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本当の私って何?信念を見つける方法

過去に虐待を受け、今を強く生きていく人たちを発信していくインタビューメディア「RASHISAストーリーズ」。第5回目は、野村 優妃さんに登場いただきました。ネグレクトやDVによって、家族からの愛情を受けられなかった野村さん。虐待の渦中にありながら、いかにして前向きな自分を取り戻すことができたのでしょうか?虐待を乗り越え、起業という夢を見出すまでのストーリーをご紹介します。

野村 優妃|1997年生まれ。愛知県名古屋市出身。高校卒業後、大学へ進学せず、フィリピンと台湾を中心に語学勉強に勤しむ。現在は、起業を目標に活動している。
Twitter:@why_yuhi

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【一人ぼっちの状況を誰にも相談できなかった幼少期】

――どんな幼少期を過ごしましたか?

生まれた直後から、母と二人だけで生活していました。小さい頃から家に一人でいることが多いためか、孤独を感じながら過ごすことが多かったです。

――なぜ一人でいることが多かったのでしょうか?

仕事柄、夜に家を空けることが多かったからです。母は高校時代に実の父を亡くし、それ以降実家を出て夜の仕事を始めたそうです。私が生まれてからもその仕事を続けていて、夜になると仕事に出かけていたので、家には私1人という日が多かったのです。

――お父さんのことは記憶にはあるのでしょうか?

私は、母が仕事先で出会った人との子供らしいのですが、父のことはよく知りません。母によく質問しましたが、濁されて何も話してはくれませんでした。そもそも写真が一枚も残ってないので、父の顔もわかりません。

――お母さんとはどのくらい会っていたのでしょうか?

小学生の頃から家に帰ると一人きりで、一人で夜ご飯を食べて、お風呂に入って寝るような日も少なくありませんでした。周りの友達と比べては虚しさを感じることもありました。また、母が帰って来る目的は、日頃のストレスを発散すること。ヒステリックになり、満足するまで私に暴力をふるっていました。私はただ謝り続け、暴力行為が終わるのを耐えるしかありません。そして、そのことを身近の人で頼れる人もおらず、心を許して相談できないことが一番辛かったです。

――かなり辛い経験をされたんですね。周りの人たちはどのような反応だったのでしょうか?

小学生の頃、私の異変を感じた先生から家庭状況を聞かれたことがありました。藁にもすがる思いで、母のことを赤裸々に話したんです。でも、その想いは崩れ去りました。先生は、私の話を職員室でネタにしていたんです。この出来事がトラウマになり、それ以降は大人たちに隠すようになりました。

――大人に対する不信感もあったんですね。

ネグレクトだったので、大人からの愛情、特に家族の愛情を感じたことは多くありません。それどころか、母の機嫌を取ることに必死でした。家を空ける理由を「お金がないから働く」と言ったり「お酒を飲んでいた方が楽しい」とも言ったりして本心がわからず、「私はお母さんにとってどんな存在なんだろう?」など、子供ながら自分の存在価値について考えさせられました。気がつけば、「今日怒ることない?」が口癖になっていましたね。

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【虐待の末に見つけた“起業”の夢。広い世界を知るきっかけを】

――虐待を通して自身に考え方の変化はありましたか?

自分の見せ方を学びました。母に対しては「いかに機嫌を損ねないようにするか」、別の人に対しては「明朗な私」など、自分のラベルを使い分けて世渡りをしてきました。周囲には「なんでそんなに考えてるの?」とよく言われますが、考えないと生きていけなかっただけなんです。 

――高校卒業後はどんな生活を送っていましたか?

大学には進学せず、お金を貯めてフィリピンと台湾に留学し英語と中国語を習得しました。
異国の文化や歴史に触れたこと、初めて母国語以外で通じ合う友達が出来たことは本当にいい経験でした。

――すごいバイタリティーですね。野村さんを突き動かす原動力は何ですか?

起業という夢です。高校在学中からやりたいと思っていたので、地元を離れ着々と準備を進めている今がとても楽しいです!

――起業を目指す理由をお聞きしたいです。

高校3年生の11月まで、弁護士になりたくて受験勉強をしていました。そのきっかけは、高校1年生で経験した母の暴力による強制保護です。未成年ながら将来の選択肢が法律によって奪われる状況に絶望し、当時は法への道に進むことを決めました。しかし、未成年が自分の選択肢を広げるためには、「弁護士になるよりも早く行動に移せるものがあるのではないか」と考えたのです。その後、自己分析を繰り返して自分のキャリアについて追求し、「一から自分の手で何かを作って、人を巻き込むのが好きだ」ということに気づいたんです。その末にたどり着いた目標が今の起業の形でした。

――自分を見つめなおした上での起業なのですね。その内容もお聞きしたいです。

現在はカフェを考えています。実は高校生の頃に初めて作った事業案がカフェだったんです。そこには、「様々な分野や自分の持つラベルについてもっとラフに話し合える場所が欲しい」という想いがこめられています。私は、政治などの情報を収集することが好きなんですが、同世代で興味がある人はさほど多くありません。ですが、気になってる人はいると思うんです。興味のない分野も、まず知ることが自分の選択肢を広げるための一歩になります。カフェという場が普段の生活では触れないような話や学びのきっかけとなり、もっと気軽に知る機会を溢れさせられたらいいなと思います。

――面白い場所になりそうですね?他に構想していることはありますか?

知識を持っている人や学生団体を招いて、学びの場を提供したいと思っています。実はカフェの名前も決めており、「リベラルアーツカフェ」にする予定です。これは、本でいう目次やタイトルの意味があります。読書をする時、最初に目次に目を通しておくと、全体の流れや興味のある部分が頭に入ってきやすくなるんです。そんな風に、まだ知らない世界や自分自身について考える場所になったらいいなと思っています。

――カフェと勉強を掛け合わせたアイデアはなぜ生まれたのでしょうか?

高校三年生で進路を決める時、「やりたいことはないけど何かしなきゃ」と受け身の姿勢で進学を選ぶ人っていますよね。そんな風に、自分の人生を意思なく決めてしまう人を減らしたいと思っています。そのためには、まずは自分の興味がある分野を知ることが必要だと考えている、というのが理由です。

【自分の信念を貫くことが何より大事】

――過去の出来事をどのように捉えているのでしょうか?

もともと、「上京したら虐待されていた過去を打ち明けよう」と決めていました。そのこともあってか、辛い過去を言語化し、気持ちを整理することができています。当時は自分を殺しながら生きる辛い思い出でしたが、現在は前向きに捉えています。

――ありがとうございます。最後に、辛い経験をした人にメッセージをお願いします。

「自分にとって自立って何だろう?」ということを、とことん突き詰めて欲しいです。自己分析をして、見つけた好きなものや信念を貫けば、自分にしかない面白い人生を歩むことができるはずです。抱えている辛さは自分にしかわからないので、周りの声に惑わされずやりたいことをやってください。

――野村さんのように前向きになりたい人もたくさんいると思いますが、何かコツはありますか?

私の座右の銘は「物は言いよう」なんですが、虐待という片面だけ見るとどうしても悲しい思い出になってしまいます。自分が虐待を通してどんなことを学んだのか、そしてどんな行動をするのか、それが一番大事です。そして、その気持ちを貫いて生きてください。私はそんな人を応援しています!

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取材/岡本 翔
文/キムラアヤ
編集/角田尭史
撮影/Christina/ くりす

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