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楽園に入った4人 〜ユダヤ教神秘主義において"神"を見た人達〜

先日、数学史の本を読んでいて気になる話を見つけました。

伝説によれば、あるときラビ・アキバは三人のラビたちとともに瞑想し、楽園に入った。しかしその体験はあまりにも強烈であったため、仲間の一人であるラビ・ベン・アザイは無限の光を見つめながら死んだ。なぜなら、彼の魂はその光の源をあまりにも強く求めていたがゆえに、ただちに肉体を脱ぎ捨ててしまったからである。もうひとりの仲間ラビ・ベン・アブヤは、一人ではなく二人の神をそこに見て、ただちに背教者となった。三人目のラビ・ベン・ゾマは、神の衣の無限の光を見たとたんに我を忘れた。普通の暮らしと幻視の経験とに折り合いをつけることができなかったのである。その楽園から無事に戻ることができたのは、ラビ・アキバただひとりだった。
(出典:「無限」に魅入られた天才数学者たち, アミール・D・アクゼル, 早川書房, 2015, Kindle位置No.363)

「何だこの話、怖!」と思ったのでもう少し調べてみました。

アキバ・ベン・ヨセフ(ラビ・アキバ)は1世紀後半から2世紀にかけて活躍したユダヤ教のラビ(律法学者)です。

当時のユダヤ人たちは、ローマ帝国の迫害を受けて散り散りになっている状況でした。彼らの神殿(第二神殿)は破壊され、聖地であるエルサレムに居住することを禁じられました。
そのような状況下で、ユダヤ人の精神的指導者であったのがラビ・アキバです。

ラビ・アキバは、紀元前6世紀の預言者エゼキエルが幻視したという神の戦車(メルカバー)に関する書物を書きあらわしました。
当時のユダヤ教では神秘主義が創始され、瞑想により神に近づくという修行がなされていました。ラビ・アキバの書物は、そのような修行の手引き書として書かれました。
先のエピソードで「瞑想し、楽園に入った」とあるのは、神秘主義の修行の一環と考えられます。
(ちなみに占いの流派(?)の一つ、カバラ数秘術はこのユダヤ神秘主義の流れから発生しました。)

また引用文では「伝説によれば」となっていますが、このエピソードは単なる神秘主義の昔話ではなく、タルムード(ユダヤ教の聖典)に載っているものです。

このエピソードの情報が日本語でほとんどなかったため、タルムードの該当箇所を探して翻訳してみました。

タルムードはエルサレム・タルムードとバビロニア・タルムードの二種類がありますが、単にタルムードといった場合は通常バビロニア・タルムードのことを指します。

翻訳元はSefariaというNPOのThe William Davidson Talmudです。これはタルムード英訳のフリーデジタル版です。
タルムードはヘブライ語で書かれたものが原典であり、それ以外の言語に翻訳されたものは、いわば参考文献的な扱いです。
そのため本来であればヘブライ語を参照すべきなのですが、残念ながら私はヘブライ語が読めないので英語版を翻訳元とします。
また私の英語力およびユダヤ教に関する知識の不足のため、読みづらい箇所や誤りが多々あると思います。
お気づきの点はコメント欄等でご指摘ください。

また文中で聖書が引用されている部分は、新改訳聖書の訳文を引用しています。
また翻訳文中の ※ は私が付け足した注釈です。

なお翻訳元の文書は、クリエイティブ・コモンズ 非営利 4.0のライセンスで提供されており、本記事全体もこのライセンスを継承します。

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賢者が教えた。
4人が楽園へ入った。すなわち、4人はトーラー(※)の最も高尚な秘密を扱った。4人とはベン・アザイ、ベン・ゾマ、アヘル(他の人の意。エリシャ・ベン・アブヤの別名)、そしてラビ・アキバである。彼らの中でも年長であったラビ・アキバは、彼らに言った。
「あなた方が上の世界へ到達して純粋な大理石に触れた時、たとえ水が現れたとしても『水だ、水だ』と言ってはならない。なぜならそれはこのように言われているからだ。
「欺く者は、私の家の中に住みえず、偽りを語る者は、私の目の前に堅く立つことができません」(詩篇(新改訳) 101章 7節)

※:聖書(キリスト教でいう旧約聖書)のモーセ五書(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記)のユダヤ教における呼称

