空気階段のいる世界に生きられてよかった。単独ライブ『baby』再演の感想など。

「あらびき団」→「空気階段の踊り場・駆け抜けてもぐら」で空気階段を知る

2018年の年末に放送された「朝まであらびき団SP あら1グランプリ2018」ではじめて見た空気階段の面白さは底抜けだった。披露されたネタは代表作「クローゼット」だ。

間男が女の部屋でイチャついてると、そこに彼氏が帰ってきてクローゼットに隠れるという、あるあるな設定から始まるこのネタだが、クローゼットに入った間男は異空間に迷い込んでしまう。
そこにはピンクのタンクトップを着て、角刈りにサングラス姿の太ったおじさんが立っている。男は、瀬川瑛子のモノマネ風の声音で「女性を傷つける者、それすなわち人にあらず、外道なり」と言うなり、「ぬぁ〜」と唸りながら超能力を発揮する。その能力によって間男にかけられた制約は、「息がトムヤムクンの香りになる」だとか「一人称が俺っちになる」といった、間男するような人間が絶妙に嫌がりそうなもので、いちいち可笑しい。そして続く「あなたが腰を振るたびに、沖縄のサンゴ礁が一匹死にます」で抱腹絶倒してしまった。卑近な制約から一気に沖縄のサンゴという彼方の存在へとよきせぬ方向に想像が飛躍していくさまに笑った。

しかしそこで一気に空気階段にハマったかというとそうでもなく、僕が空気階段を再び意識するようになるのは、2019年4月のことだ。

Twitterのタイムラインにラジオ番組「空気階段の踊り場」で語られた銀杏BOYZ・峯田和伸との思い出話がめちゃくちゃエモいというツイートが流れてきた。
このときはまだ「クローゼット」のネタと「空気階段」が結びついてなかったが、銀杏BOYZには屈折した思いを抱いている者として、その放送に聞いてみた。

その放送では、高校生時代の鈴木もぐらが、銀杏BOYZに救われ、ライブのために全国をめぐり、実際に峯田と交わしたいくつかの会話などがおもしろおかしく語られていた。もぐらのやたらと上手い峯田のモノマネに笑わされながらも、彼の語る「本物のハンバーガー」を峯田がごちそうしてくれたエピソードや、峯田の泊まる部屋に泊めてもらった話には胸が熱くなる。
芸人を志すにあたり、いっぱしになって共演できる日まで、思い出は胸のうちに秘めておくと決めていたもぐらは、なぜこのタイミングで峯田との思い出を話したのか? それはそもそも「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!」に出演した峯田和伸が先に、もぐらのエピソードを語ったからだった、というのもグッとくる。自分の憧れが、未だ無名の自分の存在をテレビで語ってくれるなんて夢のような話ではないか。峯田に先に語られてしまっては、隠してもいられないということで、もぐらはラジオで銀杏BOYZの思い出を語ることにしたのだった。その律儀さにも心打たれる。

この放送ですっかり鈴木もぐらの虜となった僕は「空気階段の踊り場」を過去回から聞くようになる。芸人のラジオなんて内輪の盛り上がりでしょうと思っていたけれど、空気階段のラジオは違った。ラジオクラウドですべての回を聞けるというのも、中途リスナーを置いてけぼりにしないシステムでよかったし、番組が30分と短かったのもハードルが低くて助かった。今では物足りないくらいだけど。

そしてなによりも、空気階段は自らの生活を余すことなく語っていた。この番組さえ聞いていれば彼らのすべてを知れる気がしたのがよかった。妙な匂わせもなく、一切を曝け出す潔さがあって、清々しい。

社会のはぐれ者

ラジオで知る空気階段はふたりとも、社会の“ふつう”から逸脱したはぐれ者だった。

33歳のもぐらは借金600万円超の(元?)ギャンブル狂で、長年の不摂生が祟り歯は次々と抜け、股関節の激痛に悩まされている。家賃1万7千円のアパートに住んでいる頃には、ネズミしか罹らない病気になったという。
30歳まで素人童貞だった彼は、初めて付合った女性とのエピソードも赤裸々に語り、婚姻届を提出する様子もラジオで流した。その後子供が生まれるも、貧乏がゆえに妻子とははなればなれで住んでいるという事情さえも包み隠さずおもしろおかしく話す。
また、夜の街でデリヘルの受付やキャバクラのキッチン、カラオケバーの店員として働く彼が見てきた社会の周縁に生きる人たちのエピソードも最高だった。

