夢に見なくなった職業

小さい頃から本が好きだったから大学を出てすぐは図書館に就職した。正確には図書館ではなくとある民間企業に就職した。東京都内のとある区立図書館の業務委託先。司書としてではなく、なんかよくわかんないけど図書館どころかその図書館が入っている区役所、そこからさらに拡大してその区の地理、歴史、観光、その他なんかもう色々なんでも答えられるべき人間として採用された。そこでの仕事はすごくすごくすごく楽しくて、だって本好きにとってはこれ以上ない環境だった。たぶん。少なくとも私にとっては夢のような仕事だった。

健康を失ったのでその仕事を続けるのが困難になった。去年あたりまではたまに、当時の職場を夢に見た。いつも決まって辞めたくないのに辞めさせてください申し訳ありませんと伝える場面で終わる。給与はよくなかったけど構わなかった、職場環境、要求される知識、どれも最高に私の興味と合致していて、私はそれをできた。できたらよかった。でもできなかった。今回は後ろから見学するだけで、次回は観光案内の先頭を任せてもらえるはずだった。それが一体何年前のことであるかを思い出したり数えたりすることすらもう今の私には難しい。

今の私は別に超やりたいわけじゃないけどなんかできるし健康でなくともその分配慮を受けられる仕事をしている。やりたくないわけじゃない、でも一番を経験した後にそうじゃないものを選ばざるを得ないことは悲しい。あそこに戻りたいと思う、ずっと。とても悲しい。悲しい、意外にどう言ったらいいのか分からない。残念は悲しいよりも軽い感情であることをおかげで知った。

若いうちに(つまり健康で自由で体力がある間に)業務時間が多少辛いレベルまで増えようとも経験することが大事だとか、成長環境が整っているので入社しました!とか、そういう言葉を目にすると羨ましくなる。これは毎年10月の内定式と4月の入社式の時にどうせ直面することになる感情なのでさすがに3年目ともなると「あぁ〜いつものやつ」くらいに思うことができるようになった。目の前の学生に暗い感情を持つこともなくなった。羨ましいね、新卒で頑張る体力のある人間が。でも私が健康を失ったのはかなり自業自得な部分が多い(と思う病気であるという面を抜いてもなお自分のせいだと思うのでこれはどうしようもない)ので結局自分を刺すようになる。それも間違っている。難しい、いいや難しいことなんかひとつもない。今でも十分満たされている、満たされているが、でも、私はあそこで働き続けたかったし今ももっと働けたらいいのにと思い続けている。

一方で私は「あの時ああしなければよかった」とか「あちらを選んでいればよかった」と後悔することはひとつもない。単にバカで反省ができないせいかもしれないけれど、今までの人生を振り返って、ひとつたりとも「あの時もっと頑張れたはずなのに」と思うことはない。いつだって私は全力でやってきたし、手を抜いたことは一度もない。私が私を許せることがあるとしたらこの一点だけである。そのせいでうつ病になったことを知った状態で過去に戻れたとしても、私は多分今の私に行き着く道しか選べないと思う。後悔がひとつもないのはよい人生を歩いていると思う。これからも全力で走れたらよい。

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