歩きながら考えること

最近考えること。私が今死んで、気付く人はどれくらいいるのかということ。私が好きなあの人には連絡はいかないだろう。噂だって、同じコミュニティにいるわけでもないから、届かないだろう。よく会っているあの人には、どうだろう。私からの連絡が途絶えたら、きっと、もう終わっただけなんだと、私が彼を切り離しただけだと思うだろう。私は何でもないその辺の人間だから、私が死んでも公にはならない。私の少ないSNSのフォロワーでさえ、どれくらいの人が気付いてくれるのだろうか。そして、忘れないでいるのだろうか。

私が好きなあの人が死んでも、私にはその連絡は入ってこないだろう。どこかで楽しく、苦しく、暮らしているだろうと思うだろう。思い出すこともなくなるだろう。生きていると、思い出さなくなる。死んだと知れば、その人が死んだ季節に嫌でも思い出す。

わたしのことを好きにならなくてもいい。仕方のないことだから。でも、私が死んだことは知らせたい。私のことを、私が死んだ季節に、思い出してほしい。彼の時間に、私のことを考える時間が一秒でもあればそれでいい。あったなら、それでいい。一秒くらいはあったかな。

もう会えないかもしれない。どこかでばったり会っても気付いてくれないかもしれない。記憶の片隅に追いやっているか、もう消してしまったか、それともたまには考えてくれているのか。彼から連絡が来ることはもうないと分かっていても、少しだけ期待させてほしい。それくらいは重くないだろうか。好きにならないなんて言わなければよかった。余裕のあるふりなんてしなければよかった。好きになってしまったと、もう会えないと分かっていたのだから、言ってしまえばよかった。

今日も彼のバイクを探す。バイクを乗っている人を目で追いかける。近くで生きているはずなのに、こんなにも会わないものなのか。本当に彼はまだ、この街で生きているのだろうか。あの日から既読のつかないLINEを開いて、まだ可能性があるなんて考えてしまっている。ブロックはされていないから。

私は歩く。近所でもできる限りのおしゃれをして。これが恋じゃないなら、何が恋なのかというほど、私は彼に惹かれてしまっているのに、彼が私を好きになることはもうないなんて、私の恋愛運が上がるなんて嘘じゃないか。彼に代わる人なんてどこにもいない。

彼と過ごした時間が、たった数分でも、あった私は、幸せだ。あの時間だけは、二人だった。一人と一人ではなく。

そんなことを考えながら私は今日も彼を探しながら歩く。

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