しかし、もぐら に惹かれて空気階段にハマった僕がよりいっそうシンパシーを抱くことになるのは、相方の水川かたまりのほうだ。

上京して入学した大学で広島弁を揶揄されて「じゃがいも星人」と呼ばれ馬鹿にされ、「学校はつまらない」と半年で退学し1年半ひきこもった水川。マザコンで、バイトが嫌いで、1200万円もの仕送りをもらってきた彼は、ラジオでもたびたび本気で怒って歯を出したり、「号泣プロポーズ」のような事件を起こしてきた。長年付き合ってきた彼女に愛想をつかされ徹底的に落ち込んでいたかたまりが、ひょんな流れで今まで隠してきた交際の事実と振られたこと、そしてその彼女にまだ未練があることを涙ながらに語る。そしてフラれているというのに、「僕と結婚してください」と言ってしまうみっともなさは、愛おしいほどに人間だった。
甘えから抜け出せてなくて、感情を抑えるのが苦手なかたまりは、まるで自分のようで共感してしまった。僕も大学で幾度となく沖縄出身であることを揶揄されたし、卒業後2年以上ニートになってしまった。空気階段はブレイク間近だからそこは違うけれど、僕は今もまだ冴えない働きぶりだ。たまたま同じ1990年生まれなのも嬉しかった。

そしてかたまりが、もぐらといっしょにコンビをやっていることが羨ましくもあった。未熟で世間知らずの男にとって、もぐらのような酸いも甘いも噛み分けたような人生経験のある年上の男がそばにいてくれたらとても心強いではないか。僕は、もぐらに憧れて、かたまりに共感して、空気階段に惹かれていった。

33歳の鈴木もぐらと29歳の水川かたまり、空気階段のふたりは、社会の“ふつう”から逸脱している。彼らのお笑いは、社会に生きにくかった自分たちの生を肯定するために、あらゆる生を肯定していく営みなのだろうと僕は思う。

共に境遇は違っても、“ふつうの”社会からは外れてしまったはぐれ者のふたりは、お笑いでその逸脱を“肯定”していく。
大げさに言ってしまえば、空気階段は、あらゆる人間の生を肯定していく。

そんなふうにして空気階段にハマった僕は、2019年10月、彼らの単独ライブ『baby』の再演に行った。僕はあのライブで笑いながら泣いていた。彼らの実存がこれでもかというほどに刻みつけられたコントの数々に救われていた。全コント映像がYouTubeに上がった今、あの救いの時間を振り返りたい。

関健は「強く生きろ」と言う。

『baby』は8つのコントが披露されたが、ここでは一本の軸となるストーリーを構成する4つのコントに触れたい。

オープニングコントのシチュエーションは「出産」だ。

女性の荒々しい息づかいと「もうちょっと〜!」と励ます助産師の声、ステージ上手に立ちすくむ かたまり がいる。
下手から「ちゃぷちゃぷちゃぷちゃぷ」と両手をひらひらさせながら胎児役の もぐら が登場。「これ、もう出ていい感じだよね? やったー!生まれるー!」と、へその緒を外そうとしたり、どのタイミングで出ればいいの?とドタバタしてやがて、ステージ中央の“ワレメ”から生まれる。

「おめでとうございます。18時5分、元気な女の子ですよ〜」と助産師。ヒゲヅラの もぐら が「女の子」だったことに、観客は思わず笑ってしまう。しかし赤子と対面した かたまり は、ためらいなく「かわいい〜」と言う。

どう見てもおじさんでしかない赤子を「かわいい」という。この肯定の言葉に生への祝祭を感じて、いきなり揺さぶられた。ここでの「かわいい」は、顔や仕草がかわいいといった赤子の魅力についてではなく、赤子の存在そのものに対して投げかけられているからだ。
それは「僕は君を愛するよ」と言い換えてもいいだろう。生まれてきたばかりの、まだ関係性も育まれれる以前の赤子への「かわいい」はどこか超越的に響く。

「みえーる君β・改」では、「生きてても楽しいことがひとつもない」54歳の平山(もぐら)が、あえて死の危険を感じることで走馬灯を見る滑稽さを描く。

この平山が、「生きてても楽しくない」からといって死を選択しないのが良い。走馬灯(過去)に生きる人間に、空気階段はやさしい。
今はたしかに楽しくないけれど、54年の人生において楽しい瞬間はたしかにあった。今現在の不幸を嘆くのではなく、人生のすべての瞬間を見渡して、生をまるごと慈しむのだ。

「関 健 ~夏祭り大乱舞編~」では、時空を越えて夏祭り会場に突如現れたサバイバー・関健(もぐら)が、孤児のアキラ(かたまり)を「強く生きろ。アキラ」と言って抱き寄せる。

サバイバー(生存者・遺族)が、問答無用で生きることを肯定する。

関は祭りを戦場と勘違いしていて、射的の兄ちゃんをKGBだと思い込み、花火を開戦の合図と聞き間違い、金魚すくいの水槽に飛び込んで手掴みで金魚を食べまくる。
警察に捕われたサバイバー・関健は「食え!生き延びるんだ!生きるために食うんだ!食えー!」というメッセージをアキラに残して連れ去られる。

空気階段は生きることを徹底的に肯定していく。生き延びるために走馬灯にすがったり、金魚を食らったりする、彼らの並々ならぬ生への執着はたしかに滑稽で、可笑しくて哀しい。

