でもそれ全部二の次だから

言葉は、私にとって脳内に渦巻くものを整理するための道具である。脳内にはいつも感情や思考に限らず突然湧いて出た画像的なイメージや何年も前に見た景色とその時に感じる「べきであった」感情がごっちゃになってパンク寸前の状態である。時々こうやって綺麗な形に整えて脳の外へ追い出さないと、こう、脳みそが焼き切れる感覚に襲われる。あれは少し怖くて、現在進行形で自分の思考を司る機械が壊れつつある、またはその部品の消耗が進みつつある感覚である。意識の喪失を死とみなすなら、死に向かって小さな一歩を踏み出すような感覚である。生きていたいわけではないが、生物として単純に死が怖い。

一人でいる時には目の前にある紙にペンか何かで文字を書き殴れば済むことだけれど、他者を交えたコミュニケーションでもこれをやろうとするので私はコミュニケーションが下手だ。その場の文脈とか話し相手の内心とか全部無視してとにかく脳内を占拠する思考を口から出さずにいられない。「お前が喋ると場が凍るんだよ」と吐き捨てるように言われたことがある、その通りだと思う。私が喋ると場が凍る。だから怖い。でも喋りたい。だから人を避けて生きていたい、怖い思いはしたくない。私だって別に好きで場を凍らせているわけじゃないんだ。できれば楽しい話をしたい。でもそれができないので聞き役に徹するか、そもそも喋らずにいるのが一番いい。人の話を聞いていると「そういえば」となにか別のことを思いついて、それを話さずにはいられなくなる。やっぱり会話はとても嫌いだ。

突き抜けて空気も読まずただとにかく話し続けることができるならまだそちらの方がいい。さすがに経験から分かるんだ、今自分が話しはじめたこの話が「場が凍りつく」に着地することを。でも分かるのはいつも話しはじめてからで、だから取り返しがつかない。後悔はあまりしたくない。後悔はあまりいい気分じゃない。「あの時もっと頑張っておけばよかった」なんて後悔は一度もしたことがないけれど「あの時あの話をしなければ」という後悔は人と話す機会のあった日のほぼ全ての日で積み上がっていく。会話が、全部テキストベースだったらよかったのに。打ち込んだ文字や書きはじめた文章を相手に見せる前に取り消すことができる。3秒でいい、対面コミュニケーションの時は時間が巻き戻るような仕組みの世界であればよかったのに。

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