30歳になるけどもう32歳くらいの認識だったから特に思うことはない

人影という言葉を聞くと自動で「月影」という言葉が思いつく。この言葉を知ったのは中高生時代仏教系の学校に通っていた時に歌わされることが大方「月影」という歌が初めてで、それ以外の場所では目にしたことがないかもしれない。浄土宗の開祖(だっけ?)の法然上人(校内では「上人」という敬称をつけて呼ばれるのでそれがインプットされてしまい、時々日本史の模試でも法然上人と書いて府正解扱いになったりする)の「月影のいたらぬ里はなけれども眺むる人の心にぞ住む」という一句にリズムを付けただけの短い歌である。わたしはこの曲がまあまあ好きだ。

好きな歌といえば小学生時代音楽の授業時に先生が弾くピアノを囲んでみんなで歌う「赤い屋根の家」という曲も好きだった。今でも覚えていて、深夜散歩時に歌ったりしている。音楽のことは楽譜が読める程度にしか知らないが、外を歩いている間はいつも歌っているので、本の次に身近な存在かもしれない。

大学を卒業するまで吹奏楽部で触れる顧問の趣味前回のジャズ以外では、親が車の中で流すサンボマスターや椎名林檎と、自分で買った「ベストモーツァルト100」というCDに収録された100曲が私の知っている音楽のすべてだった。2000年代のニコニコやボカロ文化の全盛期にメイン層の若者であったにもかかわらず、あとはなんか、知人から勧めてもらったバッハくらいしか知らなかった。土日は美術館か博物館に行き、その帰りに銀座のヤマハか丸善の丸の内本店へ行って、CDに入っている曲の楽譜を買って、それを開きながらそれの演奏を聴いていた。世界がめちゃくちゃ狭かったな、と思う。でも別にそれでよかった。

あと2時間で30歳になるんだって! 私。
なんだかんだで生活は安定している。自分の部屋には好きな物ばかり置いてあって、散らかっているのが玉に瑕ではあるけれど、ぬいぐるみも絵も魚も安心する。仕事も順調だ。もう4年目になる、と主治医やカウンセラー、ソーシャルワーカーに伝えると、皆一様にびっくりする。「もうそんなになりますか!?(主治医)」「よく続いてますねえ!一年ももたないんじゃないかと主治医の先生と話していたんですよ(カウンセラー)」「もうそんな!?すごいねえ!(ソーシャルワーカー)」とのこと。

入社当時は一年くらい経ったらフルタイム就労ができるようになっている予定だったが、結局今も週4日6時間勤務が限界である。でも3年間ずっと「記事を書かせてくれ~」「日本語の修正ならお任せあれ~」「私は文章を書くのが本当に心の底から好きです!遅いですが!だからそんな仕事があったらやらせてください!」と言い続けていたら、いつの間にか私に集まる仕事はそのほぼ全部が文章作成になった。人事部に所属しているけれど、人事部以外からも仕事が入ってくるようになった。
本業以外でも、ほとんどお金にはならないけれどゲームレビューのサイトに寄稿させていただけるようになった。それ以外にも文章をいい感じに書いてほしいとか直してほしいみたいな仕事が知人からやってくることがある。

なんか思ってたのとはちょっと違う形だけれど、なんだかんだで文章にかかわる仕事で生計を立て、自立した、安全を感じられる生活を営むことができている。
映画館で映画を見るのも好きになった。昔に比べたらずっと楽に本を読めるようになり、たくさん読めてとても嬉しい。うつ病は全くよくなっていないけれど、入院することはなくなた……つもりだ。去年やおととしよりも、ずっと私の生活は豊かで、それで、私はとても満足している。

話を聞いてくれる友人が何人かいるのもありがたい。死にたいと思わない日はないが、昔より楽しいと思う瞬間は増えた。嫌な夢を見る頻度も、かなり下がっている。

30歳以降の指針として「強すぎる悲しみや強すぎる喜びがなく、自分以外の人間によって脅かされることのない安全を感じられる空間を自宅として確保しつつ、食事や仕事、住まい、趣味によって構成される安定した生活を維持する。ただし、興味関心に応じて、変化も楽しむ」を掲げようと思う。29歳の一年間も、よく生き延びました。来年も頑張ろうね。

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