註解書は4人それぞれに起こったことを関連付ける。
ベン・アザイは神を見つめ、死んだ。彼に関してはこの一節が当てはまる。
「主の聖徒たちの死は主の目に尊い」(詩篇(新改訳) 第116章 15節)
ベン・ゾマは神を見つめ、そして害された、すなわち正気を失った。彼に関してはこの一節が当てはまる。
「蜜を見つけたら、十分、食べよ。しかし、食べすぎて吐き出すことがないように」(箴言(新改訳) 第25章 16節)
アヘルは若木の枝を切り落とした。言い換えれば、彼は異端者となった。
そしてラビ・アキバは安全に抜け出した。

註解書は、トーラーの熟達した解釈者であり世に知られていない証拠を発見したベン・ゾマの偉大さについて詳しく説明している。彼らはベン・ゾマに尋ねた。
「犬の去勢についてのハラーハー(ユダヤ法)は何か」
「去勢の禁止は供物の傷と一緒に現れる。この傷は供物として犠牲にできない動物であれば去勢が許されることを示唆している」
彼は彼らに言った。
「一節にある。『あなたがたは、こうがんの押しつぶされたもの、砕かれたもの、裂かれたもの、切り取られたものを主にささげてはならない。あなたがたの地でそのようなことをしてはならない』(レビ記(新改訳) 第22章 24節) 」
これから我らが学ぶことについて、彼らもまたベン・ゾマに尋ねた。
「ある女が妊婦した処女と考えられる場合、このハラーハー(ユダヤ法)は何か」
「大祭司は処女とのみ結婚するであろう。彼は彼女と結婚することを許可されるのだろうか。この答えは次の問いに依る。『シュメール人の意見を心配するだろうか』」

シュメール人は言う。
「私は血族以外と性交渉を複数回持つことができる。言い換えれば、処女膜が取り去られた女と関係を持つことができる。もしそうなら、偽りの処女がこの習慣の中で性交渉を持ちうるし、大祭司には禁じられている。もしくは、このような場合にシュメール人のように振る舞える人間は普通ではなく、ハラーハーは懸念とならない」
彼は彼らに言った。
「シュメール人のような者は普通ではない。そして我らは、彼女が風呂で孕んだのではないかと心配する。おそらく彼女は精液が満たされた風呂で身体を洗い、処女のまま妊婦となったのだ」

註解書は問う。
このような慣習の中で、如何にして彼女は妊婦になり得るのか。シュメール人はこのように言わなかったか。
「矢のように放たれなかった精子は、受精させ得ないのか」
註解書は答える。
これは、受精の瞬間に矢のように放たれたということを意味しない。男から放たれた時に、たとえ最初は矢のように放たれたとしても、それもまた後の瞬間で女を妊娠させられる。

ベン・ゾマの運命については、賢者が教えている。
神殿の丘の階段に立っていたラビ・ヨシュア・ベン・ハナヤに関して一度事件があった。ベン・ゾマは彼を見、彼を讃えるために彼の前に立たなかった。かれは深く考えこんでいたからだ。
ラビ・ヨシュアは彼に言った。
「あなたはどこから来て、どこへ行くのか、ベン・ゾマ、すなわちあなたの心にあるものは何か」
彼は彼に言った。
「私の考えでは、創造主の行いとみなしています。それは上の水と下の水の狭間に、その間には指三本分の隙間しかありません。そしてこのように言われています。
『神の霊が水の上を動いていた』(創世記(新改訳) 第1章 2節) まるで自分の子どもに触らないようにして身体を浮かせる鳩のように」
ラビ・ヨシュアはこのやり取りを聞いた彼の生徒に言った。
「ベン・ゾマは未だに外にいる。彼はこれらの問題の完全な理解に達していないのだ」

註解書は説明する。
今、この一節「神の霊が水の上を動いていた」はいつ言われたものだろうか。水の分離が起こったのは二日目であるのに、最初の日のこととして
「水と水との間に区別があれ」(創世記(新改訳) 第1章 6節)
と書かれたのであろうか。
そのうえ、いかにしてベン・ゾマは先ほどの一節から証明を導き出し得たのだろうか。
ラビ・アハ・バー・ヤーコフは言った。
「橋の板の隙間のようなものだ」
マル・ズトカ(ラビ・アシと呼ぶ人もいる)は言った。
「重なって広げられ、間に少し隙間のある二着のローブのようなものだ」
そしてある人は言った。
「重ねて置かれたカップのようなものだ」

