう。それくらいリストのパワーとはすごいものです。

私だって、その力を感じているからこそ、日常のさまざまな場面でリストを作り、その効能を享受しています。その点を考えてみれば、つまり自らの力以上の成果を手にできることに注目すれば、それを「魔法」と呼んだって不遜ではないでしょう。その点は、私たちが言葉を話し、自らの意志を他の誰かに伝達できることによって何かが起こり得ること自体がすでに「魔法」的である、という話と近しいものです。私たちの身の回りには、目立たない魔法がいっぱい潜んでいるのでしょう。

ただし魔法にも、白魔法と黒魔法があるように、リストも使い方によって、人を助ける効果もあれば人を苦しめてしまう効果も持ち合わせています。だからこそ、リストをどう使い、どう付き合うのかは存外に大切なことです。むしろ、リストが力を持つツールであればあるこそ、付き合い方の話は欠かせない視点になってくるでしょう。敷衍すれば、それはライフハック全般にも言えそうな気がしています。

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さて、堀さんはリストとライフハックの関係について、いかがお考えでしょうか。

それではお返事お待ちしております。

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