今更変だと言われても、別に変じゃないと思われていても、何も思われていなくても
見えている景色と自分の間にあるぼやけた空間はいつもそこにあるのだけど、そこをきちんとみるのをすっかり忘れていて、だめだなぁと思いながらしっかりみることにする。
見ているつもりなのに見ていないものはたくさんある。
山の中の木の間から見える向こうに光が差し込んでて、そこは少し広くなってて、座れるくらいの石があって、そこに素直に座ってみる。ポカポカしているけど空気は少し冷たいのがいいな。
ビルの外壁にある装飾が檻のようでその中に入っている自分をみて、
屋根の上に三角座りして空見てる彼をみて、
目が慣れて遠近感がなくなってる薄青い色の中に広がる原っぱ、木が1本、満月に照らされて絵のようになっているその人を自分にして自分をみたい。
誰かに見られる場所で何かを発信していて、何やってんだとか思われていても関係ないと思いつつも、それを誰が思っているかというところで多少なりとも気になったりする。
提案をしても通らないので言うことが面倒になって言わないでおこうなんて思うけど、とりあえず言って違うかったらすぐ引いたりする方が多い。
そんなことよりももっと深く深く行こうと思う。
でも深く深くいこうなんて思っていたらそもそもいけてない。深くいってしまっている人はそれすらもわかってなかったりするのだろうから。
いったりきたりする自分はどうしようかと考える、いったりきたり高低差をもう少しつけようか。と考える。
上下だけじゃないからややこしい。
ややこしいけど嫌いじゃない。
哀しく悲しくて淋しく寂しくてそれでもって安心して何も感じないような感覚と空間はみんなも普通にもってるのだと思ってる。
思ってるのだけどなぁ...。
読んでいただきありがとうございます。