タイプ4の「苦しみ」とやら
ん~
こう言ったら
分かるかな?
「こんなにも狂おしく、こんなにも痛く、血が滴っていてもなお、望むことをやめられない、やめられなどしない、それが欲しい、私はそれが欲しい、ちくしょう、なぜだ、なぜないんだ、ここにないのはなぜだ、ちくしょう…」
解説
苦しみや悲しみは、それを成立させ、等価たらしめている、言外の別の感情のまたとない存在証明(それは希望や敬意や信心、そして愛)
感情は強ければ強いほど、生々しく、生々しいからこそ真実であると感じられる
自らの痛みを掻き毟り、その痛みを強めることにより、痛みのない世界を望む心もまた、強く生々しく再燃する
望んで不幸になりたいわけではない、むしろ誰よりも強く、そのなし得たことなどない「幸せ」を望んでいる
しかし「足るを知る」ことができないから、ほとんど常に、「何かを望んでやまない」という感情に支配されている
この流れ続ける血は、「心から理解された」と思えるその時がくるまで、止まらないと思う
これは私の実感でしかないけど
奇跡的に苦しみが
一時的にでも解消されると
「幸せ」というよりは
「無」になったりする
(このことも重要な示唆が
あるって思うけど今は割愛)
このことについて
安易に「分かった」とか
思って欲しくは
正直ないのだけど
ある意味では
「苦しんでいる自分」が
アイデンティティの一部なのは
そうなのかも
そういうのもあって
外から「苦しみ」を
否定(解消)するような試みには
「分かってない」って
抵抗するかもだけど
実際に消えてしまっても
どうせまた
すぐ苦しみだすし
本人としては
苦しみたいとは思ってない
本当の意味で解消できるなら
是非そうしたいよ
本当にできるならね?
だから
あくまで
外からみたときに
「苦しみたがってる」ように
見える可能性があるだけで
内心としては
ちょっと違うかな~って
思ってみた
おしまい
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?