まえがき(と称した言い訳)

 出来るだけ脚色しないように書こうと心がけているものの、僕の記憶はそんなに優秀なものではないし、同じ景色を見ていてもその色だったり大きさはきっと異なるものだろうから、事実と違う部分が何個かあると思う。けれどもそれは僕なりに努力した結果だし、これを期にフィクションに逃げていた僕に別れを告げ、自分と自分の記憶に正直になろうとした最終的な答えであると思う。それを受け入れて貰えなくても僕は構わない。何故ならあなたに伝えるべくしてかいた文章ではなく、正真正銘の自分に対しての、いわば遺言のようなものであるから。ただ、正確に言えばこの遺言は現段階での遺言であり、それに書き加えるようなものが出てきたらその時はまた書き足そう。

 戦いか呪いか単なる思い出か、それともフィクションか。それを決めるのは、やはり僕自身であるが今はソートする必要はないと考えている。出来るだけ真摯に文字に起こすことがリハビリに必要なものだ。約5年間の出来事。僕が今もあまり生に固執しないのは、この期間の出来事があまりに濃かったからだろう。全てがこの世の中で1番美しいもの、1番尊いもの、そして1番愛おしいものだと感じていたから。

リハビリと言ったのは訳があって、それはやはり定期的に頭の中で大きな波の音がしたり、赤ん坊の鳴き声が聞こえて、日常生活に支障をきたし始めてきたからだ。でもやはり僕がこの文章を書き終えずして、死ぬわけにはいかないと思っていることが1番の理由。それと欲を言えばこの文章に添える一曲を僕は作りたいと思っているが、そんなこと言ったら曲を作る時は大体そう思って作ってきた。けれどもできなかったのはやはり順番があるからなのだろう。

最後に言い訳をひとつ。
すでに記憶は塗り替えられている部分があるし、僕の邪推がそれを形成していたりもする。でもそれは嘘ではない。嘘に近いだけであって本当は本当なのだ。 

この文章で唯一僕が嘘をつくとするなら、この物語を終えてしまうことだ。

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