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ニュース『京アニ放火殺人 死刑判決の青葉被告の弁護人が判決を不服として控訴 一審は責任能力を認める』について

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まぁ本人が強く拒否しない限り、弁護人として控訴は当然だと思う。
そしてこの世に何も希望を持てなかった青葉被告に親身になって話を聞く人を用意して、彼に希望を与えているのだから、当然このようにならなければおかしな話だと私は思う。(しなければ、反省なしとは?となると思う)

その上で、議論になっているひろゆきさんのこのポスト

これにコミュニティノートを含む各方面から、そういう精神ではないし、法律にもなっていない。このような判断は許されざる行為で、当然死刑も決まっていないのだから、誤った意見だ。というのが世の中の主流のようだが、んなのひろゆきさんは百も承知でポストしていると思うので、的外れも良い所の批判だと思う。

その上で、どうせ死刑になる現状で貴重な医療リソースを使い無理やり生かして証言を得ることに、どれほどの実質的な意味があるのか?
効率的に考えるなら、(現状許される倫理観ではないが)あの状態から助けることはしないという判断が出来るようにしてもよいのではないか?という問い掛けなのではないかと私は思う。
私は可能なのであれば、そういう判断が出来る方が効率が良いし、人間主義の立場からも、その方が正しいと思う。

実際、青葉被告を生かして、誰が救われたのだろうか?
これから、死刑判決をするにしろ、しないにしろ、裁判官の苦悩は計り知れない。
死刑判決から死刑執行まで、いつまでも心に強く残り続ける遺族の方々の心労も計り知れない。
死刑の場合、執行の命令をしなければならない法務大臣も辛いだろう。
世の中に希望が持てなかった青葉被告だけは、今は色々な人に自分の話を聞いてもらえて、もしかしたら今までで一番救われているのかも知れないが、他に誰が青葉被告を生かして良い意味があったのだろうか?

青葉被告は「真摯な反省は見られない」と言われているが、そりゃそうだろうと。
彼は今まで苦悩の中、生きてきたのだろう。それは自業自得に見える所もあるだろう。でもそういって意見を切り捨てるのであれば、生かした意味など実質ないと言えるのではないか?
反省の弁を言えば、犯してしまった罪は死刑を免れるのか?おそらくそれは世間も納得できないだろうから、非だと容易に想像できる。
後は、弁護士の
「被告は事件当時、妄想や幻聴に支配されていて責任能力はない」
を認めるか認めないかの話でしかないのだ。
これに、ここまで多数の人が辛い思いをしてまで実施する価値なんて、私にはないと思う。

本当に悲惨な事件で、どんな理由があろうと青葉被告がした事を現状、許してはいけないと思う。
ただそれはあくまでの青葉被告が凶悪犯で再犯の可能性が高いから。とか、更生しなそうだから。とか、そんな理由ではない。
こんなことをした青葉被告が、その国の極刑にならないという事を認めてしまったときの、国民、大衆の反応が怖いからだ。

私は、更生の可能性がないので死刑という言葉が前々から嫌いで、そんな本当はわかりもしない事を理由にするな、と思う。この言葉は、本当に卑怯だと思う。
死刑にするのは、100%の更生プログラムがまだ確立されておらず、それが現状の国の秩序のために必要だから。しかないと考える。

無敵の人を作らない世の中。
どうすればそのような世の中が実現できるんだろうか…

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