3月2日

ずっと思ってた
意味のないことなんてないんだって

今までの経験
小さなことも大きなことも全部
経験するべきことだったんだって

そこから学びあって
経験を超えていく
一つ階段を上がる

どんな経験でも
それを学びとせず
何かのせいにしたり
誰かのせいにしたままじゃ
答えを見つけてと
同じことが繰り返される

嫌なこととかしんどい事
またかってくらい

そこから学んで超えたら
たとえ何か起こったとしても
同じ現実は違って見えてくる

起こっていることは同じなのに
受け取り方や感じ方が変われば
嫌なこととかしんどい事は
何かの導きになったり
自分のことだけじゃなくて
相手の気持ちが理解できたり
納得できたりしてくる

ちゃんと自分の責任で存在しなきゃいけない

この世界に生まれ落ちたことすらも
それは自分の責任っていうか
自分をちゃんと生きていくことが
自分の為であり
大切な人たちの為なんじゃないかって

私は今まで
何かのせいで泣いてるって
誰かのせいで傷ついてるって
そんな風だったと思う

そうじゃないんだって
分かった時
すごく嬉しかった

間違っていることがわかれば
正しい方へ軌道修正すればいいだけ

生まれてきたくて生まれたわけじゃないとか
シャボン玉みたいにパンって消えてしまいたいとか

私は悲しみの中で泳ぐことを
きっと自ら選んでた
そんな感情を感じていたかったのかもしれない

笑うか笑わないかその選択肢は
私の中にあるってわかってた
でもできないのは
何かや誰かのせいだって
本当はそれはただの言い訳で
私はそこにいたかったのかもしれない
その感情がないと
進めない道があることを知っていたみたいに

もう充分私は悲しみ中を泳いできた

せつなさや
悲しみや苦しみや痛み

ある意味それは私にとって
必要なものであったし
新しい時間を進むための意味だったのかもしれない

人は過去に生きることはできない
今にしか生きることはできない

だから辛い過去は
捨ててもいいんだと思う

握りしめた過去がしてくれることは
きっと何もない

学びにして超えていけば
捨てて仕舞えばいい

きっとね
不運の中で見つける
小さな幸せがスキだった

幸福の中じゃ見つけることができないくらいの
そんな小さな幸せは
あたたかくて優しくて
そして簡単に手にできたから

これからは
不運も幸運もない
不幸せも幸福もない

そうゆうことじゃなくてね
ただ笑っていられるって思う

現実の中で
心地のいい場所で
ずっと笑っていられる

生きてたら
嫌だなぁ、とか
しんどいなぁ、とか
そんなことは日常茶飯事なんだけど

それすら
意味になって
自分のために大切な人のために
いい方向に進めるチャンスになる

あんなにポジティブ論者が苦手だったけど
今はもう自分がポジティブ的にしか
物事を考えられなくなってる気がする

それはもしかしたら
あの時と同じ自己暗示的なやつなのかもしれない

それでもいいやって
今は思う

だって私は心から笑えてる気がするから

あの日夢見た自分に
なれているような
そんな気すらしてるから

全部に意味がある
どんなことにも

それは自分が意味にしてるから

全部を意味にして
これからは
心から笑って
私は生きていく

私は私を生きる
精一杯に楽しんで

握りしめた両手をひらけば
そこにあるのは
掴みきれないほどの
野に咲く花のような
やわらかな優しい
そんな瞬間が広がっている
 

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