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同じ場所にいても同じものを見ていない

例えば小学校中学校の同級生と思い出話をしていた時に、同じ場所にいて同じ出来事を見ていてもその子はあの子を見ていたり、この子はその子を見ていたりするのでその時点で記憶が少し違うじゃない?
ラスはそういう時に教室のカーテンの揺れ方とかを見てたりするのでなかなかに同じ場所にいながら記憶の共有できる部分が少ない。しかもカーテンの揺れを見ながらその時の自分が思い出したり想像したり考えたりしてることを覚えていたりするので、それはもうその場でもないし、奥の奥にいっていて共有どころの話じゃない。

同じ場所にいても他の人とはほんのほんの少ししかリンクはしていないのだなと思う。なのでとても素敵なことで、大切なことやなぁとも思うし、それが素晴らしくて過剰にそれを求めることもしたりする人も多いだろうな。

似ていたり同じだったりするけど全く違う。
だからこそ、なんだろうけど。

全く違うのだ、と思っておいた方がよい。
同じだって思うから、おかしくなっていくんじゃないかしら?


ちなみに、ラスの思い出す思い出には、人がほぼほぼ出てこない。


読んでいただきありがとうございます。