伝染する肯定の言葉「かわいい」

『baby』のラストコント「baby」は、ここまでの7つのコントが集合する海辺でのストーリーだ。

“自然の盗聴器“である周りの音を録音する貝殻を集める男(もぐら)と、幼いころから馴染みの海辺でタバコを吹かす青年(かたまり)。
青年は、OPコントで出産に立ち会っていた男であり、「特急うみかぜ 19:55 東京行」で中島とともに上京する今井であり、「みえーる君β・改」で平山にモーニングスターを届ける宅急便のあんちゃんであり、「関 健」の少年・アキラだ。
東京でミュージシャンの夢を諦め、故郷の北海道に戻り、中島と結婚したアキラに今、子供が生まれようとしている。

「もうすぐ娘も生まれるんです。でもなんか不安で…僕の両親、僕が生まれてすぐ死んじゃって。身よりもないから児童養護施設で育ったんです、ほら、そこのわかば園。だから親に育てられたって記憶がないから、自分がちゃんといい父親になれんのかなって」

そう語るアキラを貝拾いの男は諭す。

「最初から一端の親でいれるやつなんていねえんだからさ。子が親を成長させてくれるんだって。親が子を育て、子が親を育てる。そうやって互いに成長していくんだよ」

このダイアローグは、空気階段のふたりと重ねられている。“クズ”のままに結婚し子供が生れたにも関わらず、お金がないから未だに一緒に住めていない もぐら、そして当時、結婚を前提に元サヤに戻っていた かたまり。

ふたりが人生の節目に書いたコントは、ふたりの境遇と限りなく肉薄していく。ふたりの実存が、コントで息づいていて僕は息を呑む。

子供の誕生を前にナーバスになるアキラに、男が「ひとりでずうっと貝拾ってるとさ、たまにどうしようもなくなるときがあんだ。そんなとき、これ聞いて元気出してんだ。聞かせてやっから、これ聞いて元気出せ」と言って差し出した貝殻からは、ある夫婦の他愛のない話が聞こえてくる。
その音声は「みえーる君β・改」で、平山の目を盗んで配達員のアキラが見た走馬灯の景色と同じだった。両親がまだ健在だったころ、家族3人で浜辺に来たときの会話。アキラの思い出にも残っていないその会話が、貝殻に残っていた。

今は亡き、話したこともない両親が、アキラの未来に思いを馳せ、アキラと過ごすはずのこれからの時間を楽しみにしている。

母「また3人で来ようね」
父「うん、孫が生まれたら4人で来よう」
母「この子のお嫁さんもいるから5人だよ」
父「そっか、楽しみだなぁ」
母「楽しみだね、あ、おねむかな」
父「おやすみ」
母「おやすみ」

再生が終わると、浜辺に一体の人形が打ち上げられる。それは「14歳」で男子中学生が作成したといっていた最愛のダッチワイフ「ハタノさん」だった。貝拾いがハタノさんを抱きあげて「かわいい」といって微笑んだところで、『baby』は終わる。

14歳の男子が作ったみすぼらしいダッチワイフを、貝拾いの中年男性が「かわいい」と言って肯定する歪な繋がりが、やけに感動的だ。
そして、ダッチワイフに向けられた「かわいい」が、OPコントでアキラが放った娘への「かわいい」に伝染していたのだと気づき、僕は震えた。

「かわいい」は、対象への圧倒的肯定の言葉だ。14歳の少年の性欲が生み出したダッチワイフも、生まれたばかりのアキラの娘も、「かわいい」という肯定の言葉で、その存在を祝福されている。存在することを許されている。

空気階段のコントは、か弱き存在を肯定する。同時に、走馬灯にすがったり、貝を拾うだけの日々を送りながらも、生に執着する人間の姿も描く。そして関健は言っていた、「強く生きろ」と。

「キングオブコント2019」の敗者コメントで、水川かたまりは「お笑いのある世界に産まれてきてよかったです」と言い切った。苦しみも、やるせなせも、虚無も、苦痛も、笑いがあればいっとき忘れることができる。そのお笑いの力で、水川はひきこもり時代をやり過ごし、そして自身もお笑いを志すことになった。

そして、空気階段はお笑いのなかに肯定を忍ばせる。その肯定が、僕らに明日を生きる力をくれる。空気階段のふたりだって生きてるんだから、僕も生きなきゃな、と小さく決意させてくれる。

「人を傷つけない笑い」という言葉は人口に膾炙したけれども、空気階段は「人を癒す笑い」をやってのけてるのではないか、と思う。このヒーリングを必要としている人は、少なくないはずだ。

上に載せたコント以外の4本もどれも面白く、そしてラストのコント「baby」につながってくるので、ぜひ見てください。

単独ライブ『baby』のエンディングテーマは銀杏BOYZの「エンジェルベイビー」だった。

hello my friend
君と僕なら永遠に無敵さ
さようなら 美しき傷だらけの青春に

僕は空気階段に「お笑いのある世界に連れてきてくれてありがとう」と思ってる。彼らと共に「美しき傷だらけの青春」にお別れできるような気がして、心強いです。あるいは、青春のままに生きていく。

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