注釈書は先ほど、アヘルは若木を切り落とし、異端者となったと述べた。彼に関しては、この一節が当てはまる。
「あなたの口が、あなたに罪を犯させないようにせよ」(伝道者の書(新改訳) 第5章 6節) ※英訳ではEcclesiastes 5:5となっているが5:6の間違いと思われる)
註解書は問いを持ちかける。
「彼を異端に導いたものは何か?」
彼は天使ミタトロンを見たのだ。この天使は座ってイスラエルの功徳を書くことを許されていた。
彼は言った。
「天上の世界には着座もなく、競争もなく、神に背を向けることもなく、すなわち全ては神の存在に向き合っていて、無気力もない」
神以外の何者かが天上に座っているのを見て、彼は言った。
「おそらく、註解書はここに差し込む、天国は禁じた、二つの権威がある。そして神に加えて世界を支配するもう一つの力の源ごあるのだと」(※)
このような考えが、アヘルを異端に導いた。

※:発言中に註解書の註が入っている。

註解書は物語る。
彼らはミタトロンを天国の彼の場所から移し、六十の炎の錫杖で打った。そのため、他の者たちはアヘルが犯した間違いを犯さないであろう。
彼らは天使に言った。
「エリシャ・ベン・アブヤを見た時、彼の前に立たなかった理由は何ですか」
この行為にも関わらず、ミタトロンは個人的に巻き込まれたために、彼はアヘルの功徳を消去する権限を与えられた。そしてどういう形であれ、彼がつまづく原因となった。
神の言葉が発せられた。
「背信の子らよ。帰れ」(エレミヤ書(新改訳) 第3章 22節)
アヘル以外に。

これを聞くと、エリシャ・ベン・アブヤは言った。
あの男、彼自身のこと、はあの世界から追放され、外に出てこの世界を楽しむことにした。
アヘルは堕落した。彼は去り、そして娼婦を見つけ、彼女を性交渉に誘った。
彼女は彼に言った。
「あなたはエリシャ・ベン・アブヤではないのか? あなたのような偉業を成した人が、こんな振る舞いをしていよいのか?」
彼は安息日に畑のラディッシュを引き抜き、彼女に渡した。彼がもはやトーラーを遵守しないことを示すために。
娼婦は言った。
「彼はもはや以前の彼ではない。彼はエリシャ・ベン・アブヤと同じ人ではない。彼はアヘル、他の人だ」

註解書は物語る。
アヘルは彼が堕落した後でラビ・メイルに尋ねた。
彼は彼に言った。
「ここに書かれているのはどういう意味か。『これもあれも神のなさること』(伝道者の書(新改訳) 第7章 14節)」
ラビ・メイルは彼に言った。
「神が祝福し、造った全ての物、彼はそれと対応する類似の創造物を造られたのです。彼は山を造り、丘を造られた。彼は海を造り、川を造られた」

アヘルは彼に言った。
「ラビ・アキバ、あなたの師はそのようには言わず、その一節をこのように説明した。『全ての物にはその逆がある。神は正義を造り、邪悪を造られた。彼はエデンの園を造り、地獄を造られた。それぞれの、そして全ての人間は、二つの部分を持つ。ひとつはエデンの園であり、ひとつは地獄である。もし彼が正しくなることでその評価に値するのであれば、彼はエデンの園で彼と彼の邪悪な仲間の一部を取る。もし彼が邪悪になることで、非難されるべきことを見つけられれば、彼は地獄で彼と彼の仲間の一部を取る』」

ラブ・メシャーシヤは言った。
「この一節は何に由来するのでしょう。正義について、このように言われています。『それゆえ、その国で二倍のものを所有し、とこしえの喜びが彼らのものとなる』(イザヤ書 第61章 7節 ※) 一方、邪悪な者については、このように言われています。『破れを倍にして、彼らを打ち破ってください』(エレミヤ書 第17章 18節) すなわち、それぞれは倍の部分を受け取っているのです」

※:「とこしえの〜」以降はタルムードにはない記述だが、日本語訳をここで切ると文として成り立たないため記載する。

アヘルは、再度堕落してしまった後に、ラビ・メイルにもうひとつ質問をした。
「こう書かれていることの意味は何か。『金も玻璃もこれと並ぶことができず、純金の器とも、これは取り替えられない』(ヨブ記(新改訳) 第28章 17節) トーラーの賞賛と名誉に関連するのであれば、これは玻璃とではなく、金とだけ比較するべきである」
彼は彼に言った。
「これはトーラーの言葉を引き合いに出したものです。金で装飾した器や立派な金の器は得難く、しかし玻璃の器は失いやすい」
アヘルは彼に言った。
「ラビ・アキバ、あなたの師はそうは言わず、こう教えた。『黄金や玻璃の器が壊れた時、直す方法がある。それらを溶かし、新たな器として作り直すことだ。トーラー学者も同様に、契約を無視したとしても、治療法がある」
ラビ・メイルは彼に言った。
「もしあなたがそうだとしたら、あなたの道から戻ってきてください」
彼は彼に言った。
「私は既に神を世界から隠す幕の陰からこのような宣言を聞いたのだ。『背信の子らよ。帰れ』(エレミヤ書(新改訳) 第3章 22節) アヘル以外に」

