毎回タイトル必要なのめんどくさい

昨日久しぶりに心身ともに健康な人間との違いってやつを実感して、今になってめちゃくちゃに悔しくて床を転げ回りたい気分でいるが私は理性ある大人なので別に転がりもしないし暴れ回ったりもしない。

ただうらめしいなと思う。健康な人間だって大なり小なり悩みはあるだろう、実際話を聞いてこの人めちゃくちゃ大変そうだなあと感じる人間もたくさんいる。隣の芝生が青く見えるだけで、たぶん私んとこの芝生だって青い。でも仕事という一点において、普段視界に入る人間たちが持っている芝生に比べたら、私の庭は枯れ果てているところになんとか雑草を生やそうとしているようなものであって、つまり、つまり、仕事に打ち込んでも病院送りにならずに済む人間がとてつもなくうらめしい。彼らは何も悪くない、何も悪くないその無邪気さがうらめしい。

「毎日仕事で忙しくてさ」と言えるそれ、お前の持っているその体力が気力が精神的余裕が疲労からの回復が早い心身が健康な精神が私にはとても羨ましくて羨ましくて、でも多分この先の人生どうやったって手に入らなくて、手に入らないことを自覚するともっと欲しくなって、そうするうちに「羨ましい」が「うらめしい」になってくる。本当に恨めしく思うべき対象が確実に存在しているというのに、それ以外に向かって感情を撒き散らしている。復讐すべき対象への復讐を果たしたくせして怨みを関係のない人間へ撒き散らしているめちゃくちゃに迷惑な幽霊みたいだ。ずっとうらめしいと思っている間に、本当は何が憎かったのか、何が欲しかったのかも分かんなくなって、ただ厄介な感情だけが残るんだろう。目の前に垂らされた糸が救いであると理解し縋ることができる時点で、カンダタはそれらよりもずっと清い。

昨日は、本当は、本当はもう数時間会社にいてやりたい仕事があった。でもできなかった。やらなかったこととできなかったことの結果は同じで、それがものすごく悔しくて、だから「あと2時間くらい頑張って仕事するか!」ができる人がいること、それが羨ましかった。
精神的な病気なんだから気合いでどうにかなるだろうと思いつつ、そうできたなら去年の私は入院しなかったと反省し、今入院するわけにはいかんと思い、それならば仕事を切り上げるべきだと判断した。間違いない正しい判断だったと思う。でも「やっぱあの時もっと頑張れたな〜」って思えたらよかったのに。今の雇用形態で働き始めてからずっと、「あそこで仕事を切り上げたおかげで死なずに済んだ。よかったよかった」と思う判断ばかりで、それでいいんだけど、でももっと、だってでもでもでももっと私だって頑張りたい!

「でも」と思うといつもパワーパフガールズの博士の「でも、は、ナシ」というセリフが脳内で再生される。でもはナシだね。「やっぱあの時もっと頑張れたじゃん」って思わないってことは、いつもギリギリまで頑張ってるってことじゃん。なんだ、頑張ってるじゃん。いいじゃんね、今のままで。

よかないわ!!!!!!! バカ!!!!!

まあこうやって他人と比べて荒れる日もある。そうじゃない日もあるんだから、まあ潮の満ち引きみたいなものでしょう。
明日もちょっと疲れやすい予定が入っているので早めに寝る。ヌオーは抱き心地最高、買ってよかった。

じゃまた明日(たぶん)。

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