日記20200609(登園、しめじ、冷やしうどん)

登園再開以降、晴れた日は、手をつないで歩いて送ることにしている。これまではずっとベビーカーに乗せていた。ラクだから。でも娘の歩くスピードもだいぶ早くなったし、体力もついてきたので、大人の足で徒歩5分ちょっとの保育園まで手をつないで歩く。
ビルとビルのあいだを歩いていると、娘が壁面に揺れるロープに気を取られていた。見あげると、命綱に揺られながら窓を掃除する男がいた。娘に上を見るよう促してから、お掃除してるんだよ、かっこいいね、と言うと、「かっこいい〜」と歓声を上げていた。
スーパーの倉庫前を通るときには、駐車していたトラックの荷台に備え付けられた昇降機が動くのを見た娘が、「かっこいい〜」と言った。そうだな、あれってかっこいいよな、と思う。トラックのそばでは、店員が3人真剣に話し込んでいた。ああ、働く人ってかっこよかったんだな、と思いだす。子供のころは、あらゆる職業がかっこよく見えたものだった。スーパーの店長、宇宙飛行士、大工、バスの運転手、アナウンサー、教師……小学生のころまでに憧れた職業に脈絡はなく、つまりなんだか僕は働くことに憧れていたんじゃないかと思う。なのに、いざ、就職活動となったときには、働くことに尻込みして、いろんな言い訳をこさえて、結局ニートになった。子供のころのほうが、ずっと具体的に働くことを考えていた気がする。歳をとるにしたがって、僕は抽象的になっていった。
そんなことまでいちいち考えてしまうような、娘との徒歩の時間が僕はけっこう好きだったりする。

昼食は、昨日妻が作った豆腐とわかめとしめじの入った味噌汁とご飯と納豆と目玉焼きにした。いい食事。これで十分。
ただ、僕は突然、しめじが苦手になってしまった。昨日の時点で気づいていたのだけれど、気のせいだと思いたかった。きのこ類は好きなはずなのに、なんでこんな気持になっちまうんだろう。つるっと口に入ってくるきのこ、噛むとじめっとした臭みが口に広がる。変だな、と思って箸にひっかかっているしめじを見つめると、そいつに手足が生えて動き出しそうに思えて、ゾッとする。そういえば、このしめじをスーパーで手にとったとき、僕はなんだかソワソワした。
妻に「きのこ苦手になってしまったかもしれん」と言うと、「え、えのきも? しいたけも?」と訊かれた。思い出してみる。えのきもしいたけも、しめじと比べると、どこかぐったりして見えるから、平気だと思った。味を思いうかべて見ても、問題ない。そうか、しめじは生命力が強そうに見える。というか、今にも動き出しそうに見える。その強さにたじろいでいるのかもしれない。きっと、庭の掃除をしたせいもあると思う。庭で感じた草木の生命力と太陽の偉大さ。部屋を取り囲むようにコの字型にある庭は、北側と南側で生態系が異なる。南側はツツジが咲いたり、太い木が生えていたり、雑草も乾いている。リビングの窓は南側に位置しているので、僕らがいつも見ているのは、この庭だ。
しかし、陽射しが入りにくい北側は別世界だった。水を含んだ土は重く、雑草は根っこから抜くのが難しい。草にはナメクジか何かの卵がいくつも付着している。土のうえには苔のような不思議な草が這いつくばるように生えていて気味が悪い。蛇がいてもおかしくないなと思ったし、きのこが生えてないのがむしろ不思議なくらいに湿った環境だった。北側の庭には、しめじが似合う。
僕がしめじを苦手になったのは、庭の草むしりにせいを出したせいかもしれなかった。

夜は、冷しゃぶうどんを作ってもらって美味しく食べた。夏はずっと冷たい麺をすすっていきたいな。今度は梅と紫蘇の冷やしうどんが食べたいな、というと、「そう思って、昨日すっぱい梅干し買ったんだ」と妻が言っていて、夫婦!と思った。

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