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エッセイ:駆ける馬の美しさ、文脈で誤魔化す利への固執と自己嫌悪。

10月29日(日)、東京競馬場で秋の天皇賞が開催。
去年の天皇賞でパンサラッサの大逃げに全てを狂わされてから、まさに一年ぶりに競馬場に行きました。
僕はギャンブルというものがそもそもあまり好きではない、というか、リスクの大きなことをあまりやりたがらない性質です。
悲しき自己愛の権化なので、「損」が嫌いなのです。
失敗ばかり、損ばかりの人生だと吹聴する割に、成功したい、自分だけ利を得たいという思いが強い。
イカれたフェイク野郎。
勝ちたい癖に負けたがり、道化になることを求め。
道化を演じる裏で勝ちたがる。
醜悪な精神性。
だから一線を越え「ギャンブルをやる」と決めたらハンドルを振り切ってしまう。
でも振り切り方にも保険をかけて、ギリで利を得ようと足掻いてしまう。
ダメージを最小に抑えようとする。
例えば、今回はイクイノックスを軸に3連単で30通りに1000円ずつ3万円かけましたが、本当に振り切った人間なら選んだ3通りに1万づつかけると思います。
自分の判断の中途半端な賢(さか)しさが醜く、
見つめれば見つめるほど
終わってるな、と思います。
これって人間的で美しいと思いますか?普通に欺瞞ですけど、欺瞞を美しいと思ってもらえますか?そのくらい受容力がある高潔なオタクがいたら、教えてください。それはもう祈りの対象です。

レースは面白いし楽しいです。様々な人、団体、企業、経済が絡み合い、一大興行として魅力溢れるエンターテインメントです。
馬や騎手、馬主にもストーリーがあり、それらが華々しい文脈を築き上げG1レースとしての格を底上げしていきます。
故に自分の矮小な精神性を誤魔化しやすく、熱狂に脳を焼かれるので、芳しくない脳内状態だと客観視しつつも気持ちよくなれる。
なにせ、天皇陛下もご覧になられる高貴な興行ですからね。
でも、やっぱり翌日くらいになると、自分は馬や騎手を本質的には応援していないのではないか。馬や騎手が勝つことにより発生する「自分の利」のために応援しているのではないか、と自己嫌悪します。
やっぱり向いてないのかもしれません。

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