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11.微糖

 あともうひと踏ん張りかな。

 そう思いつつも、いったん集中力が切れた頭はそう簡単にエンジンがかからない。いったん椅子から離れよう。そう決めて、フロアに出て、自動販売機の前に立つ。

 スマホでメールの受信ボックスを確認しながら、重要度の高いものを振り分けていく。数時間しか経っていないのに、もう何十件もたまっている。

(これは今日処理しなきゃだなー。これは明日でもいっか。あとこれはー…)

 ピッ、と自販機のボタンを押すと、ガコンと取り出し口で音がする。それに手を伸ばす間もずっとスマホをみていたのだけど、プルタブを開けようとしてふと缶が視界に入った、その瞬間。

「……えっ!? ああーしくったぁ…!」
「どうしたんですか?」
「あ」

 ダブルで、ビビった。

 オフィスフロアからエレベーターホールに出ようとする彼女だった。もう帰ろうとしていたところに偶然俺がいたようだ。

 一瞬ドキッとしたのは、この前夢で彼女を抱いたから――ああ、もう忘れよう。あんなくだらない夢。

「どうかされましたか?」
「あー…間違ってボタン押したみたい」

 いつもここだったはずが、新商品の入れ替えで位置がずれてたらしい。おなじみのブラックコーヒーを買うつもりが、俺の手のひらにあるのは、微糖の缶コーヒー。

「いつもブラックですか?」
「うん」
「じゃあ、その微糖のは私がもらいます。それ、好きなんです。だから交換しましょう」

 彼女はブラックのボタンを押して、ICカードをかざす。見覚えのある缶が落ちてきて、それが彼女の手のひら、そして俺のもとへ。

「…………いやいや、嘘だろ(笑)」
「え?」
「ホワイトモカが好きなおまえが、微糖のコーヒーなわけないじゃん」
「私、ブラックとかも飲めますよ。社長、お子様扱いしすぎです(笑)」

 彼女はほがらかに笑う。もうこんな深夜だというのに、明るい、春の日差しのように。

 だが次の瞬間、表情がハッと変わって、焦ったように言う。

「あっ、終電…!」
「そうか。こんな時間だもんな」
「社長、お疲れ様です! お先失礼し――」
「送っていこうか?」
「え!? いえいえ、大丈夫です。 走ればきっと……」
「走らなきゃいけないなら無理するな。そんなヒールで。危ないだろ」
「でも……」

 別にやましい気持ちはない。
 もう彼女はテヒョニヒョンのものなのだ。あのお持ち帰りされた日から――そう、俺の目の前で。

 あの時は一生の不覚だと思ったけれど、まあ、よかったのかもしれない。部下に手を出すことは、やはり許されたことではないのだ。それに、俺が、俺たちがここまで必死に積み上げてきたものを壊したくない。

「社長室、おいで」

 単純に、優しくしてくれたこと、親切にしてくれたことへのお礼だ、これは。

🦋

「失礼します……」
「なんでそんな恐縮してんの(笑)」
「社長室、入ったことなかったので…」
「別に普通の部屋じゃん(笑)。座っといて」
「はい……」

 大きな革のソファのすみっこにちょこんと座って、内装が気になるのか、目立たないようにちらちら見ている。普通の部屋といいつつ、そりゃあ、会議室よりはだいぶ豪華ではあるだろうけど。

 そんな彼女をちらっと見ると、見事に目が合った。

「あの……私がいると気が散ったりしませんか。もしあれだったら、外で待ってます……」
「そんくらいで気散ってたら、社長なんて務まんないよ(笑)」

 それでもどこかそわそわと、不安そうに佇んでいる彼女を、俺は笑った。

「とって食ったりしないし(笑)」
「そんなこと、思ってないです……」
「10分待ってて」

 もう……テヒョニヒョンのものなんだろ。

 俺は、中途半端なままで放置していたパソコンのモニターに向かった。

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