註解書は、関連する話を引用する。
賢者は教える。
アヘルが一度だけ巻き込まれた事件があった。彼は安息日に馬に乗っていた。そしてラビ・メイルは彼からトーラーを学ぶため、後ろを歩いていた。
しばらくして、アヘルは彼に言った。
「メイルよ、戻れ、私は既に馬の歩幅によって安息日の限界がここで終わることを見積もって測った(※)。お前はすなわちこれ以上冒険できないのだ」
ラビ・メイルは彼に言った。
「あなたも同じです。正しい道に戻りましょう」
彼は彼に言った。
「私は既に神を世界から隠す幕の陰からこのような宣言を聞いたのだ。『背信の子らよ。帰れ』(エレミヤ書(新改訳) 第3章 22節) アヘル以外に。」

※:ユダヤ教では律法によって、安息日の移動が制限されている。

こう言われたにも関わらず、ラビ・メイルをは彼を捕まえ、学堂へ連れて行った。
アヘルは占いを通して子どもに言った。
「お前が今日学んだ一節を私に暗唱しなさい」
彼は次の一節を彼に暗唱した。
「『"悪者どもには平安がない"と主は仰せられる』(イザヤ書(新改訳) 第48章 22節)」
彼は彼を捕まえ、他の学堂に連れていった。
アヘルは子どもに言った。
「私にあなたの一節を暗唱しなさい」
彼は彼に暗唱した。
「たとい、あなたがソーダで身を洗い、たくさんの灰汁を使っても、あなたの咎は、わたしの前では汚れている」(エレミヤ書(新改訳) 第2章 22節)
彼は彼を別の学堂へ連れて行った。

アヘルは子どもに言った。
「あなたの一節を私に暗唱しなさい」
彼は彼に暗唱した。
「踏みにじられた女よ。あなたが緋の衣をまとい、金の飾りで身を飾りたてても、それが何の役に立とう。目を塗って大きく見せても、美しく見せても、かいがない。恋人たちは、あなたをうとみ、あなたのいのちを取ろうとしている」(エレミヤ書(新改訳) 第4章 30節)

彼は彼を連れていったシナゴーグが十三堂になるまで他のシナゴーグに連れていき、そこにいた全ての子ども達が悪人の絶望的な状況を語る似たような一節を彼に暗唱した。
最後のシナゴーグで、彼は彼に言った。
「あなたの一節を私に暗唱しなさい」
彼は彼に暗唱した。
「しかし、悪者に対して神は言われる。『何事か。おまえがわたしのおきてを語り、わたしの契約を口にのせるとは』(詩篇(新改訳) 第50篇 16節)」
註解書は語る。
その子どもは吃音であった。そのためまるで「悪人、すなわち、そしてエリシャにと神が言う」と言っているように聞こえた。(※)
これは「その子どもは故意に自分を侮辱したのではないか」という考えをエリシャに抱かせた。
ある人は、アヘルがナイフを持ち、子どもをバラバラに引き裂いて十三堂あるシナゴーグに送ったと言った。
他の人は、単に彼が「もし私がナイフを持っていたら、お前をバラバラに引き裂いていた」と言った、と言う。

※:悪者という単語の発音が[velerasha]であり、その部分で吃音が発生したために[Vele’elisha](and to Elisha)と言っているように聞こえた。

註解書は物語る。
アヘルが死んだ時、天の審判所は、彼は裁きを受けたりあの世に連れていかれるべきではないと宣言した。
彼は功績に適した慣習で裁かれるべきではない。なぜなら彼は彼自身をトーラーで満たしており、その功績が彼を守ったからである。
そして彼はあの世に連れていかれるべきではない。なぜなら彼は罪を犯したからである。
ラビ・メイルは言った。
「彼がきちんと裁かれ、そしてあの世に連れていかれるのが良い。私は死んだ時、これを天国に要求するつもりだ。そして地獄で判決を受けた証として、彼の墓から煙を立ち上らせよう。」
註解書は物語る。
ラビ・メイルが死んだ時、アヘルの墓から煙を立ち上らせた。それはラビ・メイルの希望が聞き入れられたことを暗喩するものだった


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