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不感症の警官

僕です、はい。

明らかに自分の才能(もともと無い)とポテンシャルが徐々に消えていく感覚、それすらも無くなりそうな日々を過ごしてる。

あれ、僕ってさ、どうやって文章書いてたっけ、どうやって曲作ってたっけ、どうやってギター弾いてたっけ…、

僕はといえば、この大都会東京の中で、
流行りの病がもたらしている危機に、思いっきり肩ぶつけられながら生きています。
生きてる?
僕がちゃんと生きていた日々って16〜21歳くらいの間だったような気がする。

じゃあその5年間って何してたんだろう。

海と骨の匂い、踏切のカンカンって音、
アドバルーンが浮かぶ風景、
そんなことばっかり考えてた。
それが曲になってた。4人で作ってた。誰かに聞いてもらってた。

僕はといえば今、
世の中に溢れてる目に見えない塵を、無理やり売って、誰かの役に立った気になって生きています。今。

それって既に死んでるかもしれない…。

じゃ息を吹き返すために、
ライナーノーツ書きます。

I can't be a mother

この曲、めっちゃいい曲よね…
だって2、3年温めてたんだもん。
この曲ってYouTubeにも上がってないし、僕CDも持ってないし聴きたくなる時自分で弾くしかないのがもどかしい(だれかあげてください)。

ちなみに最後に出したアルバムタイトルは
僕が大好きな兄妹ユニット、family basikの1stアルバムの最後の曲名から拝借してます。

どう笑ったんだろう
もう忘れたよ
離れた街は僕から離れない

そう、カレンダーにはなにも書かれていない

はにかんだあなたから波が生まれたんだよ

僕は目を開けて朝を待ち焦がれて
ただ手をつないでて
ありふれた日曜で

白い砂 貝殻
そんな風景はない

「小さな左手はどこかな」

僕は目を瞑って夜を恐れながら
遠くから聞こえてる
産声に救われて

生きた日々、溶け出す過去を波止場に捨て
散る花びら吹き溜まる
それが全てだから

痛みならば消えるけど悲しみは残るから
気づけばほら、また同じさ

繰り返す八月を

そうさきっと履き違えた愛を持ち寄せ
今ならわかるんだ
あなたの話す言葉

僕は目を開けて朝を待ち焦がれて
ただ手をつないでて
ありふれた日曜で

テーマとしては海辺にて、を経た僕がその街を思って書いた曲。自分がその街から離れてもその街のことを何故か思い続けてしまう、回想録のようなものです。
海辺にて、はその街での出来事が描かれていますがこの曲は離れたところからその街を想っている様子が描かれています。

コード進行はBadd9のコードフォームのまま、ルートだけ親指で動かす、当時の僕がハマってたもの。ルートはE→F#→G#→Bという進行です。(今弾きながら確かめてるので多分合ってるはず)
ちなみにコード進行で僕が気にっている部分は

痛みならば〜

以降の、これまたルートだけ進行していく部分。
ここがE→D#→C#→Bになっていきます。
aメロ、サビの進行と異なり徐々に音が下がっていきます。
ここのコードフォームが
×     
4
4
4
7
×
5弦のルートだけ進行していく形になります。
なんとも美しい響き…。後になって気づくんですがここの響きはアルペジオよりも、じゃらーんって鳴らした和音の響きの方がなんとも言えない響きに聞こえるんですよね。

歌詞の話に戻ると、
海辺にて時代の僕が目にしたものや触れたものが、自分の血となり骨となり、より客観的に判断できるようになった。
それを出来るだけ具体的に表現したものになります。
海辺にてが、抽象的で内側からの視点だったものに対して、I can't〜は具体的で外側からの視点、という対比構造が描かれています。

小さな左手、産声、散る花びら、の部分は
海辺にて、では語られなかった命の話を表現しているわけですが、
この曲が出た半年後に実際に舞台となった街でこの言葉たちとリンクするとある事件が起きてしまいました。
当時の僕はその事件の概要を聞いて、
とても他人事とは思えない、言葉を選ばずに言うならば、まるで自分の記憶の中のような出来事でした。
興味がある方は頑張って探してみてください(海辺にてのmvのとあるロケ地がもろ犯行現場だったりします)
単なる偶然なんでしょうけど、
この曲が誕生した後にまた意味をもたらすことになるとは、作った時は考えもしませんでした。それも加味されてこの作品が完成したのかと、今となっては思います。

明日も朝から仕事です。ここら辺でやめときます。

いつかまた酔っ払った時にこの曲にまつわる話をもう少し、他の曲の話もできればなと思います。

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