母性
湊かなえさんの「母性」が
映画化されることを知って
もう一度本を読み返すことにした
正直あまり印象に残っていなかってし
私のタイプでもなかったと記憶していた
読み進めていくと
あぁ、そうそうこうゆうお話だったと
思い出した
姉も湊かなえさんの本が好きなので
湊かなえさんの「母性」が
映画化するらしいねって言ったら
姉は湊かなえさんの本の中で
唯一読めなかった本だと言った
私はその理由を聞けなかった
「母性」と言うタイトルとその内容から
きっと姉の中の何かに触れて
良くない感情になるということを
予測してのことだろうと察したからだ
本を読み進めると同時に
姉はどこにどうひかかっていたのだろうと
きっと自分と重なるところが
あったのかもしれない
私は自分の感情に蓋をして生きてきた
そのほうが楽だったから
姉の苦しみを知りたくて
その時私は自分の感情の蓋を開けた
そうすれば姉の苦しみが少しでもわかるような
そんな気がしたから
結局私は私の苦しみにしか
たどり着くことはなく
姉の苦しみや痛みを
本当の意味で知ることはできなかったけど
「母性」を初めて読んだ時
まだ私は自分の感情に蓋をしていた
だから今読み返してみると
あの時にはわからなかった痛みを感じる
姉はこんな感情に
なりたくなかったのかもしれない
母親は子供を見ているようで見ていなくて
子供を愛しているようで愛していなくて
子供は母親の愛をいつだって求めている
姉はいつだって
母にわってほしかったんだろうって
求めても自分が思っているような理解はなく
いつだって一方通行で
無条件の愛は返ってくることはなかった
姉はあなたはまだいいよと言う
母はお姉ちゃんなんだからと
妹の私を庇ったことは
何度も何度もあった
そんなふうに
母から守られたような立場であっても
母は自分本位の愛しか
子供たちには与えることは
できなかったんだって感じてる
どうやったらお母さんは
私を見てれる?
どうやったらお母さんは
褒めてくれる?
どうやったらお母さんは
嬉しい?
父親にめちゃくちゃに殴られる
かわいそうなお母さん
酔っ払って呂律の回らない
ボロボロのお母さん
おばあちゃんにいじめられて
幼い私たちに助けてと
泣きついてくるお母さん
「母性」って
なんなんだろうね
作中にある
子供を産んでも
母性を持たない女と
母性を持つ女の二種類がいる
ということが書かれてあるけれど
きっと私の母は
母性を持たない女だったんだろうなと思う
いつまでも
感覚で言えば守られる娘であった
だから子供を守るのではなく
子供に守られることを
無意識のうちに選択していた
ということなのかもしれない
私は自分が感じてきた悲しい気持ちを
自分の子供には絶対にさせたくないと
そう思って育ててきた
お酒も飲まないし
子供に守ってもらおうなんてことは
絶対にしない
夫婦喧嘩を子供には見せない
凍り付く空気
この世界の全てが灰色に染まったような
この世界の音全てが怒りに満ちているような
そんな空気
笑っていても
瞬間的に
凍り付く空気はやってくる
母の言動で父が瞬間湯沸かし器のように
怒りが爆発する
私の体は動かなくなる
思考は停止する
血の気が引く
そんな瞬間を数え切れないほど
体験してきても
慣れることはなく
今だって
体の中で血がサーとひく感覚がわかるほどに
父の突然の怒号に
怯えてしまう私がいる
そんな瞬間をぜったいに子供には
知ってほしくない
そんな世界があることを
知らないままで
大人になってほしい
そう願って育ててきた
子供たちにとったら
それがあたりまえのことで
アル中の母親もいない
そんな恐怖の時間もない
そんな家庭の中にいたのだから
それがあたりまえで
それ以上を求めるのはあたりまえで
きっとそれぞれに
こんなお母さんが欲しかったという
そんな願望はあったのだろう
ママも仕事に行けばいいのに
みんな児童館に行くから僕も行きたい
〇〇君のお母さんは
友達をいつでも泊めてくれるよ
いくら私がなりたい母親になれても
子供たちには事足りない
私は私の欲しいお母さんにしか
きっとなれなかった
それでも私には母性というものが
ちゃんとあったんだと思う
母とは違う
そう言えることが私は嬉しい
それでも
私の記憶の中に
私が小さい幼児のころに録音されたと思う
母の声がある
優しさに満ち溢れて
子供を愛している声
母に母性があったのかなかったのか
それとも
現実の中で見失ってしまったのか
自分を守ることで
精一杯だったのかもしれない
それでも
私たちは母に愛して欲しかった
自分本位じゃない愛が欲しかった
私たちを丸ごと全部を受け止めて
それでもいいんだよと
抱きしめほしかったのだろう
それをワガママと言うのかもしれない
それでも人は母性に触れ守られて
そうしながら心が育つのだろうと思う
私の中にちゃんとした心が少しでも
あるとそう確信しているということは
母の母性を感じることが
少なからずともあったということだと思う
私と姉は似てるけど違う
同じじゃないけど
唯一同じ場所にいた仲間だ
私たちしか知らない時間
姉はきっと映画の「母性」も見ることはない
かもしれない
姉が「私のお母さんはsatomiだなって思う」って
そう言ってくれたことがある
すごく嬉しかった
だけど全然足りて無いと思うし
もしも出来ることがあるなら
なんだってしたいって思う
もしも少しでも姉にとっての何かになれるなら
私はそれほどに嬉しいことはない
私は映画化された「母性」を見たら
何をどう感じるんだろうか
もしも私が超えているのなら
痛みはないだろうと思う
この世界には二種の人がいる
母親から母性をもらった人
母親から母性をもらえなかった人
子供は誰にでも産める
資格もいらない
それでも
どんな母親から生まれてくるかによって
子供の人生は変わってしまう
それほどに責任のある
この世でいちばん尊い仕事でもある
お母さん
それでも思うのは
きっと母性というものは
自分の努力や頑張りで
自分の内に生まれるものではなく
きっと母性というものは
誰かや何かのあたたかさや優しさ
そんなものに触れる時
生まれるものなのかもしれない
だから母性のない母親に
責任はないのかもしれない
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