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布教活動では、布教しようとしてはいけない

こんにちは、らるです。

今日は、『布教活動』についてのお話です。

先日、こんなことががありました。

私が家に居ると、呼び鈴がなり、出てみると
「すみません。お時間よろしいですか?
 ○○(宗教団体の名前)ですが
 明るい気分になるお話に興味がありませんか?」

…と、全く知らない方が来ました。

いわゆる宗教勧誘です。

おそらく、この方は、自分の中では
親切だと思って訪問してきてくれたのでしょうが
私にとっては「怖い」方が先に立ち
話は聞かずに帰ってもらうことにしました。

この体験をしたとき
以前、知り合いの方に聞いた「布教」の際に
大事なことを思い出しました。

それは一言で言えば
「受け手の気持ちに寄り添う」ことです。

つまり、「自分の宗教を広めたい」から布教する
ではなくて
あくまでも、「相手の悩みに寄り添い」
その解決方法の一つとして「宗教」を提示する

ということです。

はっきり言って、布教そのもののことは
頭から外すくらいでちょうどいい
のだと言います。

きっと、皆さんも悩みを抱えた時に
誰かに相談したり、逆にされたりすることがあると思います。

その延長です。

当然のことではありますが
悩みを打ち明けてもらうには
深い人間関係を作っていく必要があり
また、信頼されるに足る行動を
とり続けている必要もあります。

かなり、ハードルが高いです。

そして、悩みを話してもらえたなら
相手の話をしっかりと受け止めます。

そうして、しっかりと受け止めたうえで
自分自身の体験を話すわけです。

例えば、
その宗教団体の先輩に話を聞いてもらって
悩みを解消した体験だとか
勇気づけてもらった体験だとか…

「信頼している相手が、
 実際に自分の悩みを受け止めてくれたうえで
 おススメしている方法」ということであれば
自然と興味がわくことでしょう。

これが、布教ができるときの方法だ

というんですね。

初めから布教することを目的にしていたら
取れない方法だ
と思います。

相手のことを強く想い続ける、ということに
徹した結果として、できてくること
でしょう。


これを踏まえて、冒頭の
「知らない人の家にいきなり押し掛ける」を
考えてみると、相手に寄り添っていない
あまりにも乱暴な方法に思えてきますね。

今回は宗教の話でしたが
「自分が好きなものを勧める」ときに
似たようなこと(=相手の気持ちを無視)を
していないかは、私も反省が必要かなぁ…と
思っているところです。

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