見出し画像

raraにめぐり逢うことを予感していたからこその自由

わたしは たまたま 幼くして両親と縁が断たれた
以後は 何があろうと起ころうとも
当てにも 頼りもしたことが ない
こんな人生が あることを 知って生きていることが
わたしなりの「宝もの」だと・・・こころに刻んでいる

今で言うところの
「婚活男子」だとしたなら お利口な女性たちから
おそらく ひとりのオファーも得られなかっただろうな

それこそ 無い物尽くしなおとこ
然も「適齢期?」の30間近に「旅人」として生きていた父親が 突然 姉とわたし 過去に親権者だったからか 目の前に 姿を現した
そのときは すでに不治の病に侵されていて
再会して直ぐに入院検査手術 それからの3ヶ月は
休職・付添い・支払い→葬儀
もちろん がん保険加入などなく ひと通り終えた時は
30間近な独身者の懐が スッカラカンになっていた

ひと組の親子に こんなこともあるという事実
神も仏も 聖者さんにも 恨みはないけれど
決して 頼ったりはしない その決意 何度目だろう

とにかく 幾組のどんなhappyな結婚話しを聞こうとも
わたしの「妻と 妻のご両親」この3人よりも
無い物尽くし男子に「寛容」で「寛大」なひととの出逢いは 他には無い・・・この考えは墓場まで持ってゆくと決めた 第一章記載済みだ

幸いにと言うか
我が子ふたり すでに 両親からの援助は不要な
結婚生活を送っている
本当に それ程でもない父親の息子たちとしては
賢さ堅実さ「母譲り」で良かった
1%分位は「趣味は子育て」父の生き方を見習って
かなりの「マイホーム主義」で 家事・育児参加の様だ

今のわたし かなり「自由」な身だ
終活開始を謳うのも ひとの人生と生命
明日をも知らぬことを 父55歳母47歳
逝ったことを 胸に刻んでいるからだ
それだけに 遥 遠くに住む 
シングルマザーさん この一家四人
手助けするなら「しがらみから解き放たれた高齢者が良い」その考えの下で 今出来ることを ひたすら
急ぎ足で 果たしたいと想い 接している

raraに出逢えたこと
それがもしも 運命の悪戯だとするなら
とことん この悪戯をも 受容れたい!
この年齢で そうだね こんな晩年に来て
残されていたのか「青春」
皆さん どうぞ 笑ってください
自らも あはははは・・・


何故 今に来て 自由が許されたのか?
それは その理由は わたしだけが 知っている


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?