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【読書】聖母マリア崇拝の謎 ーー「見えない宗教」の人類学

 キリスト教においてイエスに匹敵するくらい敬われている聖母マリアだが、その扱いは実は微妙である。
 というのも、キリスト教ではヤハウェとその子イエスのみが崇拝の対象であり、それ以外は崇拝してはいけない。カトリックにおいても公式には聖母マリアは"崇敬"の対象であって崇拝の対象ではない(ちなみにプロテスタントでは聖母マリアはそもそも重要視されていない)。
 しかしそれは建前の話であって、民衆レベルでは聖母マリアは崇拝の対象となっている。

 そもそも聖母マリアとは一体どういう存在なのか?神たるイエスの母であるマリアはやはり神たる存在なのか?

へーと思ったこと

・旧約聖書 雅歌4章のレバノンの花嫁の歌は、アラブの遊牧民ベドウィンの古い民謡がベースになっている
・カトリックでは、神の子たるイエスの母であるマリアもまた生まれながらにして特別であり、原罪のない存在である、としている(無原罪の御宿り(本書では無原罪の御孕り))
・プロテスタントでは、マリアが処女にしてイエスを懐胎したのは聖霊の力によるものであって、マリア自身が生まれながらに特別だったわけではない、としている。
・普通の人間は死ぬと、最後の審判に復活しその際に天国と地獄のどちらへ行くかが決まる。しかしカトリックではマリアは死んだ後天に召され聖人として信者の助けをしている(聖母の被昇天)
・無原罪の御宿りと聖母の被昇天は1854年にカトリック公認の教義となったが、これに前後して聖母マリアの出現(信者の前にマリアが現れ奇跡を起こすこと)が多発している。
・ヨーロッパでは"黒いマリア像"に対する土着的な崇拝がある。これはカトリックでは異端とされている。
・黒いマリア像のルーツはキリスト教以前の地母神やマグダラのマリアなど。
・マグダラのマリアの福音書は聖書外典であり、マリアがペトロから迫害される様子などが描かれている。
・キリスト教成立当初から殉教者や地方の英雄視など多数の人物が聖人とされたが、次第にカトリック教会により整理された。

感想

 キリスト教本来の思想とは相入れない"呪術的信仰"に興味があって読み始めたが結構面白かった。
 それにしても聖母マリアの出現は個人的にはマリアの自己顕示欲を感じる。自己顕示欲とはいっても実際に天国にいる聖母マリアがそういう欲求を持っているわけではもちろんなくて、民衆のマリア出現を期待する気持ちの現れということだが。無原罪のお宿りと聖母の被昇天の教義化に前後してマリア出現が増えたというのも民衆の信仰の盛り上がりを教会が無視できなくなっていたということだと思っている。
 黒いマリア像のところで一瞬触れられただけだったが、マグダラのマリアに対する扱いも興味深い。ペトロとその後継たるカトリック教会が強烈な女性蔑視観を持っていたという指摘。マリアの福音書には正統的な教えとはかなり異なるイエスが描かれている。そこにヨーロッパ人の根底に流れる人間観を紐解く手掛かりがあるように思う。



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