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Sir William Osler, I Presume.

(ヘッダー画像は https://en.wikipedia.org/wiki/William_Osler より)

“When a patient with arthritis walks in the front door, I feel like leaving out the back door.” Sir William Osler

Oslerの名言・名句を集めた”The Quotable OSLER” (ACP 2008)にはこちらの発言は引用されていない。では、上記はどこからの引用かというと、"Rheumatology Secrets 2nd edition”(HANLEY & BELFUS 2002)からの孫引き(p 658)である。

"Rheumatology Secrets 2nd edition"(HANLEY & BELFUS)p.658

Secrets seriesは主に米国のレジデントに愛用されているアンチョコ本で、その一部は邦訳されている。

"Rheumatology Secrets"待望の第3版は2014年に、第4版は2019年に発売されたが、そこにはこのQuoteは引用されておらず、上記の引用には出典が付されていないため、臨床の神様によるこのいささか「情けない」発言がほんとうにあったものかどうか、筆者は十分に調べきれていない。

しかし、本邦の多くの内科医師にとって、筋骨格軟部組織の診察は鬼門である。

厚生労働省の定める「卒後臨床研修において経験すべき診察法・検査・手技」には「骨・関節・筋肉系の診察ができ、記載できる」という到達目標が明記されている。

その一方で、具体的に「骨・関節・筋肉系の愁訴を抱えた患者へのアプローチ」についての講義を受けたり、内科診断学実習の機会があったりする大学はごく一部である。筆者が医学部生であった頃に比較すると、現在の学生さんたちは圧倒的にproblem-orientedな教育を受けているはずだが、少なくとも市販されている「学生向け教科書」にはそのような章立ては見受けられなかった。

筆者は、病歴を聴取しただけでは病像が掴みきれなかった患者さんに対して、「型通りの診察」を始めたと同時に、病像が急速に焦点を結び「何が起きているか把握」できた、ということを何度か経験している。
リウマチ科医である筆者の型通りの診察はまず手から始まる。患者さんの右手をそっと握り、爪や爪周囲の皮膚から指に眼を走らせ、手関節を橈側・尺側から挟むように柔らかく押さえる。常識的にはこれらの診察によって知ることのできる情報は限られたものなのかもしれないが、人間は認識できている以上のことを知覚しているので、数値化困難な何かの情報を得ているものと自分では納得している。少なくとも筆者は、救急車でやってこられた患者さんに対しても、手から診察を始めないと「落ち着かない」気持ちになる。その眼で見れば、栄養状態、呼吸循環動態など多くのことが推測可能だと思う。「手は口ほどにものを言う」

冒頭の引用に戻る。Oslerは"arthralgia"ではなく"arthritis"と述べている。即ち、炎症の徴候であるところの発赤・腫脹・疼痛・熱感のどれかを確認したのではないかと推測される。Oslerの没年が1919年、Mayo clinicのHenchらによってステロイド(糖質コルチコイド)が臨床応用されはじめたのが1948年である。

関節リウマチを含む多くの関節炎に何の治療もなかった時代に、彼は「関節炎から逃げなかった」。数多くの抗リウマチ薬・免疫抑制剤・生物学的製剤などの武器を持つわたしたちが関節炎に背を向けて良い訳がない。


(某・Web雑誌からの要請で執筆しましたが没原稿となったため、こちらにアップします)

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