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エッセイ:外環の内側で

東京外かく環状道路、通称「外環」を潜って都内へ赴く。
潜らなければ都内に行けない。何故なら、僕は外環の外側ばかりに住んでいるから。正確には板橋区の成増に住んでいた事があるので、ギリギリ内側に住んでいたこともあるけど、ほぼ和光市だったし誤差の範囲だと思う。
まぁそんなわけで、仕事に行くのも、買い物するにも、オタクイベントに行くのも、大抵は外環を潜って都内へ行かなくちゃいけない。
僕はこの厖大なコンクリートの塊のことが、かなり好きだ。
電車の窓から見える無骨な姿もカッコいい。
関東平野に自動車が移動するためだけの巨大な道路が跨っていると思うと気持ちが上がる。
“環状”と“感情”が同音異字なのも、なんの関係もないけど、ちょっといい。
大泉ジャンクションから川口、三郷、高谷まで続く巨大な高速道路は、僕にとっては“外”と“中”の分水嶺で、生活と労働の狭間で、ハレとケの境目のように感じられるのです。

首都を囲む環状の道路って時点でかなりカッコいいと思うのですが、しかも環八や環七とか更に環状の道路があるのですから、これはもう比類なくカッコいい。
僕はこの外環を勝手に首都防衛の結界だと思っていて、もし関東平野で怪異と戦うことになり首都を防衛することになったら、まずは外環から結界を起動するでしょう。オタクなので何歳になっても常にこういう妄想をしています。
それに、悪い人が鋼の錬金術師における賢者の石みたいな物を生成しようとしたら、やはり範囲指定の楽そうな環状道路を使うと思います。
ところで、皆さんは賢者の石になりたいと思ったことはありませんか?
突然死に方の話をして申し訳ないですが、クセルクセスの国民みたいに、いつの間にか賢者の石になってしまうような死に方が、僕にとってはかなり理想的な『死』の一つです。
外環の内側で、都市に抱かれながら、いつの間にか、眠るように、溶けて無くなってしまいたい。
だから僕は外環を潜る時、いつも祈りに近い感情で、死と生を同時に夢想する。

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