タイトルなし

みすず書房からPTSD研究の嚆矢というか通低音というかみたいな本である『心的外傷と回復 増補版』が出たのはいつだっただろう、半年前とかかなあ。私が買って読み始めたのは3ヶ月くらい前で、そして今はその辺に積んである。読む時間がないとか他の本に手を出しちゃってとかでなく、「これ以上読みたくないな」と思って積極的に読むのをやめた。

そもそもこの本を読み始めたのは自分のPTSDをどうにかするヒントがひとつでもあったらいいな、という軽めなテンションだった(軽いテンションで開く本ではないかもしれないけれど少なくとも私はそうだったし別にこの姿勢は間違っていないと思う)。でも読んでいるうちに著者の視界に入っているものと入っていないものへの扱いの差を感じた。男性のPTSDへの視線がほぼなくて(意図的に女性に注目している?)、それがなんだか嫌で読まなくなった。性被害を受けるのも家庭内暴力に晒されるのも女性だけじゃないのに、女性の被害についてばかり触れていた。それで、今までに読んだ複雑性PTSDについての本で幼少期のトラウマにフォーカスした文面を見るたびに「お前はこの本の対象じゃあない」と言われている気がして(そんな意図がないのは重々承知している)読み進めると共に悲しくなったのを思い出して(「大人の場合もあるけどね、と一言だけ触れ、以降全て「幼少期のトラウマ」と記述する場合もあるがむしろ一瞬視界に入っているはずなのにそのあとは顧みられないように感じ、より悲しく思う)、読まなくなった。

私が勝手に疎外されたと思い込んで悲しくなっているだけなので、今後もこの分野の本はどんどん新しいものが出てほしい。

私は普段、できるだけ年齢も性別も書かずただ「人間」とだけ書くようにしている。おばちゃんでもおじいちゃんでも小学生でもお姉さんでも子どもでもみな一様に「人間」である。おばあちゃんも2、3歳の坊やも同じく人間として怖いという感覚に由来するルールだけど、同時に、私の書いた文章を読んだ時に「どうせ自分はこの人の視界に入っていないんだ」とか「自分の存在を無視されている」とか思ってほしくない、という気持ちに由来するルールでもある。無理なのは分かっている、分かっているけれど、今後一切私と関わることもないような誰かであっても「私のことを見ていない」と思ってほしくないし、いつだって想定した宛先とは全く違う人間が私の書いたものを読むことを忘れたくないし、全員に、そう全員に。全員に「あなたのことを忘れていない」と、そう、なんか、そう、うーん、ひとりだって取りこぼしたくないんだ、いつでも。

でもそんなことできるのは神様くらいで私は神様じゃないので無理な時もあります!!!

というのを、ハーマンのみすず書房での新刊『真実と修復』の裏表紙の説明を見て思った〜。じゃまた明日。

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