もう怒ってなーいよ!(とはまだ言いたくないねえ)

髪や体を洗っている間に余計なことを考えるから入浴が苦手だ。お湯につかるのは好きだからいつもkindleかスマホを持ち込んで、一時間ほどとにかく何かを読みながら過ごす。でも髪を洗うのは嫌だ。目を閉じるともっと余計なことを考える。だから髪を洗う時間がなるべく短くなるように、ベリーショートのツーブロックにしている。髪は短ければ短いほどいい。余計なことに気付かずに済む。

それでもたまにふとした時に余計なことを考えて手が止まる。今日は久しぶりにそんな日だった。「もう何を思い出しても、そんなに怒りを感じないな」と思って、手を顔の前にかざして、目を閉じたら視界が黒一色になって、目を開けたら自分の手があって、また目を閉じたら何も見えなくなって、また目を開けたら手があった。「もう怒っていないのか?」と思った。顔を手で覆って、また何も見えなくなった。「もう怒ってない自分にも怒っていない」と思った。びっくりして、シャワーの栓をひねった。髪についた泡が流れていくのを見た。私はもう私に怒っていなくて、それでいいのか?と思った。またあいつに出くわすことがあったら髪の毛を全部抜いてやると意気込んでいた私がいない。それでもいいんですか?と過去の自分の方を見たけど誰もいなかった。また会うことがあったら、と思って怖いなあと思った。怖いだけが残ったのか、まだ残っているものがあってよかったと思った。

お風呂から出てサーキュレーターの最強の風を浴びると涼しくて気持ちがいい。魚にエサをやると近寄ってきてかわいい。好きな音楽を流すと気分がいい。いつも着ている、もう毛玉だらけのセーターに袖を通すと安心する。不意のなにかがなければ私の家は私が好きで大事にしているものしかなくて、安全で、ヌオーのぬいぐるみを抱くと安心する。私はもう怒っていないし、それでいいみたいだ。それでいいんだろうか。そのうちこれが普通になって、怒っていたことも忘れてしまうんだろうか。不安だ。それじゃダメな気がする。でも時間が経つうちにこれも、忘れるとは違うな、思い出しても……いや、本当は思い出すことも少なくなっている。これでよい?これでよい、と、言い切ることがまだできない。言い切れる日はたぶん来ない、とても悲しい気がする。でももう怒……怒らなくていいのか。そうか、そうか。

と思ったら「不意に」がちょうどいま飛び込んできて、でもちょっと大丈夫だった。だいじょうぶになったのか。なんか、空っぽな感じだ。いいんだろうか、これで。でも死ぬまであと何十年かあるなら、空っぽなくらいでちょうどいい気がする。なんでも入れられるじゃんね。楽しみなこと、いやそこまで刺激的じゃなくていい。これから先に怖くないことがある、それもどうやらかなり多めらしい。そうか。

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