あの時間

私は怖かった
幸せの瞬間
それがなくなってしまうのが

怖いから
指と指の間から
幸せを落としていくみたいに
ここにある幸福を感じないように
どうせいすぐに
辛くなる現実はやってくるんだと

それはまるでそれを望んでいるかのように
そうだったように
今なら思える

今ある幸せを100%抱きしめて
私はこの瞬間を大切にしたいと
そう素直に思うことができたら
それでいいじゃあないかと思う

もしも次の瞬間
自分にとっての辛い現実が落ちてきても
それをどう捉えるかで
何もかもが変わってくる

そんなふうに思えるようになった



幸せの日々を思い出せば
それは幸せで

不幸せの日々を思い出せば
それは不幸せで

それでも全部ひっくるめて
今まで全部が必要だった

幸せな時も不幸せな時も
今の私には必要だった

何が幸せで何が不幸せかってことも
今となってはよくわからない


大した病気もせずに
大きくなった娘が
一人暮らしをして3年目の時
娘は初めての入院をした

私は娘の住むマンションで
しばらく看病の為滞在していた

あの日々
私自身も住み慣れない都会の中で
全てを一人でしなければならない
今までにない経験をして
精神的に参っていた


それでも精一杯にあの日々を
娘と向き合えた事
私は幸せだった

あの日々があったから
娘のことをちゃんと理解できる

私はあの日まで
自分の物差しでしか
物事を捉えられてなかったと思う

私と性格も性質も違う
そんな娘は私にたくさんのことを教えてくれた

辛いのは苦しいのは娘なのに
私はそれを自分ごとにして
娘よりも悲しんで落ち込んで
辛いと泣いていたのかもしれない

あの日々は私にとっては
宝物みたいな時間

娘にとっても
病気の辛さだけじゃなくて
それに伴う出来事
仕事や友達の関係や意味だとか
病気にならなかったら得られないことを
たくさんと吸収し経験した
そんな時間だったんだと思う

こんなの出来事の事を
幸せと捉えるか不幸せと捉えるか
それは
人それぞれだと思う

私自身は幸せだったと
そう今なら言える

その時はそんなふうには
思えなかったかもしれない

娘の辛そうな姿は
本当に自分が痛い思いをするよりも
辛かった

でもこんなことも
意味になるんだなって

何度もあの時間に感謝をしてる

もう二度としたくない経験だけど
経験して過ぎていったのだから
どう捉えてもいいかなって

感謝をしてる時間を
もう二度としたくないって言うのも
おかしいけれど

もしも同じようなことがあっても
私は意味にする必ず

だから大丈夫

だけどもうわかったから
もう意味にしたから
それはいらないやっとも思う


見上げれば
青い空
いつだってそこにあって

慰められた

嘘っぱちみたいな太陽の光

地下鉄の暗闇の中走る

病院の広告ばかり目について

人混みの中
私だけ違うみたいな感覚

あの時間は
あの子がくれた

大切に受け取った

だから大丈夫

もう大丈夫だよ



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